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猫空世界〜あんなことこんなことあったでしょー記〜

生まれて初めて触った動物が猫だったサヤネコです(以来ネコ好き)。 十二の時に死にかけ、三十代にも死にかけましたが、まだ生きています。死にたいと思った事も多々ありますが、なんだかんだで生きています。 生かされている事に感謝して、シャーマン始めました。 シャーマン始めることになった話以降は、はてなブログ『超自然主義生活』で記事更新中。

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ネット環境は整いましたが、室内はまだまだ落ち着かない環境です。ご近所との交流も始まったばかり、新築物件への引越なのでお隣さんもお向かいさんも、きっとまだ落ち着かないことと思います。

平屋のメゾネットタイプ借家には住んだことがあるのですが、二階建ては初めて。初っ端から膝痛めました……どんだけ貧弱なん……

トイレットペーパーホルダーが何故か二個付けホルダーで、前の家で使っていたコアノンロールがはめられるホルダーに付け替えてやりましょとドライバー握ってトイレに入ったら、何とホルダー止めているネジのネジ山が潰れていました。新築なのにーー !!
前の家では水道蛇口取り替えるのにモンキースパナ購入しましたが、ここではやっとこの進化形?ネジザウルスを買いました。いたずらに工具が増えていく……

その他、玄関ドアのドアストッパーが最初から壊れていたり、廊下から風呂場・階段にかけて『何か』がいたりーー新築だけど、障り多し。

ドアは不動産屋に電話して、廊下の角(鬼門)と二階上がってすぐの壁(裏鬼門)にお寺からもらってきたお札を貼りました。
鰯の頭も信心から、ですよあーた。

疲れた(憑かれた)というのも禁止。充実したとか頑張ったとか、前向きの言葉に言い換えてーー話を戻しましょうね。

廊下にいた『何か』はその後私の部屋に移動してしまったので、伊勢のお札を持って部屋に入り、窓を開けて追い出しました。

最近、左こめかみがズキッとすると「何かがいる」というのが判ってきたため、左こめかみが痛む所にはなるべく近づかない、我が家でそんなの感じる時は、しっかりその場を塩でお祓いします。
節目の日にお清めの塩を買うと良いそうなので、5月5日に盛り塩グッズ買いに行こうと思います。(節目の日というのは二十四節気のことだろうと解釈しています)

某妖怪漫画の主人公友人みたい……は、さておき。

1日1記事スタイルできましたが、これからは、はてなブログ『超自然主義生活』で、誕生日である『6が付く日』に1記事でいきたいと思います……できるだけ、挿絵も込みで頑張ります。ここ忍者ブログでは、昔の体験談など思い出した時に更新していきます。

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『礼は急げ』という記事を作っておきながら、お礼遅れて申し訳ありません。(汗)
毎日記事に拍手御礼入れるのはさすがに厳しいので、コメントをある程度いただいてから頂いたコメントへの返事をしようと思っております……どうぞお許しください。

注射針に関する失敗は、私の血管が細いために採血などはしょっちゅうあります。細い針使った方がいいよと言っているのに、太い針ブッ刺して失敗された時には怒りを通り越して「言わんこっちゃない」という心境になります。
看護師さんには、自分の技量をしっかり把握しておいて欲しいものです……患者の意見もたまには耳に入れてください……お願いします。

膀胱炎の痛みや、言わんや、ですね。生理痛と同じく悶絶級で、救急車呼びたいくらい痛んだ事もありました。
かといって、この年になるとトイレ我慢しない生活を続けていると今度は過活動膀胱になってしまうという面倒な器官。お互い、身体あちこち労わりましょうね。

ガンは細胞老化から起きる病でもあり、誰もが発症の可能性を持っている病とも言えるのではないでしょうか。
だから、皆さん、怖がる事はありません。誰もが『死』に向けて生きているのですもの、もしガンが見つかったら、早めに対処、おいしいものを食べて、趣味もめいっぱい楽しんで、明日死んでも悔いのない今日にしましょうーーと、私は考えています。

白血病やった時に体験した、辛い抗ガン剤治療はやらないつもりです。放射線治療も、昔のような『良し悪し一緒くた』な治療であればやらない。
医療の技術は日進月歩なので、もし、ガン細胞をピンポイントでやっつけられる医療が確立したなら……やってもいいかな。うん。

私自身、正月入院以来、血液検査は毎度CRP(身体のどこかしらに炎症があることを示す)数値が標準より高めーー身体のどこかが『化膿しかけている』状態ですから、いずれ何かしらのガン発症してもおかしくないと思っています。

子どもの頃、母が私にかけてくれていた生命保険会社は、白血病にかかった私のことを『死亡扱い』していました。←大人になって、自分で生命保険契約しようとした時に知りました。審査で落ちた理由がコレ『死んだはずだよサヤネコさん ♪ 』いやはや、驚いたのは言うまでもありません。
確かに当時『白血病』といえば必ず死んじゃう病気のように世間は捉えていましたから、『そっか。私は一度、死んだんだ」と、妙に納得。

その後、飼い猫生活になって敗血症やった時には、悪友から、

「普通、死んどるやろ」

と言われ、『私また死んだのね。よくもまぁ、よみがえってきたわ』と思いました。
こうして、さんざん病気してきた私が、なんだかんだでまだ生きているのですから、あなたもきっと大丈夫。
落ち込んだ時でも、へこたれそうになった時でも、私はあなたにこう言い続けます。

「大丈夫だよ」

そういえば、プールに入る前、これでもかというほど塩素臭い消毒液の浴槽に腰まで浸かるよう言われていましたね……子どもがお風呂に入った時のように「ゆっくり10数え」ながら中腰のまま腰を振り……中学までこんなでした。
高校になると、プールの水自体が塩素臭くなって腰まで浸かるのは無くなったような。もう一度アレをやれと言われても、とてもやれそうにありません。(苦笑)

結婚記念日なるものが自分の人生に加わるなんて、29歳までは思いもしませんでした。何せ、自分で言うのもなんだけど超がつくほどの独身貴族万歳主義。
本当に、結婚願望はおろか、彼氏1人に縛られるのも嫌、中央アジアのどこか忘れましたが『一妻多夫制』が羨ましかった。ワガママ極まりなし。(笑)

飼い猫生活になり、十余年……『一夫一婦制』にも慣れましたが、たまに思います。飼い主様が浮気したら、私も浮気するのに。という訳で飼い主様にも言っています。

「浮気、してもいいよ(私もするから)」

飼い主様曰く、

「絶対せん! (だから浮気するな)」



拍手、ありがとうございます。3月9日から約2週間、高熱鼻風邪にやられていたため、24日から怒涛の勢いで毎日記事をまとめて追加しました。

私情ではありますが、13日は母方祖母の一周忌、18日は引越とあれこれ並行して作業できない私にとって、多忙極める週間になりそうなので、10日から引越先のネット環境が整うまでの間、しばらくブログお休みします。

いつもここに訪問してくださって、ありがとうございます。これからも日々思うこと、思い出したことを伝えていきますね。
とにもかくにも、日本中で一番めでたい晴れの日に入院だなんて、私自身ありえない状況でした。しかも、飼い主様の対応も酷かった……病院へ連れて行ってくれたのはいいけど、動くのがきついのに受付の手続きから窓口に行くのまで私にさせようとする始末。

「私がこんなに動くの大変なのにあんた何なん? 思いやりの欠片もないっちゃね!」

どんなにきつくても口だけは達者な私(笑)。これ以前、休日にインフルエンザで急患センターに連れて行ってもらった時も、高熱でうんうん言っている私に手続き全部させた御仁でしたものでーー二度はないだろと思いましたよ、ホント。
まあ、言えばしてくれるので、どんどん言うつもりです。てか、きつい時は状況で解ってくれよん……が、本音ですが。

私は盲腸こと虫垂炎はやったことがありません。妹がやりましたーー私が高校生の頃で、体調が良い時は学校帰りに病室へ行き、さんざん笑わせては泣き笑いさせていました……お腹切った後、笑うと相当痛いのは、自分が開腹手術を受けた時に体感。
笑いは病克服に役立つと言われていますが、ケースバイケースです(苦笑)。

朝、どうしても早起きしなくてはならない時は、ケータイの目覚まし音量を最大にしてなるべくうるさい曲を目覚ましメロディーに設定してスヌーズも最大回数6回に設定ーーここまでしておいてから、寝ます。
よほどの爆睡でない限り、最初の一回目で目が覚めます。が、今までに二度、スヌーズも終わっちゃっていることがありました。どんだけー !?
その後の予定が狂いまくったのは、言うまでもありません……

昏睡状態に陥ったのは、正月入院で診断されていた敗血症のせいではないかと私は思っています。が、次に入院した総合病院では敗血症ではなく血栓症の疑いとされましたーー結局、はっきりした病因は判らず終い。
今も定期的に血液検査をしていますが、今だCRPの数値は正常よりやや高めです。原因は不明です……すっきりしない……

結婚して最初の5年くらいは食卓の上をぬいぐるみが飛び交いましたーー最近はだいぶ落ち着いて、ぬいぐるみ達もだいぶ置物化しています。でもやっぱり、たまにしこたま投げつけたくなることがあります。近頃は投げつけると保護されてしまうので、私が一方的に投げて終了。合戦になりません。

数年前までは3〜4ヶ月に一度は泌尿器科のお世話になっていました。子どもの頃に膀胱炎になって以来、忘れた頃にやってくる持病の一つです。膀胱炎はトイレを我慢し過ぎるとなる病気と言われていますが、だからと言って少し尿意を感じただけでトイレに行っていると今度は過活動膀胱になってしまう……これ、バランスを取るのが難しいです。
最近は、膀胱炎になっても「なるべく膀胱に尿が溜まるまで待ってからトイレに行くように」と指導されています。目安は200〜300ml / 1回 、トイレに行く回数多いなぁと思う人は、トイレに計量カップを置いて排尿量チェックするのをお勧めします。

トイレットペーパーの芯アートは、飼い主様は一つも見ないままだったので「自分にも書いて欲しかった」などと言い出しーー家に帰ってからは、ラップやペーパータオルの芯に描いています。ことごとく飼い主様のコレクションになっています……何の役に立つやら……飼い主様曰く、

「定年後に『フニャ絵美術館』造るから、どんどん描いて」

どこまで本気なのか分かりませんが、美術館となると相当作品数必要ですねーーうん、描くよドンドン。
……ネット上で描いている絵はどうするつもりなんだろ……ここの絵はほぼペンタブなん……

という訳でーー今、毎月、闘病仲間に送っている絵手紙のきっかけは、トイレットペーパーの芯でした。(笑)

ディナゲスト服用を続けるのは、その薬が自分に合っている人だけでいいと思います。私の主治医は薬が合っていないようだと訴えても変えてくれませんでした。どんだけ薬価で稼ぎたいとねって感じ。
通院の度に状況伝えているのに薬処方だけで何も対処してくれない医師が主治医ってどうよ……痛みに比例して怒り膨れ上がったのは、言うまでもありません。

大学時代の4年間、開業医宅に居候していた私ーーだいぶ薬に詳しくなったのではないかしら。薬の飲み方を誤って失神起こしてからは、通院の際は必ずお薬手帳を持って行っています。
もし、どこかの病院で薬を処方されたら、きちんと記録を取っておくのをお勧めします。副作用などの不具合があった時もお薬手帳に併記しておけば、後々二の舞にならずに済みますから……

私が入院した病棟は、入院してから知ったのですが婦人科ではなく産婦人科でした……事務の人曰く、

「婦人科の個室が満室で、申し訳ありません」

って、あーた。産む人が入院するフロアに子宮取るモンが一人いるってどうよ。三日ほどで入れ替わる担当看護師さんもことごとく『助産師』の肩書き付き。中にはカルテも見ずに来たやら、分娩がどうとか破水したらどうとかのたまう看護師さんもいたりして、なんとも言えない気分になりました……挨拶しに来る前に、カルテに目を通しなさい。

まぁ、病棟が産婦人科であっただけに食事は豪華でした。やや味濃いめでしたがどれも美味しく、しかもガテン並に大盛り! こんだけ食べていたら本当に元気な赤ちゃん産めそう……
こんなに豪勢な食事なのにーーフロア散歩中に度々ゴミ回収ワゴンと遭遇して驚いたのですが、お菓子やお弁当やジュースなどのクズの多い事!!
また、ご家族の人などお見舞いに来られるのに「あんたご飯足らんて言いよったけん肉まん買ってきたよ」とか「あんたが食べたいて言いよった果物持ってきたよ」と今時珍しいフルーツ盛りを病室に持って入るご家族を目撃したりとか……どんだけーーーー!?

私は毎食、完食できずに残していたというのに、恐るべし妊婦さん! でした……

拍手、ありがとうございます。体調管理に徹しつつ、少しずつ更新していきますね。


親の干渉はなんだかんだで一生続くものだと、最近は諦めも付いているものの、当時は解放されたいばっかりでした。親のありがたさも(それに必ず付随する迷惑も)、身内だからこそと思えるようになったのは結婚してから……何より、達者でいてくれることがありがたいです。そう、自分に言い聞かせています。(笑)

女の子の恋愛対象は『父親に似た人になりがち』というデータがテレビで紹介されているのを中学だか高校生時分に見たことがあって、「うちは絶対ありえない」と思っていた私。実際、初恋の彼は父とはまるで正反対のような優しい人だったから、同じような年上彼氏が父と被った時のショックは例えようのないものでした……今の飼い主様がそんな御仁でなくて、本当に良かったと思っています。

私の大学時代の親友は姑運がとても悪く、あまりにも険悪な雰囲気に体調崩してしまったのを見て、可哀想に思ったことがありました。彼女の夫がしっかり対処してくれたようで、その後は姑と接触しない生活を送っています。
私自身は姑とのトラブルはありませんし、『孫』でもありますから、彼の両親とは程よい距離感を保ちつつ、甘えられるところは甘えて、お礼の気持ちは電話や手紙でちゃんと伝えるようにしています。

私のきょうだいと父との確執は、多分に母からの影響もあると思いますが、それ以上に、父自身が増幅させていたように思います。とにかく家族に対しての接し方が、これでもかというほど不器用な人でした。
自分から四面楚歌の状況を作り出しておきながら本当は寂しいーー私の中にもある、父から継いだ『嫌な部分』は、私の半分を占めている訳でして……父を全否定はできません。
ああ、だから、今でもうちに来るのでしょうね、多分。

私の『遊び友達』のネットワークは『相互扶助』『面倒事は持ち込まない』が基本だったので、どうにかすると二股彼の彼女とも仲良しというか電話番号の交換までしていた子がいたほどでした。たまに、「ショッピングモール行きたいけど彼が車出してくれないから一緒に行かない?」と足代わりに呼ばれたり、食材持って「これで何か作ってー」と家に遊びに来たりーー元気にしているかなぁ、彼女達……性別問わずのネットワークでした。

そんな遊び友達の中でも、ダントツでお財布の面倒見が良かったのが、現在の『飼い主様』でした。もちろん、金銭面でのバックアップだけでなく、その使い道などについては厳しくチェックする人でもありました。
気前はいいけどケチーー矛盾しているけど、こんな形容がピッタリの飼い主様です。宵越しの金は持たねー主義的私には、バランスの取れた伴侶であろうと思われます……

低血圧は白血病を患ってからなったものと思われます、というのも、小学時代は早起きは全然苦でなかったから。
いつからだろう……高校時代にはもう朝起きた後のぼんやり感酷かったような気がします。大学になると毎朝、家政婦のOさんや祖母から起こされていました。
一人暮らしが始まると目覚まし時計と電話の目覚まし機能ダブル対策で何とか起きていました。
そして、結婚してからはーー読み聞かせの朝以外は、起きませんでした。(笑)
今となっては朝寝・又寝は当たり前。たまに目が覚めた時くらいは飼い主様の出勤を見送ります。

「いってらっしゃーい。気をつけてねー」

ここだけの話、一度ハトを(食べるために)捕まえてみたいと思っています。だって、その昔というか私が子どもの頃は、焼き鳥屋さんでスズメが食べられたのですもの。今は見ないけどーースズメは今や絶滅危惧種の鳥ですからねーー血抜きの方法とか、勉強せなん。イングランド行くかぁ?(笑)
子どもの頃は「ハトは伝染病を持っているから触ってはいけない」などと言われていましたが、触っても何の伝染病だか知りませんが病気を発症することがなかった私は、ハトが何かしら病気を持っているというのは当時のデマだったのだろうと思っています。

食べられる野草については、子どもの頃に母が教えてくれたのと、社会人になった時に友達が買ってくれた『食べられる山野草』という本を愛読した知識が由来です。
本当に生活費ギリギリだった頃は、クローバーなどは常食する草の一つでした。タンポポの根を掘り起こして本物の『タンポポコーヒー』も作りました……コーヒーには程遠い味でした。うん、超エグイ味。杜仲茶の比ではありませんでした。(意見には個人差があります)

夫婦喧嘩はいつ何時起きるか分からないものです。私の場合、なるべく鬱憤溜めないようにちょいちょい小出ししています。後ろから飼い主様の『下痢ツボ』押したり(下痢ツボは通称で、ツムジの事です)、脇をくすぐったり、あまりにイラついている時は、通称『投げ猫』ぬいぐるみを投げつけたり……飼い主様には「DV反対」とたまに言われますが……元凶はあなたなのよ解ってます??

主治医の『そりゃねーぜ発言』は子どもの頃から度々聞かされていますが、時にはドクハラ的発言にイラッとすることもありました。大人になってからは、主治医の言うことに納得できなければとことん食い下がりーー医者にとってはうるさい患者であったろうなと思います。(苦笑)

私が当たり前と思っていた餅つきが特殊であるのかもしれないと思ったのは、幼稚園で餅つき大会があった時のことでした。『何か違う』という違和感から、自分のところの餅つきの方が特殊なんだと自覚したのは小学校で餅つき大会があった時のことでしたーーはよ気付けよ(笑)。
よくよく考えてみると、昔話など絵本に登場する餅つきは自分のところの餅つきとは全く違っていましたね。貴重な餅つき方、次世代にも受け継いでいくべきと思います。

今まで体の中で燻っていたモノが一気に噴き出したのが、38歳から39歳の年であったように思います。二度の救急車、思いもよらない症状に振り回された一年でもありました。
以来、体調の浮き沈みに一喜一憂する日々……早く健康になりたい !! 白血病闘病時のように、ゼロからの出発と思い、体質改善に心がけていきます。

たくさんの拍手ありがとうございます。これからも体調に合わせつつ更新していきますね!



小さい頃から、どういう訳か歌うの好きでした。しかも、小さい頃になればなるほど、人前で歌うのが好きだったようです……記憶にはありませんが。(苦笑)

今では、湯船に浸かった時に鼻歌程度です。カラオケの空間は、実は苦手……押し入れで寝るのとか好きだったくせに、暗く区切られた空間が息苦しくて。押し入れとの矛盾は自分でもよく分かりません。

私は大学の時の心理テスト以来、ちゃんとした『自閉症』診断は受けていません。いい機会なので、心療科かかってみようかしらん……きちんと診断受けたら、後日報告しますね。

『酒は百薬の長』なんて、昔の飲んべえが考えた方便だとーー私も思います。今はすっかり下戸です、多分。

大概、飲助だった私も、深酒が過ぎて二日酔い三日酔いになることはありましたーーだいたい、そうなる時は決まって頭の中に『回転木馬』がエンドレスで流れます。くるくーるまーわーるーーーー♪ かいてーんもーくーばーーーー♪

編み物は、棒は全然ダメ、かぎ針は頑張れば少しはできる程度で、大学時代は祖母に手取り足取り教えてもらって、帽子を編んだことがありました。
形になったのは、その帽子だけ……ぐふっ。

カマキリに限らず、生き物の卵って神秘的ですよね(笑)。やらかしたのはうちの弟だけではないのですね。今度、兄弟がいる友人にも聞いてみます。

私の父は、うつ病から逃げるために酒を飲んでいたように思います。楽しむお酒が苦しむお酒にならないよう、摂取量は自分自身とよくよく相談しつつ、ですね。
何より飲み過ぎないのが一番です。飲めなくても、楽しめるものがあればそれでよし! ということで……

免許取りたて、初心者マークの1年間は、本ッ当に事故の多い1年でした。追突は日常茶飯事、通勤ラッシュ時に加えて初心者だったのもあって、ほとんどは「気をつけろよオイ!」と怒鳴られるだけで許されていました。当時追突してしまった皆さん、許してくださってありがとうございます。
帰宅中に居眠りして路肩に脱輪とか、側溝に片輪はまるとか、電柱にサイドミラーこっつけるとか。どんだけ事故起こしたん、私……つくづく、命に関わるような事故でなくて、良かったです。

車の契約は、これまでにないくらい大・大・大激怒でした。あの時、頑として受け入れない姿勢を通せば良かったと、今でも後悔しています。次にそんなことされたら、断固受け入れないつもり。
自分の買物についての契約は本人主体が当然とはいえ、それが家族で共有する物なら、まず家族に相談して欲しいですね。

拍手ありがとうございます。体調の波間に記事アップしていますが、たまに毎日更新できない時も……できるだけ、1日1記事載せられるように邁進していきます。
私の中では、やっぱり一番ダメなのはGですね。ムカデは、噛まれた所があんなに腫れたりしなければ、あまり嫌いな虫ではありません。むしろ怪獣みたいで好き、とまでは言えませんが面白い虫だと思っています。

大人の無神経な言葉が、世の『いじめ』を増幅させているような気がしてなりません。特に、小学校では……先生の何気ない一言が、子ども達の中で伝言ゲームのように歪んで伝わっていじめになっていくケースは、多々あるような気がします。
私は特に6年間、担任との相性が悪く目の敵にされていましたから、2年と4年の時のいじめは辛辣なものでした。毎年担任が変わればいいのにと思いましたね、ホント。
親も、当時は『先生は偉い』思考がまだ残っていた時代だったと思います、私の味方になってくれることは絶対ありませんでした。何につけても「できない、やらない、あんたが悪い」ーー大病やらかさなかったら、とんでもない非行に走っていたかもしれません。

大城先生に出会うまでは、本当に、絵を描く事は嫌で嫌でたまりませんでした。小学低学年までは弟の方がうまくて、コンプレックスですらあったのです。
絵を描くのに、技術を追求しだすと色々難関ありますがーー基本、「これを描こう」という気持ちと、描きたいものを細かいところまでよく見るーー私が『サバ』から絵が描けるようになったのは、その形、ヒレがどこについているのかとか、その数、エラや口、尻尾の形、色や模様はどんな感じか、そういった細かい観察眼を養うことができたからだと思います。

苦手意識は自分で刷り込んでしまうもの、「苦手だからできない」の枠に自分をはめ込んでしまうのはもったいない……「苦手だけど、やればできる」という言葉に置き換えてみてはどうでしょう?
私は裁縫大嫌いです。けれども、縫って作った物は沢山あります。「これは大嫌いな裁縫じゃない、大好きな工作なんだぁ!!」と自分に言い聞かせながら……欺瞞と言わないで(笑)。

父方里に預けられていたのは1歳から数ヶ月で記憶は全く残っていません。母の話によると、まだオムツも取れていない歩きもおぼつかない頃に行って、帰って来た時にはオムツも取れて走り回り、言葉もはっきりした口達者になっていたそうです。一体、祖母は私にどんな教育してくれたのでしょうね。
魚屋や文具屋のおばちゃんが聞かせてくれた話は、どうもその頃の話っぽいです。もう魚屋も文具屋も無くなってしまったので、確認することはできませんがーー病院の通りにあった理容室・電気屋・衣料品店の皆さん一同「こぉんなにちっちゃかったさやちゃん」アクションをしてくれれました。『ちっちゃいさやちゃん』は、よほど印象深かったようです。(苦笑)

ワンゲルは、部室に行ってみると完全な男所帯、女は私一人でした。その時点で、回れ右して「失礼しました」と退出したかったのですがーー白血病を患って体力が全く無い事などは、その場にいた全員に話して聞かせました。
しかし残念だったのは、部員全員彼女いなくて『女性そのもの』を解っていなかった……生理痛が酷かった私、これもトラブルの元になりました。何より、普通の女の子よりも体力無かったのに、男のノリで「どうしてできないんだ」目線で槍玉に挙げられていたのが辛かったです。

彼の『ワンゲルがんばれよ』の言葉が無かったら、1年生の秋で別の部へ移籍していたと思います。仲のいい女友達にしょっちゅう愚痴をこぼし、その度に「大変だねぇ。そんならうちの部に来る?」とか誘われていたので。

20代半ばまでは、「初彼が生きていたら」と恋に挫ける度に思い返していました。『ただの好き』と『恋』と『愛』の違いが全く解っていなかったあの頃ーー言葉としての違いは知っていても解っていなくて、自問自答を繰り返した年頃でもありました。
知っていても解らなければ意味がないーー初めての彼が亡くなってからの行動を、この歳になって振り返ってみたところ、何をしたのかようやく思い出しました。

彼は宮崎の人で、ちょうどワンゲルの秋合宿が宮崎で、解散が宮崎駅だった時。彼の親友に電話してお墓参りに行きましたーー合宿が宮崎と分かった時、手紙を全部荷物に入れて持ってきていたのです。
住所メモを片手にバスに乗り、途中何度か人に聞いて、自分が書きかけていた手紙と彼からの手紙をお墓にお供えしました。
ジュエリーボックスに入っていた指輪はーーどんな偶然だか、母がくれていた銀細工の指輪と全く同じものでした(これは覚えていました)ーーこれも箱ごと、手紙の重石代りにお供えしました。
後日、彼のお父さんから電話があったのも思い出しました……「直接電話するのはどうかと思ったけれど」と前置きされて、お礼を伝えられました。

彼からもらった手紙ですが、中高時代、自分の家に持って帰ったことはありませんでした。彼の家の前で読んで、『読んだよ』アピールのために可愛い手紙折りして、彼の郵便受けに戻していました。親に知られないために徹底していたつもりですが、他所のお宅の郵便受けから手紙出し入れしている制服姿の女。不審者紙一重じゃん! 誰にも通報されなくって、良かった……

拍手、ありがとうございます。過去と向き合う中で、正直なところ一番きつい所にさしかかってきたような気がします、が、滞りなく見つめ直していきいたと思います。
大のオトナでも心砕けそうな告知……ですか……確かに、ガンを患った方々の話を聞いていると、そのように仰る方もいました。けれども、なってしまったものはしょうがない。
逆立ちしたって、その事実は変えられません。当時どうして「あーやっぱり」とサラっと思えたのか、実は、あの時も今もよく分かっていません。
多分私は、他の人より図々しいというかノー天気というか、良くも悪くもバカ??(笑)
空気読めないとか、天然とか、言われる所以がそこにあるような気がします。

病を嘆いて暮らすより、何か楽しい事・面白い事探して暮らす方が、よほどか有意義に生きられると思いますーーでも、きつかったり苦しかったりする時は、周りに遠慮せずきついの苦しいのさんざん言い散らしていますの←プラマイゼロ(苦笑)

G……この世から消えて欲しい昆虫なのに、アイツラとてつもない昔っから地球にいる生物なんですよね……人間ごときが敵う相手ではないのかもしれません。

昨年、伊勢参り・鈴鹿周辺の神社巡りに行ってから、良し悪しの見分けもぼんやりだけど判るようになりましたーーあれ? まさかの霊感アップ??

身内の霊は確かにイラっとしますね……私の所にはたまに父が来ます。「来るとこ間違っとぉやろ、妹んとこ行っちゃり!」って追い返しています。父が死んだ時、「絶対許さん、成仏させちゃらんけんね」と宣言してしまった手前、多少の相手はせなんかもです。←自業自得

私が通った高校は、辺りでは一番校則遵守を重んじる高校でした。それも、就職クラスの子達が社会人になって会社の秩序など乱す事の無いよう、校則による締め付けをより厳しくしているのだという説明を聞きました。
制服をきちんと着る、くらいならまだ理解できますが、どうして髪型にまでどうでもいいような規定を設けたやらーー教育実習でまさかの教師側からの風紀検査も体験しましたが、生徒に納得いくような説明はできなかったなぁ。
「この学校の校則は無駄に厳しすぎるところもあるけど、三年だけ我慢して。卒業した時に思い切り、髪型オシャレ楽しもうね」
って声をかけた記憶があります。

髪型の校則については、生徒手帳に頭部の図が載せてありました。頭のてっぺんからこめかみまでの「前髪の範囲」図は、生徒の間では「魔のトライアングル地帯」と呼ばれていました。
今でも、前髪を作る時はつい、頭のてっぺんから櫛を入れてしまいます。

子どもの頃はクセ毛で剛毛、量が多いと美容師泣かせの三点セット揃っていました。(笑)
特にバレエ(3〜12歳まで週一通っていました)の発表会などで髪を固めないといけなかった時、多分他の子の何倍もグリス必要だったかと……二日くらい、洗っても取れなかったです。
抗ガン剤と放射線治療後は、猫毛・クセ毛になりました。ヘアスプレーつけても「どうしたん、その寝癖」と言われるくらい、まとまらなかったあの頃←大学時代は髪が増える途上だったので、尚更でした。

雨降りの朝は山姥、メデューサとよく言われます。山姥と言われた時は「おどろくんでない(by花咲山)」、メデューサと言われた時は「石になれ」と返しています。(どちらも知らないとよく分からない切り返し(笑))

拍手、ありがとうございます。これからも毎日、更新していけたらいいなと思っています。
習い事にまつわる話もおいおい語っていきますので、お楽しみにーー





パソコン用眼鏡……って、あるんですか? 知らなかった……早速、探してみます。

家事に値段をつけて稼ぐ(お手伝いする)のって、子どもながら素晴らしい知恵!? 親の白髪抜き一本1円は私もやっていました。意外に時間がかかるので、私は100円までしか抜いたことありません。千円は凄い!!

人形の悪夢は……語ると長くなる(と思われます)ので、文章にする勇気が出ましたら、そのうち逸話に追加しますのでーー気長にお待ち下さい。ごめんなさい。
Gとムカデは私も大嫌いです!! これについては後日、逸話あたりで語ります。

修学旅行が保護者同伴というのは、中高どちらもありがた迷惑……いや、ついてきてくれた祖父母には感謝しています……ついてきてくれてなかったら、修学旅行の思い出すらなかったことになりますのでーーゴホンゴホン。お祖母ちゃん、お祖父ちゃん、ありがとう。

急性リンパ性白血病の告知については、本当に「あーやっぱり」という思いしか覚えていません。でも、確かに、病棟の本を読み漁っていたおかげで、それが緩衝材になっていたと思います。
予備知識もなく病名を聞かされていたら、ショック死ーーは、ないな(←図太すぎ(笑))ーー少なからず衝撃は受けたかと思われ……どうしても他人事のようになっちゃうのは、それだけ、無意識に避け続けた事実であったから、かも、しれません。
当時の心理は、本当に、その程度しか思い出せないのです……

たくさんの励まし、アドバイス、コメント、拍手、ありがとうございます。

これからもぼちぼちフニャ絵を書き足しては更新していきますね!

小学時代、男女の精神年齢差ってかなりあったような気がします。男子も集められて性教育のビデオを見たらしいのですがーー詳細は分かりません。いずれにせよ、小学中学年あたりから正しい性教育が必要でないかなぁと思います。
もし、自分に子どもがいたら、いつどのタイミングでと悩みそう……

同室で、ずっと子どもに付き添っていたそのお母さんは、長期入院患者の中では主的存在でした。入院中のゲン担ぎやジンクスに強いこだわりを持っている方で、(その子に比べると)短期で入退院を繰り返していた私の母とはまるで違う接し方をしてくれたお母さんでもありました。
言う言葉はどちらかというときつい物言いなのですが、芯は優しい、そんな感じでした。私と母が感情むき出しに言い争っている時は間に立ってくれたり、鉢植えの件もまるくおさめてくれました。
今なら住所交換などしてお礼の気持ちを表せたところ、当時は自分の事が精一杯で、誰とも住所交換しないまま……自分が病院に行かずに済むようになるまでは、病棟宛てに年賀状を出す程度でーー大人になって後悔して、現在に至ります。←住所交換できたら、余裕ある時に絵手紙描いている次第……

筆が乗る時に、皆さんにフニャ絵をお届けします。(笑)

拍手、ありがとうございます。日々、もたつきながらも、ペンタブを使いこなせるようになってきましたーーできるだけ、毎日パソコンと向き合う時間を作ろうと思います。




そういえば子どもの頃は、仮面ライダーやウルトラマンの他、水戸黄門や暴れん坊将軍といった時代劇テレビも見ていました。
「ひかえおろう、このもんどころが目に入らぬか」
と言って大きな消しゴムを印籠に見立てて突き出したり、両子寺という大分のお寺で印籠形御守を見つけた時は、祖母におねだりして買ってもらったことも。(笑)

今でも時代劇は好きで、特に鬼平と仕事人がある時はテレビにかじりついています。

キューピーの保健ビデオ、見ましたか! 確かに、女子だけでなく男子にも見せておくべき内容ではあったと思いますが、いまだに『何故キューピー』と思います……中学に入ってからは、男女に分けられることなく保健のビデオを見た記憶があります。

拍手、ありがとうございます。できるだけ、毎日更新できるよう心がけていきますね!

プロフィール

HN:
莢猫
年齢:
50
Webサイト:
性別:
女性
誕生日:
1973/09/06
職業:
自由業
趣味:
ビーズ細工・ドライブ
自己紹介:
詳しくはカテゴリー『プロフィール』で。
A型乙女座長女なのに、近頃は、AB型とかB型とか星座はともかく末っ子とか一人っ子とか言われる、ゴーイングマイウェイ主婦。
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