猫空世界〜あんなことこんなことあったでしょー記〜
生まれて初めて触った動物が猫だったサヤネコです(以来ネコ好き)。 十二の時に死にかけ、三十代にも死にかけましたが、まだ生きています。死にたいと思った事も多々ありますが、なんだかんだで生きています。 生かされている事に感謝して、シャーマン始めました。 シャーマン始めることになった話以降は、はてなブログ『超自然主義生活』で記事更新中。
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社宅からスーパーへ行く途中、ピアノのレッスン場がありました。はっきりとは覚えていないのですが、その音を聞いて、母に「あの音なぁに? 私もやりたい」みたいなことを言ったと思います。
母は一念発起。当時50万くらいしたのではないかしら、私の好奇心のためにライトアップピアノを購入したのです。当時、父の給料は2万行くか行かないか、どうやりくりしたやら、とんでもない暴き……ゴホンゴホン、とにかく社宅で一番最初に、家にピアノを置くことになりました。
今40代の私でも、50万ポーンな買い物は熟慮します。当時20代の母は、清水の舞台どころかグランドキャニオンから飛び降りる勢いだったと思います。
さて、自分から始めたいと言ったピアノですが、先生より母が鬼でした。(笑)
自分が昔、習い事をさせてもらえなかったという反動と、何でも「できて当たり前」的家庭環境に育った母は、一つのミスも許してくれません。習いたて早々からそんなに完璧に弾けるはずもなく、酷い時は椅子から蹴落とされたり定規で手の甲叩かれたりしました。
せっかく「やりたい」って始めたのに、これじゃ逆効果でしょーに……
と今では思いますが、母もまだ若かったし、ピアノ高かったし、必死だったのだろうとーーしかし、ほんと酷かったな。歳を重ねるにつれて、虐待と紙一重な(笑)折檻はなくなりました。
そんなスパルタママが一段と熱帯びたのが、これもまた発表会前。どうしてバレエといいピアノといい、いちいち舞台に立たなんいベントがあるのでしょう。
私はこのイベントが大嫌いでした。
何故かというとーーその実、小心者だったから。バレエは間違えても多少アドリブ利きますが、ピアノは音そのものなのでミスが明確に判ってしまいます。それが嫌で嫌で堪らないのに、発表会になると、普段の練習以上にミスして収集つかなくなってしまうのです。
いわゆる、負の連鎖ってやつですね。間違えてもいいから楽しく弾こう、ではなく、間違えたらもうダメだと思っていたのです。
当時のピアノの先生は超がつくほど生真面目な先生で、レッスンもバイエル・ブルグミュラー・ソナチネといったセオリーカッチリレッスン、母もこれまた四角四面に『できて当たり前』を押し付けてくる人でーー私、よくピアノ嫌いにならなかったなぁーーなんて思えるほど、叱られてばかりのレッスンでした。
入院してからは、自宅に来てくれる近所の母友先生のアイデアで、セオリー通りのソナチネやバッハの他、映画のサントラなど簡単に譜面に起こした教本を選んでくださって、少しずつピアノの楽しさが感じられるようになりました。
高校生になると、通える時に学校帰りなどに寄れるレッスン場で初等教育に必要なグレード資格取得を勧められて、聞き取り譜面起こしや声楽もやりました。これはこれで面白かったです。楽しめたから続けられたのかもしれません。
大学に入ると今度は、年に一度祖父の病院に来られるプロのピアニスト(肝心のお名前忘れました……女性です)がレッスンしてくださいました。タダで。(笑)
この頃になるともう、ピアノは遊びで弾く程度。
社会人になって、数年後。実家を改装する時に、母から電話が。
「あんた、ピアノ引き取っちゃらん?」
「引き取っちゃらんて、六畳一間のおんぼろアパート住んどぉのに、無理やろ」
「そうかて、改装の邪魔になるっちゃもん。あんたのピアノやけん、あんたが何とかして」
邪魔になるってあーた。その昔、六畳二間にデデーンとピアノ置いとった御仁が何を言いなさるやらーー
急遽実家へ帰り、電話帳で中古ピアノを送料無料で引き取ってくれる業者を探し、最終的に出張買取をしてくれる中古楽器業者に電話して……その日のうちに、5万円で引き取られていきました。
元は、母がグランドキャニオンから飛び降りて購入したピアノです。5万円は母に受け取ってもらいました。
その後。実家にピアノはなくなりましたが、結婚後しばらくして、夫が電子ピアノを買ってくれました。
たまに、弾いています。猫踏んじゃったとか。(暴)
母は一念発起。当時50万くらいしたのではないかしら、私の好奇心のためにライトアップピアノを購入したのです。当時、父の給料は2万行くか行かないか、どうやりくりしたやら、とんでもない暴き……ゴホンゴホン、とにかく社宅で一番最初に、家にピアノを置くことになりました。
今40代の私でも、50万ポーンな買い物は熟慮します。当時20代の母は、清水の舞台どころかグランドキャニオンから飛び降りる勢いだったと思います。
さて、自分から始めたいと言ったピアノですが、先生より母が鬼でした。(笑)
自分が昔、習い事をさせてもらえなかったという反動と、何でも「できて当たり前」的家庭環境に育った母は、一つのミスも許してくれません。習いたて早々からそんなに完璧に弾けるはずもなく、酷い時は椅子から蹴落とされたり定規で手の甲叩かれたりしました。
せっかく「やりたい」って始めたのに、これじゃ逆効果でしょーに……
と今では思いますが、母もまだ若かったし、ピアノ高かったし、必死だったのだろうとーーしかし、ほんと酷かったな。歳を重ねるにつれて、虐待と紙一重な(笑)折檻はなくなりました。
そんなスパルタママが一段と熱帯びたのが、これもまた発表会前。どうしてバレエといいピアノといい、いちいち舞台に立たなんいベントがあるのでしょう。
私はこのイベントが大嫌いでした。
何故かというとーーその実、小心者だったから。バレエは間違えても多少アドリブ利きますが、ピアノは音そのものなのでミスが明確に判ってしまいます。それが嫌で嫌で堪らないのに、発表会になると、普段の練習以上にミスして収集つかなくなってしまうのです。
いわゆる、負の連鎖ってやつですね。間違えてもいいから楽しく弾こう、ではなく、間違えたらもうダメだと思っていたのです。
当時のピアノの先生は超がつくほど生真面目な先生で、レッスンもバイエル・ブルグミュラー・ソナチネといったセオリーカッチリレッスン、母もこれまた四角四面に『できて当たり前』を押し付けてくる人でーー私、よくピアノ嫌いにならなかったなぁーーなんて思えるほど、叱られてばかりのレッスンでした。
入院してからは、自宅に来てくれる近所の母友先生のアイデアで、セオリー通りのソナチネやバッハの他、映画のサントラなど簡単に譜面に起こした教本を選んでくださって、少しずつピアノの楽しさが感じられるようになりました。
高校生になると、通える時に学校帰りなどに寄れるレッスン場で初等教育に必要なグレード資格取得を勧められて、聞き取り譜面起こしや声楽もやりました。これはこれで面白かったです。楽しめたから続けられたのかもしれません。
大学に入ると今度は、年に一度祖父の病院に来られるプロのピアニスト(肝心のお名前忘れました……女性です)がレッスンしてくださいました。タダで。(笑)
この頃になるともう、ピアノは遊びで弾く程度。
社会人になって、数年後。実家を改装する時に、母から電話が。
「あんた、ピアノ引き取っちゃらん?」
「引き取っちゃらんて、六畳一間のおんぼろアパート住んどぉのに、無理やろ」
「そうかて、改装の邪魔になるっちゃもん。あんたのピアノやけん、あんたが何とかして」
邪魔になるってあーた。その昔、六畳二間にデデーンとピアノ置いとった御仁が何を言いなさるやらーー
急遽実家へ帰り、電話帳で中古ピアノを送料無料で引き取ってくれる業者を探し、最終的に出張買取をしてくれる中古楽器業者に電話して……その日のうちに、5万円で引き取られていきました。
元は、母がグランドキャニオンから飛び降りて購入したピアノです。5万円は母に受け取ってもらいました。
その後。実家にピアノはなくなりましたが、結婚後しばらくして、夫が電子ピアノを買ってくれました。
たまに、弾いています。猫踏んじゃったとか。(暴)
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プロフィール
HN:
莢猫
年齢:
50
Webサイト:
性別:
女性
誕生日:
1973/09/06
職業:
自由業
趣味:
ビーズ細工・ドライブ
自己紹介:
詳しくはカテゴリー『プロフィール』で。
A型乙女座長女なのに、近頃は、AB型とかB型とか星座はともかく末っ子とか一人っ子とか言われる、ゴーイングマイウェイ主婦。
A型乙女座長女なのに、近頃は、AB型とかB型とか星座はともかく末っ子とか一人っ子とか言われる、ゴーイングマイウェイ主婦。
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