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猫空世界〜あんなことこんなことあったでしょー記〜

生まれて初めて触った動物が猫だったサヤネコです(以来ネコ好き)。 十二の時に死にかけ、三十代にも死にかけましたが、まだ生きています。死にたいと思った事も多々ありますが、なんだかんだで生きています。 生かされている事に感謝して、シャーマン始めました。 シャーマン始めることになった話以降は、はてなブログ『超自然主義生活』で記事更新中。

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高校生活にしっかり慣れてから部活に入ろうと、正式に入部したのは確か2年になってからだったと思います。
初めから美術部に入部するつもりだったので、1年の頃から美術室には出入りしていましたーーが、誰かが油絵やっていると、もう無理! 臭いが凄いのよ油絵……同じ環境に長く居ると倒れちゃうほど。

冬場でも窓全開で描いていましたが、夏場など風のない日は臭いがこもるので、扇風機で無理やり換気していましたーーそれでも、無理!

油絵描く子が居る時は、自分の教室でチマチマと活動しておりました。

それはさておき。

顧問の先生と、どんな画家が好きなのかという話題になった時、顧問がこんなことをおっしゃったのです。

「莢猫さんの好みだと、もしかしたらガウディも好きかもね」
「ガウディって?」
「建築家だよ」
「建築家 ?? 」

先生は私にガウディ建築物の図録を貸してくださいました……お、重い……昔のアルバムごっつ大きくて、辞書3冊分はあろうかってくらいの重量のハードカバー。
そのカラー表紙には、タイルモザイクが施されたトカゲっぽい何かが、噴水のように水を吐いていて、一目でやられました。

何なんだこれはーーーーッッ!?

ひっくり返すと、作りかけのサグラダファミリアでした。これまた、インパクト大! あっという間に虜になりました。
当時、今ほどカラーコピーが普及していたなら、間違いなく全ページ、コピーしたでしょう。家にある、親仕事用のコピー機が白黒なのが残念でたまりませんでした。

けれども母は爬虫類系大嫌い。カエルも嫌ならトカゲも嫌い、家にヤモリが入ってくるのも嫌がる人です田舎育ちなくせに……私はカエルもヤモリもトカゲも、実は大好きだったのですが、あまりそれを口にすることはありませんでした。
けれども、図録の表紙を飾っていた『グエル公園のトカゲ』は、言葉では言い表せない強烈な魅力を放っていてーーこれなら大丈夫だろうと母に図録をかざして見せました。

「見て見て、先生が貸してくれたっちゃん」
「あっそ」

横目でチラッと見ただけで終わり。どこまでも爬虫類嫌いな御仁でした……母さんには爬虫類の美しさが分からないのねー残念だねー……くすん。
それからというもの、とりつかれたようにトカゲを描きました。リアルスケッチからデフォルメしたものまで、ビーズ細工でも果敢にチャレンジ。

とはいえ、母に見せると捨てられかねないので、描いたものも作ったものも学校に置いたまま卒業したため、手元に残っていません……残念ッッ!
描いた絵も作った物も、大半は同級生や後輩にもらわれていったので、美術室に残っていたのはスケッチくらいだったような。多分、卒業後あっさり処分されたと思われます。

飼い猫生活になって、太陽の塔も会いに行けたのだから、次はグエル公園行くぞ。スペイン語習得せなん。
スペイン行くなら、ガウディ建築物には皆ご挨拶に伺わなければーーまず、体力・資金作り、やな。色々頑張ります。
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小学生の頃から、年に数えるほどではありましたが、美術館に連れて行かれた事がある私ーー子どもだから間が持てなかった……という記憶は、実はありません。記憶に残っていないだけかもしれませんが……

他の子等が走り回っている中で、自分が好きな絵には見入っていたような気がします。大城先生に出会うまで、自分が絵を描くのは嫌いだったけど見るのは好きだったのかも。
実際、当時(私の中では)クラスで一番絵の上手な子が大好きで、くっついて回っていたほどですから(笑)。

そんな折、テレビのCMで衝撃的なモノを見ました。

オジサンの顔がアップで映し出され、

「ゲイジュツはっ! バクハツだっ !! 」
と叫ぶや、グランドピアノをメタメタに鳴らして、そのメタメタな音に合わせてグランドピアノの蓋がカラフルにグチャグチャになってーー確か、こんなだったと思います。

「母さん、このヒト誰?」
「オカモトタロウたい」

衝撃的な出会いでした。彼の色彩感覚、ブッ飛んだ表現。それまでCM放送中はトイレに行ったり、お茶飲みに行ったりとテレビを離れる時間でしたが……これを見て以来、彼の出るCMになると釘付けになりました。

強烈に、目に、脳裏に焼きついたのは言うまでもありません。

中学生になって、『太陽の塔』の事を知るといつか必ず行こうと思い、高校生になってからは花の写実画の他、抽象画にもはまり、大学生になると身近な所に岡本太郎の作品があって嬉しくなりました。駅裏のビルになんと、岡本太郎作『キリン』があったのです。(今、あるかどうかはわかりませんが……)

社会人になって、しばらく関わる余裕なかったのですが、飼い猫生活になって時間がたくさん取れるようになってーー念願の太陽の塔に会いに行くことができました。
東京であった岡本太郎展にも行き、彼のアトリエにも行き、キーホルダーやフィギュアもいろいろ買って、ガチャガチャももちろん回してきました。(笑)

太陽の塔に入れるようになるーーという噂を聞いて、ワクワクしていたのですが、修理資金が集まらず頓挫している模様。

はよガッツリ資金作って、太陽の塔に出資する!

飼い主様に言ったら、呆れられました。今に見てろよ。太郎ごっつ、バクハツだっ!
(頑張って似顔絵描いてみたのですが、あまり似てませんね……人物画はやっぱり苦手でした)

長新太作『ごろごろにゃーん』。私が一番最初に大好きになった絵本です。多分。今でも好きな絵本のダントツなので、そういうことにしておきます。

たくさんの猫達が、魚型の飛行機に乗っていろんな所を旅して帰る、何てことないシュールな繰り返し言葉の絵本です。

ひこうきはごろごろ、ねこたちはにゃーんにゃーんとないています。

から始まり、

ごろごろ にゃーん ごろごろ にゃーん と、ひこうきは とんでいきます

と同じセリフが何ページも続くのですが、挿絵の変化していく様がおもしろおかしく、そのページの絵に合わせて抑揚変えて読んでみると、一段と楽しくなります。
いろんな世界を旅してきた飛行機と猫達は、最後に元いたところに戻ってきます。

ごろごろにゃーん ただいまー

手元に原本なくて、記憶頼りなため、間違っていたらごめんなさい。大筋は合っていると思います……うん、買おう『ごろごろにゃーん』。

この絵本に出会って以来、私は長新太さんの絵本を見かけると何でも読んでみたくなりました。ぼくのくれよん・おしゃべりなたまごやき・なにをたべたかわかる?・つみつみにゃー(児童書)・だってちゃん(児童書)・マコチン(児童書)・対馬丸(児童書?)

他にも好きな絵本作家さんはいるのですがーースズキコージ・佐々木マキ・井上洋介・秋野亥左牟・安野光雅ーーご存じない方は絵本コーナーへゴー。必ず一冊はあると……思う、多分。
新たな絵本作家さんも増えているから、最近の作家さんだと飯野和好・よしながこうたくーーえ、知らない?
二人の代表作はこれまた多分だけど『ねぎぼうずあさたろう』『給食番長』です。それぞれアニメにもなり、話題になった作品……もしかしたら全国じゃないかも……ぐふっ。

どうも私は、色づかいやタッチが個性的なモノに惹かれるようです。

それに加えて、猫好きをくすぐるあの繰り返しのフレーズが、いくつになっても忘れられないのです。

ごろごろにゃーん。
私の記憶が確かならば、こんな表紙でしたーー記憶妄想スイッチオン!
中学時代、約2キロの通学路を徒歩で行き来するのにやっと慣れてきた頃、卒業。
徒歩で2キロがやっとこさの体力で、高校生活はバス通学。入学してすぐ、学校に間に合う時間帯のバスに乗ったら強烈な人酔いで途中下車、結局遅刻……以来、無理して早起きして、座れるバス通学にしたものの、バスに乗るだけで疲れていた私。
行きも帰りも乗り越し多数。バスで半端な時間熟睡してしまうので、夜眠れないという悪循環に陥りました。
それでも何とか3年間、知り合いのバスの運転手さんや、いつも乗り合わせるお客さん達に起こされながら、バス通学、もとい、高校卒業。その節は大変お世話になりました。
乗り越し分の金額目をつぶってくださった運転手さん、財布を忘れて乗り越し代を立て替えてくださった乗客の皆さん、本当にありがとうございます。
自分がもし、そのような困っている子を見かけたら必ず助けます。

ーー話を戻しましょうね。

そして、大学生活。初めはバスと、時間に余裕がある時は徒歩で、直線距離だと約4キロ離れた大学まで通っていたのですがーー高校3年間、約7キロのバス通学でヘタレるほどの体力しかなかった私が、バスに乗る距離としてはほぼ同じくらいのバス通学が初期は大変だったのは言うまでもありません。
しかも、山沿い路線を行っても、海沿い路線を行っても、バスセンターや駅でバス乗り継がないと大学まで辿り着けなかったものですから、ある意味それぞれ終点まで安心して居眠りできたのもあって、ますます夜眠れなくなる事態に……自業自得……

西洋には、『スリープ』と『シープ』を掛け合わせた『安眠』のおまじないがありますが……これはあくまで、英語圏のおまじないなんだと痛感した事件がありました。

いわゆる『俗信』と呼ばれる物事は、古今東西変わらぬものと全く違うものとあります。例えば塩や水晶は、浄化・お清めとしては万国共通アイテム。
ところがおまじないの類は、言語が違うと全く効果がないそうで。

大学生の頃は今ほどカルトオタクでなかったため(苦笑)、羊のおまじないは安眠効果があるかもしれないと思ってしまったのです。
ホント、不眠症とまではいかなくとも寝つきがあまりにも悪かったから、正直なところ『藁にもすがる思い』ではありましたーー当時、祖父の病院では強力な睡眠薬『ハルシオン』を取り扱ってはいたもののーーそれまで薬(抗ガン剤)で散々苦しんだから、強い薬は飲みたくなくて。

いざ、寝床へ入って、早速……ゆっくりゆっくり、羊を数え始めました。

「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、羊が四匹、羊が五匹」

もろ、日本語ですよ。効果がある訳ありませんよあーた。異国のおまじないは異国の言葉で、なのですよあーた。しかも意味ちゃんと解ってないと唱えても効果ないのですよあーた!

当時の私がそれを知る由もありません……おかしい、千匹超えたぞ……律儀に羊を数え続けて、脳内妄想域が羊で鮨詰状態になった頃、ブラインドの隙間から朝日の光が差し込んできました。

羊が二万六千……いくつだったか、数えたところで、朝が来たのです。安眠のおまじないで、まさかの貫徹。

「一睡もできんかった」

友人に羊数えて貫徹したことを話したら、同情されたり笑われたり呆れられたり。

皆さんも、おまじないとして羊を数える時は、英語で、スリープを意識しながらシープと言いましょうね。え、やらない? それは賢明です……

もしやるなら、日本人のあなたは日本語のおまじないをお勧めします。

ひとまるや まことあかしのうらならば われにもみせよ ひとまるがつか

三度唱えるとよく眠れるそうですーー元は、

ほのぼのと あかしのうらの あさつゆに しまかくれゆく ふねをしぞおもふ

という上の句があり、寝る前に上の句、起きてすぐ下の句を唱えると良いのだとか。
……これを詠んだのは柿本人麻呂説と小野篁説があります……
どうしてこの句が安眠と結びついたのは謎ですが、日本人由来のおまじないであることには違いありません。

文言覚える前に、眠れそう。(笑)

妹が生まれる2年前、大ブレイクした歌の一節です。『ルビーの指輪』ーー別に、歌の影響を受けた訳ではありませんが、誕生石はルビーが良かったと思っていた私。
妹が7月に産まれた時、羨ましかったなぁ……

「いいなぁ、ルビーで」

と母に言ったら、

「何ば言いよぉとね、あんたもサファイアで高価な石やん。私なんかトルコ石よ」

すると父まで、

「俺なんかアメジストやぞ。子どもばっかり豪華な誕生石や」

弟は5月でエメラルドなのですーー言われてみると確かに、子どもばかりが高価な石でした……当時、誕生石を持っていた訳ではありませんでしたが。

1月ガーネット(赤紫)
2月アメジスト(紫)
3月コーラル(サーモンピンク)
4月ダイヤモンド(透明)
5月エメラルド(緑)
6月パール(乳白)
7月ルビー(赤ピンク)
8月ペリドット(黄緑)
9月サファイア(青)
10月オパール(虹)
11月トパーズ(黄)
12月ターコイズ(水)

誕生石は国・占い・パワーストーン的観点などで多少変わることがありますが、私が子どもの頃は上記の宝石が一般的な誕生石でした。

大人になると、世間が扱う誕生石の種類も意味合いも色々増えて、パワーストーンのブームがやってくると、誕生石よりもむしろ、石の持つ力が重視されるようになりました。

個人的な意見ではありますが、ストーンパワーで言うなら、最強なのは水晶。
余談ですが数年前、飼い主様が職場で望まぬ異動を強いられ、仕事辞めちゃうかもってくらいヘタレた事がありました。
「何か御守りになるモノが欲しい」と言うので、水晶の数珠ブレスレットを作ってあげました。以後、彼はほぼ毎日、御守り代わりに水晶着けて仕事に行っています。

誕生石もパワーストーンも、いわば御守りのようなモノと、私は捉えています。身を飾るモノとしての宝石は、どちらかというと二の次かしらん。(笑)
結婚指輪を作る時、指輪に着ける石は『青』か『誕生石』と聞きました。どちらも兼ねていた誕生石ーー自分でデザイン画を描いて「こんなの作って」と宝石商の母友達に頼んで、ほぼデザイン画どおりのリングを作って頂きましたーー作るのに出資してくださった飼い主様のおとうさんおかあさん、ワガママ聞いて指輪を作ってくださった職人さん、ありがとうございます。

……でも……私の誕生石は、サファイアなんだよなぁ。自分の肌色を考えると、赤石の方が似合うと思うのだけど。以前からサファイアとルビーが実は同じ石であることを知っていた私は、ペアリングにはルビーを埋めてもらいましたーー着けると見えない内側ですが。(笑)

それからというもの、誕生石にはこだわらず自分の波長に合う石を選び続けて、昨年。意外にもラピスラズリ(青)が私に合うということを教わり、以来、私のラッキーストーンはラピスラズリということにしています。
アクセサリーとか身に着けるモノとして似合うのではなく、御守りのようなモノとして感覚・感性に合っているのが、ラピスラズリらしいです。

でもまあ、ラピスラズリが肌に馴染んできたら、サファイアもいけるかもしれないですね。同じ寒色系だし……マットな青から、透明な青へーー
アクセサリーとして身に着けても、青が似合う女に、なれますように。

まだ、薬院に県営プール、天神にスポーツセンターがあった頃の話ーーなぜ通うことになったのか、全く覚えていないのですが、夏休みと冬休みに5日間ほど、バスで行ったり自転車で行ったりしました。
運動オンチで、体育嫌いではありましたが、この2つの体育講習は夏・冬それぞれ楽しいイベントでした。

水泳教室は、まず学年ごとに階級分けされ、その後、その子がどれだけ泳げるのか階級ごと担当の先生が見極めて階級移動、最終日は昇級テスト……だったような。
階級はほとんど覚えていないのですが、私は最初のテストでいきなり2級アップ。生まれた時から水好き大好き、母方の里には小川があって季節問わず遊んでいたためかーー水面顔漬け・ビート板もあっさりクリア。

1年、2年、3年……毎年参加していると先生とも顔なじみになり、5・6年になるともう、先生方には名前呼び捨てにされるほど仲良く(?)なりました、が……いかんせん、運動オンチ。
5日間とはいえ毎年通いましたから、全ての型で泳げるようにはなりましたし、6年生の最終テスト1キロ遠泳も泳ぎ切りましたがーーキレイなフォルムで泳ぎ続けられないのと、スピードが全く無いのとで、最上級クラスにはなれず終いでした。

スケート教室は、福大だか九大の体育科のお兄さんお姉さんが講師で、最初は参加者全員でリンク周りをペンギン歩き。今思うとペンギン歩きよりチャップリン歩きの方が近い気がします……上手に歩けたら、今度はいよいよ氷上へ。
リンクでもペンギン歩きで一周して、氷に慣れたところで、リンクに学年別・縦長一列になって、向こう側まで軽く滑っていくのですが、初心者は転びまくったり進めなかったり。ここで滑れない子・少し滑る子・スイスイ行ける子にクラス分けされて、クラス別の指導を受けることになりました。

この教室は毎年講師が変わっていたので、先生と友達のようになることはありませんでしたが、6年間トータル約1ヶ月ほどで、ゆっくりバックできるくらいに上達することができました。

水泳もスケートも、昔取った杵柄が残っていれば……今も多分、できるはずです。多分。どちらも10年以上、やっていないからなぁ、自信はありません。(笑)

『礼は急げ』という記事を作っておきながら、お礼遅れて申し訳ありません。(汗)
毎日記事に拍手御礼入れるのはさすがに厳しいので、コメントをある程度いただいてから頂いたコメントへの返事をしようと思っております……どうぞお許しください。

注射針に関する失敗は、私の血管が細いために採血などはしょっちゅうあります。細い針使った方がいいよと言っているのに、太い針ブッ刺して失敗された時には怒りを通り越して「言わんこっちゃない」という心境になります。
看護師さんには、自分の技量をしっかり把握しておいて欲しいものです……患者の意見もたまには耳に入れてください……お願いします。

膀胱炎の痛みや、言わんや、ですね。生理痛と同じく悶絶級で、救急車呼びたいくらい痛んだ事もありました。
かといって、この年になるとトイレ我慢しない生活を続けていると今度は過活動膀胱になってしまうという面倒な器官。お互い、身体あちこち労わりましょうね。

ガンは細胞老化から起きる病でもあり、誰もが発症の可能性を持っている病とも言えるのではないでしょうか。
だから、皆さん、怖がる事はありません。誰もが『死』に向けて生きているのですもの、もしガンが見つかったら、早めに対処、おいしいものを食べて、趣味もめいっぱい楽しんで、明日死んでも悔いのない今日にしましょうーーと、私は考えています。

白血病やった時に体験した、辛い抗ガン剤治療はやらないつもりです。放射線治療も、昔のような『良し悪し一緒くた』な治療であればやらない。
医療の技術は日進月歩なので、もし、ガン細胞をピンポイントでやっつけられる医療が確立したなら……やってもいいかな。うん。

私自身、正月入院以来、血液検査は毎度CRP(身体のどこかしらに炎症があることを示す)数値が標準より高めーー身体のどこかが『化膿しかけている』状態ですから、いずれ何かしらのガン発症してもおかしくないと思っています。

子どもの頃、母が私にかけてくれていた生命保険会社は、白血病にかかった私のことを『死亡扱い』していました。←大人になって、自分で生命保険契約しようとした時に知りました。審査で落ちた理由がコレ『死んだはずだよサヤネコさん ♪ 』いやはや、驚いたのは言うまでもありません。
確かに当時『白血病』といえば必ず死んじゃう病気のように世間は捉えていましたから、『そっか。私は一度、死んだんだ」と、妙に納得。

その後、飼い猫生活になって敗血症やった時には、悪友から、

「普通、死んどるやろ」

と言われ、『私また死んだのね。よくもまぁ、よみがえってきたわ』と思いました。
こうして、さんざん病気してきた私が、なんだかんだでまだ生きているのですから、あなたもきっと大丈夫。
落ち込んだ時でも、へこたれそうになった時でも、私はあなたにこう言い続けます。

「大丈夫だよ」

そういえば、プールに入る前、これでもかというほど塩素臭い消毒液の浴槽に腰まで浸かるよう言われていましたね……子どもがお風呂に入った時のように「ゆっくり10数え」ながら中腰のまま腰を振り……中学までこんなでした。
高校になると、プールの水自体が塩素臭くなって腰まで浸かるのは無くなったような。もう一度アレをやれと言われても、とてもやれそうにありません。(苦笑)

結婚記念日なるものが自分の人生に加わるなんて、29歳までは思いもしませんでした。何せ、自分で言うのもなんだけど超がつくほどの独身貴族万歳主義。
本当に、結婚願望はおろか、彼氏1人に縛られるのも嫌、中央アジアのどこか忘れましたが『一妻多夫制』が羨ましかった。ワガママ極まりなし。(笑)

飼い猫生活になり、十余年……『一夫一婦制』にも慣れましたが、たまに思います。飼い主様が浮気したら、私も浮気するのに。という訳で飼い主様にも言っています。

「浮気、してもいいよ(私もするから)」

飼い主様曰く、

「絶対せん! (だから浮気するな)」



拍手、ありがとうございます。3月9日から約2週間、高熱鼻風邪にやられていたため、24日から怒涛の勢いで毎日記事をまとめて追加しました。

私情ではありますが、13日は母方祖母の一周忌、18日は引越とあれこれ並行して作業できない私にとって、多忙極める週間になりそうなので、10日から引越先のネット環境が整うまでの間、しばらくブログお休みします。

いつもここに訪問してくださって、ありがとうございます。これからも日々思うこと、思い出したことを伝えていきますね。
一般的によく知られている『善は急げ』。『良いことはすみやかにせよ』という諺ですが、今回取り上げるのは『礼は急げ』。

「良いことはすみやかにせよ」などと誰かに言われても、なかなかできないのが人の常……けれども、何かしらありがたい事・助かる事をしてもらった時に「ありがとう」ーー誰でもすぐ言えますよね。

よね?

この『礼は急げ』という諺、恥ずかしながら最近知った諺です。謝礼・返礼は先延ばしせず、できるだけ早く済ませよーーなんて良い諺だろうと思いました。

日常生活において何事も周りにしてもらうのが当たり前、ありがたみも何も感じなくなってきている心にグサリと刺さりました……

誰かから、手を貸してもらえる事。
誰かから、慰めの言葉をかけてもらえる事。
誰かから、救いの手をさしのべられる事。
誰かから、居場所を作ってもらう事。

様々なありがたい事を誰かにしていただいたら、すぐ、こう言いましょう。

「ありがとう」

口先だけでなく、心込めて。

ちょうどこの諺を知った頃、いろんな方々から色々頂いた事がありました。今までは、「お礼は次に会った時でいっか」と先送りにしていましたが……礼は急げ。
感謝の気持ちを絵に描いて、お礼状絵手紙を出しました。

善はなかなか急げませんが、礼はどなたも急げます! ありがたい事をしてくださった方に、直接言うも良し、会う機会の無い方には電話やお礼状を。
『先日は〇〇していただき、ありがとうございます』だけで良いのです、感謝の気持ちを最短で伝えられれば。

私は口下手で電話は苦手、手紙も本当は字が汚いから苦手ですが……ちょっとした絵を描くくらいなら、何とかなる……なっている、はず。(笑)

感謝の気持ちを全身全霊込めて、『ありがとう』が伝わりますように。
私は、絵本は好きだけど活字が詰まった本はあまり好きではありませんでした。たまに宿題に出される読書感想文を書くのも、苦痛でしかありませんでした。
けれどもある日、母が『宮沢賢治全集』を買ってから、それまであまり好きでなかった活字の本が好きになり、読書感想文を書くのも苦ではなくなりました。

当時、自分が通っていた小学校には各学年教室ごとに『学級文庫』なる本棚があり、様々なジャンルの児童書が置かれていたのですが、毎年読破。
その本棚で『星新一』『江戸川乱歩』の作品と出会い、『宮沢賢治』と同じくらい夢中になりました。

そんなある日。夏休みの課題に、原稿用紙5枚(足らない分は自分で追加してくださいだったような)『物語を書きましょう』という宿題が出されました。
ちょうどその頃、エジプトでは猫が神様として崇められていたとか、中国では犬や猫が食材として売られている事など衝撃的な事実を知ったばかりだった私。
風によって主人公が運ばれていく『ユニコ』から設定を拝借ーーこの辺りは小学生ですから、大目に見てくださいって事でーータイトルを何とつけたかは忘れてしまいましたが、老婦人に飼われている子猫が日々の退屈な生活に嫌気が差し、風に頼んで時代や国を飛び越えて、神や食材になる寸前を体験した後「元の生活が一番いい」と帰ってくる……実は夢オチ……というお話を作りました。

当時の私は『言う事を聞かない悪い子』として担任に目をつけられていたため、たいした評価はされませんでしたがーー私自身、ちょっとしたショートストーリーを書く楽しさを知りました。
長い物語でなくてもいいんだという事は星新一のショートショートでも証明されていましたし、夢を話のネタにしていい事は宮沢賢治が実証済み。

でも、字を書く事自体が好きでなかった私……万年硬筆三級……その後、話を書いたり詩を書いたりしたいと筆を取ったのは、中学生になってからでした。
闘病生活で学校に通えない間に広げた空想・妄想の数々、あるいは家や保健室で見た悪夢など、ストーリー性を掴めた物は何でもノートにまとめました。

勉強はする気も起きなかったけれどその分、どうでもいいような話でノートを埋めました。(笑)

そのいくつかは、初彼が劇団へネタとして持って行ってくれ、高校生活においてはそれ自体がちょっとしたお小遣い稼ぎにもなり、大学など進路の一つとして真剣に考えた時期もありました。
結局、文学への道は選択しなかったものの、ネット環境が爆発的に普及し始めた頃、レンタルホームページでそれまで書き溜めてきた物語を公開してみたり……今は閉鎖しています……

何度かは小説大賞にも無謀なチャレンジしました。もちろん玉砕。(笑)
人様に楽しんでいただく以前に完全な自己満足、きっとその辺見透かされていたと思われます。
エブリスタや小説家になろうにも登録はしているものの、エブリスタの方は作品も公開していますが主にSNSなどで『このキーワードで小話作って』とリクエストされた小話メイン、小説家になろうは投稿ゼロ、ほぼ読者登録。(ペンネームはこのブログと同じ莢猫です)

お話書くのは今でも好きなので、そのうちまた、まとめ直してネット上にでも投稿します。

ちょうど先日、又寝した時に約30分コワーイ夢見たのですよ……お話になりそうな……悪夢もネタのうち。(笑)

高校生活は3年間、女子校だった私。入学式の時、体育館にセーラー服が鮨詰状態に並んでいるのを見てビックリ、クラスの人数が52人もいて更にビックリ。ベビーブーム世代であることを痛感しましたーーは、さておき。

正直、普通の女の子とは感覚ずれていた私は、『女子だけ』の空間になかなか馴染めませんでした……何せ、子どもの頃見ていたテレビ番組といえばウルトラマンや仮面ライダー、戦隊モノ、中学時代も聖闘士星矢や北斗の拳といった男の子が食いつきそうなものばかり。
歌番組は幼少期の事件以来まともに見ていなかったので、よほど周囲で歌われていない限りはアイドルも知らなかったし、日頃よく聞く音楽といえばクラシックバレエを習っていたためかクラシックオンリー。

あ、あと虫好きね。これだけは3年間、誰も共感してくれませんでした。(笑)

しかし、10代の女の子という生き物はとかく群れたがる……私はぶっちゃけ、そんな群れにはあまり関わりたくないと思っていたので、『一人なら一人でもいいや』と開き直っていました。
ただ、明らかに周囲にはぶかれて独りになっている子を見つけると放っておけずーーいじめに発展しかねませんからーー最初は、その子と一緒に昼休みを過ごす事に決めました。

一緒にお弁当など食べるようになって数日で「私も一緒に食べていい?」「いいよ」で1人増え、更に数日過ぎると2人増え、10日ほどで7人のグループ化。こはいかに?
女子52人もいると、私のような変り種の周りにもグループができるのねー……でも、趣味や好きなテレビ番組、好きなタレントなどの話になると、

「私、光GENJI大好き」
「えー、SMAPの方がいいよぉ」
「何言ってんのTMに決まってるでしょ」
「ねえ、さーやんどう思う? 好きなアイドル誰?」
「……(参ったなー、最近のアイドル全然知らない)……ピンクレディ」

一同、飲み物など吹き出すーー

「ちょっと、いくら何でも古すぎやろ。いつも何ば聴いとぉと?」
「えーと、チャイコフスキー、ポールモーリア、え、知らない? うーんと、ビートルズは? サイモン&ガーファンクルは? スティングとか」

一同、だんまり……そのうち、グループ中の1人が、

「さーやんは、変だからー」

と言って、一同納得。いやいやいや、『変』って何よ??
けれども、彼女が言ったこの言葉はあっという間にグループの子等に伝染。
しまいにはクラス中の子から、

「うんうん。さーやんは変だからね」

と返されるようになりました……まぁ、自分達にとって理解できない存在を『変だから』と納得してくれて、受け入れてくれたことには感謝します……
あなた達はその一言で納得できて良かったとは思いますがーー私自身は3年間、「変だから」と言われる度に複雑な心境になりました。

いじめでも、褒め言葉でもない、私を表す言葉ーー「変だから」。

周囲との価値観の違いから、壮絶ないじめを受けた人もいると思います。私自身、紙一重の環境にいたのではないかと思うと、グループの子の1人が言い始めた、この、

「さーやんは、変だからー」

に救われたのかもしれません。

ーーその後、大学〜独り暮らし時代にかけては、男友達からも女友達からも、

「男・女・莢猫」

と言われましたーー男でも女でもない、第3の性『莢猫』。産まれは戸籍上も『女』ですが、友人達に言わせると、

男友達「全然女っぽくないから、むしろ話し易い」
女友達「莢猫みたいな彼氏欲しかったー(又は)莢猫が男だったら良かったのに」

確かに、特に女として見られたいなんて欲求はほとんどなかったし、車で秘湯巡りをしていた時は、男女の別なく一緒にお風呂に入ったりしていました。恥ずかしいとも思わなければ、いわゆる下心も全く無し。

「それ、絶ッッ対、おかしいでしょ!」

と、女の子らしい女友達に厳しく突っ込まれた時ーー高校生時代、「変だから」と言われ続けた根源を見つけたような気分になりました。

そうね。私、おかしいわ。でも、何故 ??

深層心理は、神のみぞ知る。



結婚して飼い猫生活になった今。
たまに、飼い主様にまで言われます。

「男・女・莢猫」

ーー言うのはかまわんばってん。そんな私を妻にした、あーたよっぽど『変』だよ?

プロフィール

HN:
莢猫
年齢:
50
Webサイト:
性別:
女性
誕生日:
1973/09/06
職業:
自由業
趣味:
ビーズ細工・ドライブ
自己紹介:
詳しくはカテゴリー『プロフィール』で。
A型乙女座長女なのに、近頃は、AB型とかB型とか星座はともかく末っ子とか一人っ子とか言われる、ゴーイングマイウェイ主婦。
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