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猫空世界〜闘病生活から超自然主義にならざるを得ない生活になった世界〜

生まれて初めて触った動物が猫だったサヤネコです(以来ネコ好き)。 十二の時に死にかけ、三十代にも死にかけましたが、まだ生きています。死にたいと思った事も多々ありますが、なんだかんだで生きています。 生かされている事に感謝して、シャーマン始めました。

2018/10    09« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  »11
私の中では、やっぱり一番ダメなのはGですね。ムカデは、噛まれた所があんなに腫れたりしなければ、あまり嫌いな虫ではありません。むしろ怪獣みたいで好き、とまでは言えませんが面白い虫だと思っています。

大人の無神経な言葉が、世の『いじめ』を増幅させているような気がしてなりません。特に、小学校では……先生の何気ない一言が、子ども達の中で伝言ゲームのように歪んで伝わっていじめになっていくケースは、多々あるような気がします。
私は特に6年間、担任との相性が悪く目の敵にされていましたから、2年と4年の時のいじめは辛辣なものでした。毎年担任が変わればいいのにと思いましたね、ホント。
親も、当時は『先生は偉い』思考がまだ残っていた時代だったと思います、私の味方になってくれることは絶対ありませんでした。何につけても「できない、やらない、あんたが悪い」ーー大病やらかさなかったら、とんでもない非行に走っていたかもしれません。

大城先生に出会うまでは、本当に、絵を描く事は嫌で嫌でたまりませんでした。小学低学年までは弟の方がうまくて、コンプレックスですらあったのです。
絵を描くのに、技術を追求しだすと色々難関ありますがーー基本、「これを描こう」という気持ちと、描きたいものを細かいところまでよく見るーー私が『サバ』から絵が描けるようになったのは、その形、ヒレがどこについているのかとか、その数、エラや口、尻尾の形、色や模様はどんな感じか、そういった細かい観察眼を養うことができたからだと思います。

苦手意識は自分で刷り込んでしまうもの、「苦手だからできない」の枠に自分をはめ込んでしまうのはもったいない……「苦手だけど、やればできる」という言葉に置き換えてみてはどうでしょう?
私は裁縫大嫌いです。けれども、縫って作った物は沢山あります。「これは大嫌いな裁縫じゃない、大好きな工作なんだぁ!!」と自分に言い聞かせながら……欺瞞と言わないで(笑)。

父方里に預けられていたのは1歳から数ヶ月で記憶は全く残っていません。母の話によると、まだオムツも取れていない歩きもおぼつかない頃に行って、帰って来た時にはオムツも取れて走り回り、言葉もはっきりした口達者になっていたそうです。一体、祖母は私にどんな教育してくれたのでしょうね。
魚屋や文具屋のおばちゃんが聞かせてくれた話は、どうもその頃の話っぽいです。もう魚屋も文具屋も無くなってしまったので、確認することはできませんがーー病院の通りにあった理容室・電気屋・衣料品店の皆さん一同「こぉんなにちっちゃかったさやちゃん」アクションをしてくれれました。『ちっちゃいさやちゃん』は、よほど印象深かったようです。(苦笑)

ワンゲルは、部室に行ってみると完全な男所帯、女は私一人でした。その時点で、回れ右して「失礼しました」と退出したかったのですがーー白血病を患って体力が全く無い事などは、その場にいた全員に話して聞かせました。
しかし残念だったのは、部員全員彼女いなくて『女性そのもの』を解っていなかった……生理痛が酷かった私、これもトラブルの元になりました。何より、普通の女の子よりも体力無かったのに、男のノリで「どうしてできないんだ」目線で槍玉に挙げられていたのが辛かったです。

彼の『ワンゲルがんばれよ』の言葉が無かったら、1年生の秋で別の部へ移籍していたと思います。仲のいい女友達にしょっちゅう愚痴をこぼし、その度に「大変だねぇ。そんならうちの部に来る?」とか誘われていたので。

20代半ばまでは、「初彼が生きていたら」と恋に挫ける度に思い返していました。『ただの好き』と『恋』と『愛』の違いが全く解っていなかったあの頃ーー言葉としての違いは知っていても解っていなくて、自問自答を繰り返した年頃でもありました。
知っていても解らなければ意味がないーー初めての彼が亡くなってからの行動を、この歳になって振り返ってみたところ、何をしたのかようやく思い出しました。

彼は宮崎の人で、ちょうどワンゲルの秋合宿が宮崎で、解散が宮崎駅だった時。彼の親友に電話してお墓参りに行きましたーー合宿が宮崎と分かった時、手紙を全部荷物に入れて持ってきていたのです。
住所メモを片手にバスに乗り、途中何度か人に聞いて、自分が書きかけていた手紙と彼からの手紙をお墓にお供えしました。
ジュエリーボックスに入っていた指輪はーーどんな偶然だか、母がくれていた銀細工の指輪と全く同じものでした(これは覚えていました)ーーこれも箱ごと、手紙の重石代りにお供えしました。
後日、彼のお父さんから電話があったのも思い出しました……「直接電話するのはどうかと思ったけれど」と前置きされて、お礼を伝えられました。

彼からもらった手紙ですが、中高時代、自分の家に持って帰ったことはありませんでした。彼の家の前で読んで、『読んだよ』アピールのために可愛い手紙折りして、彼の郵便受けに戻していました。親に知られないために徹底していたつもりですが、他所のお宅の郵便受けから手紙出し入れしている制服姿の女。不審者紙一重じゃん! 誰にも通報されなくって、良かった……

拍手、ありがとうございます。過去と向き合う中で、正直なところ一番きつい所にさしかかってきたような気がします、が、滞りなく見つめ直していきいたと思います。

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プロフィール

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莢猫
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45
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性別:
女性
誕生日:
1973/09/06
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趣味:
ビーズ細工・ドライブ
自己紹介:
詳しくはカテゴリー『プロフィール』で。
A型乙女座長女なのに、近頃は、AB型とかB型とか星座はともかく末っ子とか一人っ子とか言われる、ゴーイングマイウェイ主婦。

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