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猫空世界〜闘病生活から超自然主義にならざるを得ない生活になった世界〜

生まれて初めて触った動物が猫だったサヤネコです(以来ネコ好き)。 十二の時に死にかけ、三十代にも死にかけましたが、まだ生きています。死にたいと思った事も多々ありますが、なんだかんだで生きています。 生かされている事に感謝して、シャーマン始めました。

2020/06    05« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  »07
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今までの記事でも度々語っていましたが、父は鬱持ちで深酒が過ぎる人でした。飲酒運転の常習犯で、何度通報してやろうと思ったことか……事故を起こさなかったのが奇跡的。言わなかっただけかもしれませんが。人身事故が無かったのが不幸中の幸い……飲酒運転はダメ、絶対。

ーーあの日は当時『海の日』で、弟は就職試験を受けるために実家に帰ってきていたそうですが、父と弟の確執も相当なものでした。おそらく父は酔った挙句、当てつけで自殺したものと思われますーー

父が死んだ日、私の家にやって来た『うざいオッサンの霊』は父だったんだーと葬式の時に気付きました……あの時実家に帰っていたら、まだ父は助かったかも? いやいやいや、たとえ父だと判っても、塩撒いたな。

当時、結婚までは考えていなかったものの、円満離婚を果たした元監督さん彼のご両親と顔を合わせていたので……初詣の帰りに突然連れて行かれました。聞いてねーよー! ……仕方なく、私も両親に紹介するタイミングを計っていましたが、最大のネックが父でした。

大して父親らしい事はしてこなかったくせに、「男を連れてきたら一発殴らせろ」などと偉そうなことを言っていた御仁です。性格上、本当に殴りかねません。
こんな父に彼を紹介したら、今一番私の生活を支えてくれている柱がなくなっちゃう。切実な問題として、父を何とかしなければ……そうだ、殺そう。

本気で『完全犯罪マニュアル』本を読んだり、『今すぐ死んぢゃえ』と真剣に念じていた矢先のことでした。

それもあって、彼が父の顔を見る機会は葬式になりましたーー念ずれば通ず?

初七日も済んで新保証人用意or退去となった私は、まとまったお金は全て同居彼女に渡してしまって、自分のことは何も考えていませんでした。
強制退去まであと半月。他に保証人になってくれる人も見つけられず、彼に相談したら、

「今住んでいる所、部屋空いてるから来る?」

同棲やルームシェアには懲りていたものの、背に腹は代えられません。引越代も用立ててもらって、彼の住むマンションへ転居しました。ただし、同居の条件が、『遊び友達とは縁を切ること。タバコをやめること。ただいまビールを減らすこと。』

彼はこの時『再婚』を念頭に置いていたようです。正月に無理やっこご両親に会わされていたので、薄々は気づいていたもののーーこんな私を妻にする気になるとは、大したお方……
私も覚悟を決めました。

四十九日も過ぎてから、母と彼両親の顔合わせ会食の場を設け、(彼は多忙だったので、彼抜きで)両家ご挨拶会開催。彼のお父さんもお母さんも私の母も、出身地があまりにも近かった事が判明ーー母とお母さんがローカルネタで盛り上がり、すっかり打ち解けた雰囲気になりました。

最後に、彼のご両親から、

「うちの息子はバツイチで申し訳ないけど、別れんでね」

と念を押され、母は母で、

「帰されんごとしなさいよ」

と念を押されーーあっという間に『結婚』する事が決まってしまいました……

父が死んでいなかったら、こんなにトントン拍子に話が進むことはなかったでしょう。こんな言い方するのもなんだけど、死んでくれて、ありがとう。

でもね。

母が妹を妊娠した時、「一生面倒見ますけん、産んでください」って言っていたのは覚えているんだよ。これだけは絶対、許さんけんねーーという訳で、法事の時以外は線香一本もあげていない私。

今でもたまに、玄関の廊下に来ます。

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仕事も順調に覚え、複数の部署を掛け持ちできるようになった頃。「社員にならないか」とライン長に声をかけられていたものの、社員と派遣の給料があまりにも差があって「そのうち地元に帰るつもりなんで」と断っていたところ、工場自体が倒産の危機に陥る事件が発生!
パートと派遣社員が全員リストラされる緊急事態になりました。

とはいえ、派遣先はそれなりにあって、当時は福岡・愛知・長野という選択肢がありました。私は迷わず地元福岡を選択。ちょうど、福岡に拠点を移したいと言っていた北海道の親友が家を探すのに苦労していると聞き、ルームシェアを持ちかけました。

私はそれまで借りていたアパートを解約。メゾネットタイプの平屋を借りて、家賃は稼ぎの良かった私が負担、共益費だけ折半にして二人で暮らし始めました。

ルームシェアをすることになってから、更に遊び友達は激減……数えるほどになりましたが、彼女との暮らしはそれなりに楽しいものでした。

その頃、派遣の仕事も嫌いではなかったけど自分のやりたいことにも挑戦してみたくて、アクセサリーを作りまくったり、絵を描きまくったりしたもののーー作って描いて、そこで終わってしまう私に、彼女は相当呆れたようです。

更にーー良く言えば不言実行、悪く言うと彼女に相談する前に行動する私は、自分が気付かないうちに、彼女を振り回してしまいました。

同棲と同じで、同居生活も相手を思いやってこそ成り立つもの。

自分のことだけで精一杯、全然彼女を大事にしていなかった私はーー借家の期限が突然切れた時、彼女との縁も失くしました。

それは、冷房がないと耐えられないくらい暑い夏。半端に霊感の残っていた私は、玄関に何か『うざいオッサンの霊』が来ているのに気付き、彼女にそれを打ち明けました。

「あんたねぇ。私はそんなもん全然感じないタチだから、そんなこと言われる方が恐いわ! そんなに気になるんなら塩でも盛っとけ!!」

と怒られました……その次の日。普段は、深夜の電話受けるのが面倒で電源切って寝ていたところ、その日は何となくケータイの電源は切らずにいました。
眠れずにゴロゴロしていた深夜、弟から電話がかかってきたのです。電話を取るなり、

「オヤジが死んだ」
「……はっ!?」
「だけん、オヤジが死んだっちゃ。今すぐ実家帰ってきて」

電話はすぐ切れて、私は慌てて着替えーーかなり大声で『はっ』と言ってしまっていたらしく、彼女も部屋から出てきて、

「どしたん? 何があったん?」
「オヤジが死んだ」

気が動転していた私は弟に言われた言葉をそのまま口にしてしまい、彼女から両肩を叩かれました。

「落ーちー着ーけ。Tシャツ裏表! 今から実家帰るなら安全運転で」

と気遣ってくれました……

ーー父の話は別の記事で語ることにしてーー夏場でもあったので、葬式の手続きも速やかに済ませ、葬式・火葬・納骨も済んで、やっと自分の家に帰ると、

「何で連絡くれなかったん? それに、何、この書類」

家族葬にするからと母に言われて、彼女に連絡していなかった私は、それでも誰かに伝えておかないと、と、元監督さんの彼には電話していたのに、色々と私の世話を焼いてくれていた彼女のことは頭からすっかり抜け落ちていました。
しかも、彼女が持っていたのは、住んでいる借家の管理会社からの書類で、『保証人死亡につき、一週間以内に新たな保証人を立てるか、1ヶ月以内に退去するかしろ』といった内容のものでした。

事実、その物件は父と繋がりのある業者が建てたメゾネットで、父が保証人になってくれていました。父の死については会社経由で伝わったようです。それにしても、早過ぎる……と嘆く間もなく、

「私、もう出て行くから」

と彼女に宣言され、更に気持ちが落ち込みましたーー自業自得だと悔いても、時既に遅し。

私は彼女に迷惑料として、先に母から『父の遺産』として持たされていた現金を全て彼女に渡しました。お金で解決できるようなことではありませんでしたが、現実問題として、引越にはそれなりにお金がかかるもの。彼女もそこは納得ずくでお金を受け取ってくれました。

父の死がきっかけでなくても、いつかは崩壊していただろうルームシェア。彼女とは絶縁状態になり、私は大切な親友を自分で台無しにしてしまいました。

彼女を愛しているつもりが、ただのエゴだったと思い知らされたルームシェアでしたーー

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隣県に活動拠点を移してから、たくさんいた遊び友達は一人減り二人減り……自然淘汰されていく中、元監督さんの彼と会う回数は増えていきました。
勤務地周辺が温泉地でもあり、自然の景観良い所でもあったので、彼にとっても癒しの地域であったように思います。

ピルは28日周期のものを服用していて、全く生理が無くなるものではありませんでした。ホルモンバランスを考えての処方であったと思うのですが、ピル服用の空白2日も、3シフト制の感覚でどうしてもずれてしまい、日付と数を数え直しては薬を捨てて飲み直すという良くない服用を繰り返しました。

20歳の頃はとても子どもが欲しかった私も、この歳の頃は自分を養うのが精一杯で、子どもを産み育てるなどという考えはゼロになっていました。

そんな折ーー11月の半ば過ぎ頃。ピル服用の休止期間に痛みも出血も無い状態になり、ピル処方の産婦人科へ行くと、「4週目くらいです」と診断されました。すぐに元監督さんに連絡を入れ、中絶する旨を伝えました。
彼はすぐに私の口座に中絶費用を入れてくれて、下ろすことにしたのですが……その病院では、中絶する人は悪者扱いでした。
子宮口を広げるのも麻酔なし。手術ができるほど開くまで、患者たちを雑魚寝部屋のような畳の上に並んで寝かせて、患者が痛みに悶絶している最中、院長の『これは中絶する者への罰である』という説教じみた演説を延々と聞かされた挙句、やっと施術終わり……
「数時間安静にしろ」と言われて日が暮れた雑魚寝部屋で休むも、室内は電灯も点けない真っ暗闇、暖房器具もなく、本当に酷い病院でした。

私はピルの飲み忘れなど自身の油断が要因で妊娠したのですが、同じような油断が理由で妊娠してしまった人ばかりではなかったと思います。何人かは声を殺して泣いていました。
今のご時世、不妊治療など大変な思いをされて、「妊娠したなら産めよ」と思われる方もいるとは思いますーーでも、中絶は、望まない妊娠をしてしまった女性を救う手段の一つである、とも思います。

それに、妊娠は女だけでできることではありません。悪いのは女だけじゃあないでしょう、先生。男の先生でしたが、二度とこんなとこ来るかと思いましたね。その後、ピルは別の婦人科で処方してもらうことにしました。

まだ、ピルの弊害を知らなかったあの頃ーー生理痛緩和剤がそれしかなかったのが、歯がゆくなる事件でもありました。そこまで中絶を悪だと言うなら、いっそ子宮ごと取ってくれよとまで思ったのを、今でもハッキリと覚えています。

将来、子どもが欲しいと思ったら『特別養子縁組制度』や『里親制度』、『海外児童支援制度』など、いろんな形で子育てできるもんもんもんーーと、開き直ることで自分を慰めましたーーって、この時既に、『もう子どもは産まない』と決意していたような気がします……

こう言っちゃあなんだけど、そんな風に思考が固まってしまったのは、あの産婦人科の先生のせいだ。絶対。

余談ですが。当時は供養はせず、死ぬまで自分の傍にいてもらおうと『水穂』という名を付けてずっと心に秘めていましたーーでも、そのまま何もしないのはかえって下ろした子を苦しめていやしないかと思い直し、昨年、くだんの産婦人科まで行きました。
駐車場に車を停め、そこで経本を見ながら般若心経を唱えて、エナジーベルをお鈴代わりに鳴らして……その時、私と一緒に中絶することになってしまった子ども達にも思いを馳せながら、お経を唱えました。

我が家は浄土真宗なのですが、般若心経は割とポピュラーなお経だと思ったし……いいの、供養したいと言う気持ちが伝えられるなら。

供養はしたけど、水穂とはいつでも一緒です。

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生理周期に合わせて働く勤務スタイルに移行していった臨時雇用時代、やっぱり彼氏作るのはこりごり『遊び友達で十分』思考に戻ってきた私。
一年は実家から仕事場や遊び友達の所へ出かけていたのですが、遊び友達が増えてくると実家通いが厳しくなり、みんなにカンパしてもらってアパート暮らしに戻りました。
当時の皆さん、ありがとね。

そんな遊び友達も複数できると、トラブル発生するのもめんどくさい……「付き合いたい」と言う子全員に「他にもいるから嫌なら付き合わん、それでもいいなら付き合う。うちは縛られたくないけん、あんたを縛るようなことは言わん」という恋愛スタイルに落ち着きました。

そろそろ生理来るなーと感じられる時期が休みになるように働き、稼げない寝込み期間は複数の『遊び友達』に養ってもらい、体調がいい時は手料理をふるまい、それぞれの趣味に付き合い、生活のバランスが取れてきた頃。

臨時雇用の新しい職場で、5歳上の監督さんと知り合いました。ところがその監督さん、離婚調停中とかで、いつ見ても沈んだ顔で溜息ばかり吐いているのです。私の他に二人、年配の部下がいたのですが私の母より年上で、二人がかりで物を言われるので私は二人の言いなりでした、は、さておき。その二人に「五百円ずつカンパするけん、監督さんを飲みに誘っちゃり」と五百円玉2枚押し付けられてしまい、仕方なく彼を飲みに誘う羽目に……

聞けば色々と精神的に参っている様子。趣味が温泉巡りと言うので、休日は一緒に温泉地を巡ったりするようになりました。さすがに、離婚調停中ですから、奥様の目に触れるとこじれること必須。
私は臨時雇用の仕事を辞め、社員寮があるという派遣会社の契約社員に登録して、他の遊び友達の意見も聞いた上で、アパートはそのまま借りておき、最低限の荷物を持って隣県の社員寮へ。

ただ、生理周期で休めるような環境ではなかったので、ピルの服用開始ーーその時は服用のリスクより生活重視で、体が資本なのに全く体を労っていませんでした。

6勤2休で早朝・日中・夜間の3シフト制、今までにない勤務体制に合わせてピル服用……たまに飲み忘れては生理周期が狂っていく、今思えば、体調悪循環の始まりでもあったような気がします。

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石の上にも三年の会社勤めも三年目の秋。私は次の仕事を少しずつ模索し始めました。仕事が休みの日に、あっちをふらふらこっちをふらふら……そんな中、9歳年上の男性と知り合いました。
奥さんと別れたばかりのバツイチで、あまりいい噂は聞かなかったのですがーー最初の彼に歳が近く、『都合よく甘えられるかもしれない』と考えた私は、その人と付き合うことにしたのです。

その頃はちょうど固定電話からケータイ電話への過渡期でもあり、私も当時一番電波範囲の広かった会社のケータイを手に入れたのですが……当時は格安プランなどなく使えば使うほど電話代のかかる代物で、固定電話を解約してもケータイ代が家計を圧迫すること多々ありました。

10万超の電話料金支払いが度重なり、出かける時は冷蔵庫以外のブレーカーは全部落とし、ガス栓も開けるのは週一回、その時に一週間分の料理をして冷蔵庫へ。風呂は冬でも水浴びして暮らし、何とか家賃を捻出。
車維持も最低限で、洗車はタダで水が使える所で手洗い、ガソリンは一番安い店で給油、どんなに生理痛が酷くても、病院に行く余裕などなく寝てやり過ごしーー見かねたらしい彼が、

「通勤はちょっと大変になるけど、うちで暮らさない? 家賃や共益費は気にしなくていいから」

と申し出てくれて、やりくり困窮していた私はアッサリ乗ってしまいました。良くない噂は心の隅に引っかかっていたものの、金銭面扶助の誘惑には勝てず、同棲することを決意しました。

その後、彼の斡旋で次の仕事をつないだ私は、石の上にも三年会社を辞めて新たな職場へーー正規雇用ではないので、2ヶ月働いて2ヶ月休む事で更新可能という特殊な雇用形態に身を投じることになりました。
休みの2ヶ月は似たような繋がりの職場へ自分を売り込む電話をかけ、1ヶ月〜2ヶ月綱渡りで仕事をこなす日々。給料は独り暮らしの頃より減りましたが、家賃や食費を気にしなくていい分貯金できるようになりましたーーが。

彼と一緒に暮らしてひと月もすると、今までに聞いていた『良くない噂』が現実味を帯びてきたのです。

私の大嫌いな父と似ている……というか、言動がいちいち被るのです。私の父ほど汚い言葉ではないけれど、言葉や肉体的な暴力が月追うごとに酷くなっていきました。

二言目には『誰が稼いできよぉと思っとぉとや』『ガタガタぬかすと打ちくらすぞ』とがなり立て、本当に殴ったり物を投げつけたりするような父の一番嫌な面が、彼にもハッキリ見えた時、私は……どこかで分かっていたはず覚悟もしていたはずなのに……相当ショックを受けました。

ある日、生理痛の悪化でしんどい時に暴力を振るわれた私は、さすがに堪りかねて母に助けを求めました。母はすぐに駆けつけてくれて、彼に説教してくれたのですが……効果は全くありませんでした。

何度も自己正当・暴力肯定発言を繰り返す彼にげんなりした私は、彼が出張で家を空けた時を見計らって、一旦実家へ、自分の荷物を全部持って帰りました。

この時は、母にさんざん「今まで父親らしい事は何もしてこんかったっちゃけん、協力しぃ!!」と言われ、父も渋々(?)協力ーー母が運転するセダンと父が運転する軽ワゴンに私の荷物をギュウギュウ積み込んで、実家へ。少しは父へ感謝しかけたところが、帰る途中にお腹が空いてきたのかだんだん父が不機嫌に……てんこ盛り積み込んだ軽ワゴンが加速できるはずもなく、都市高速に乗ったものの、左車線をちんたら行くしかありません。

顔をしかめ「腹減った」としか言わなくなった父にげんなり。「今すぐ都市高降りてうどんでもラーメンでも食べりゃーいいやん!」と切り返すと「財布持って来んかった」ーーもう知るか、こんバカチンが!!
言うと運転中でも殴られそうだったので、心の中で叫びました……

絶対、父のような男とは付き合わないと思っていたのに、同棲したのが父のような男だったとは、なんとも皮肉な話です。

昔から結婚願望はこれっぽっちもなく、父方祖母に「さやちゃんのウエディングドレス姿、見たいわ」と言われた時も「いや、絶対ない」と否定して悲しませてしまったこともある私。

この件でなおさら、結婚の『け』の字も脳内から消えたのは言うまでもありません。



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学生時代から少しずつ重くなっていった生理痛は、社会人になる頃には、たまに起き上がれないほどの激痛に見舞われるような症状が現れ始めました。
当時勤めていた会社は女性社員が多かったにもかかわらず、生理痛に関する理解度はこれでもかというほど低く、最初の支店勤めの係長も女性であったのに、私が『休暇名簿』なる帳面に名前と理由を書くと、

「体裁悪かけんが、『腹痛』って書かんね」

などという始末。休暇名簿の但し書きには『偽りの表記はしないこと』と明記してあったのに……

「何が体裁悪いのか、理由を教えてください」
「だって、体裁悪かもん」
「説明になっていないじゃないですか。明確な理由を教えてください」
「……私、分からんけんが、社長に聞いて」

上司のくせに、訳分からん屁理屈こねおって。分からんなら、いちゃもんつけんじゃねー!!!! と、までは言いませんでしたがーー以来、上司は私が挨拶してもこそこそした態度を取り、2年目は上司が変わりましたーー

話、それたな。

良くも悪くも融通きかなかった会社人時代、何が辛いかというと会社の待遇よりも生理痛でした。仕事中に始まると、もうまともに働けない日もありました。

思えばこの頃から、じわじわと子宮の病が進行していたのだと思います。

生理痛で年12日の有休はあっという間に消化、年度も末頃になると欠勤する羽目になりました。心身プラス生活も痛い状況……
女性社員が多いのだからと社長に『生理休暇を設けてくれ』と直談判してみたこともありましたがーー給料減らされただけでした。

こんな会社、もう勤めとられんと思う度に『石の上にも三年』と自分に言い聞かせました。その実、私がこんなにあっさり会社に就職できたのには、訳がありました。
会社勤め2年目に入る頃に知ったのですが、その会社の入社試験を受けるのを知った大学の教授達が、試験を受ける前に会社に電話してくれていたのです。

私を推してくださった先生方のためにも、やっぱり石の上に三年。生理痛で休まなんはきついけど、それが原因で給料も三年間全く昇給しなかったけど、頑張りました。

それだけでなく、大学の先輩方があちこちの市町村で発掘に携わっていたので、他部署の上司や先輩から、

「どこそこの調査員さんから、『さやは元気でやってますか』って聞かれたよ」

などと報告受けると、『今日辞めようか明日辞めてやろうか』という気持ちが、良くも悪くも遠のきました。

もし、私に生理痛がなかったら、文句垂れながらもまだその会社に……いや、それはないな。転職はしていただろうと思います。
とにかく、生理痛とその前後のイライラとで、心も体もそれまでに増して、負の連鎖に傾き始めました……

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社会人デビューが独り暮らしデビューでもあった私は、まだまだ親に管理されている部分がありました。

まず、体力面を考慮しての『健康食品』。一ヶ月に一度まとめて、母が直接持ってきたり郵送されてきたりしました。
次に、電話。十日から二週間に一度は必ず母が電話をかけてきました。
そしてーー合鍵。二本あった鍵の一本は母が持っていて、帰宅するとおかずが鍋に入っていたり、うっ散らかしていたのがビシッと片付いていたり……だいたい置き手紙で『来た』アピールされていました。

あれこれしてくれるのは嬉しいけど、度が過ぎるとただのありがた迷惑でしかありません。

独り暮らしも一年経った、ある日。独り暮らしにも慣れ、その環境を満喫し始めた頃でもあり、いい加減、母から合鍵取り戻さなんと思っていた矢先のことでした。

学生時代、恋でさんざん挫けていた私は、『遊び友達』なら気張らずに付き合えるので、ちょっと『その気』になった時のために避妊具を買い置きしていたところーーそれを私が留守にしている間に母が発見。
帰ってくる頃を見計らったか、電話がかかってきました。母は藪から棒にこう言いました……

「あんた、アレ何よ?」
「アレって何よ?」
「アレよ……キャップ」
「キャップ??」

母が何を言いたいのか察知した私は、

「まだ生活微妙だのに子どもできたら困るやん。てか、もう未成年じゃないっちゃけん、干渉される筋合いはないったい」
「……そりゃそうかもしれんばって……」
「何よ」

日本語にならない呟きが聞こえて、私は一方的に電話を切りました。その足で実家へーー
一悶着の末、母からアパートの鍵を取り上げて、帰宅。

その後は家移りしても、母に鍵は渡しませんでした。心配してくれるのは嬉しいんだけどね母さん。大人になればなるほど、親が干渉できる範囲は狭くなっていくんだよ。そして、いずれは、その範囲もなくなるの。

誰よ、「子どもにはさっさと親離れして欲しい」って言ってたの……この事件まで、合鍵を手放そうとしなかったあたり……母の方が子離れしきれていなかったのかも、しれません。

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4月1日、入社式。本社近くのアパートで一人暮らしを始めていた私。同僚は5人で歳も近く、すぐに仲良くなれたのは良かったのですがーーしょっぱなから心挫かれる事件がありました。

私は、3月半ばから研修期間の半年を先取りで、バイト入社していました。その時に「新入社員は全員、最初の一年は本社採用」と聞かされていたのですが……入社式でもらった本社の机に、私の名前はありませんでした。


よくよく見ると、本社から30キロほど離れた支店の所に私の名前があるじゃあありませんか。社長に直接理由を聞くと、

「新入社員の中で車持っとるのが、あんたしかおらんかったけんが」

理由になっとらん。すぐさま母に電話して会社に来てもらい、「契約違反だろう、本社採用にしろ」と訴えるも、

「その分の手当はつけるけんが、支店行って」

ーー初心者マークが毎日30キロ往復ですかそうですか。その日のうちに辞表書こうかと思いましたが、母から、

「しょうがない、石の上にも三年や。三年、この会社から盗めるもん(技術)はみんな盗んでから辞めり」

と言われて思いとどまり、過酷な通勤生活が始まりました。

その分の手当というのは、実質ただの交通費でした。悔しいので、遠回りした道を先輩社員に教えてもらい、その距離を通勤距離で登録。実際は教えてもらった近道を走って10キロ分、稼ぎました……雀の涙程度ですわ。

こうして、好きでもないマイカーに毎日乗る羽目になった私。けれども、このおかげで、随分と運転技術が向上したと、今では思っています。

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プロフィール

HN:
莢猫
年齢:
46
Webサイト:
性別:
女性
誕生日:
1973/09/06
職業:
自由業
趣味:
ビーズ細工・ドライブ
自己紹介:
詳しくはカテゴリー『プロフィール』で。
A型乙女座長女なのに、近頃は、AB型とかB型とか星座はともかく末っ子とか一人っ子とか言われる、ゴーイングマイウェイ主婦。

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