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猫空世界〜闘病生活から超自然主義にならざるを得ない生活になった世界〜

生まれて初めて触った動物が猫だったサヤネコです(以来ネコ好き)。 十二の時に死にかけ、三十代にも死にかけましたが、まだ生きています。死にたいと思った事も多々ありますが、なんだかんだで生きています。 生かされている事に感謝して、シャーマン始めました。

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卒論の構想もほぼ仕上がり、成り行きで教職免許の資格取るべく教育実習にも行った私。けれども、私の人生目標は『大学で、最低でも一般人ギリギリの体力を身につける』だったので、その先のことはまるで頭にありませんでした。

大学4年の秋ーー数年前にバブル崩壊して就職氷河期の始まりであった当時。どうせ就職浪人するくらいなら大学院に進むという選択肢を進む者もいる中、私は、家庭の事情を考えるとどうしても就職せなんと思っていました……が。
夏休みから自動車学校へ通い始めるもなかなか課程進まず、何を仕事にすればいいかの見当もつかず。

就職案内掲示板の募集を眺めては溜息を吐く日々を送っていました。

就職する業種、場所、あまりお金がかからずに移動できて自分が無理なくできる仕事ーー絵を描くのが好きではあったけど、自分が選んだ学部は史学科。丸暗記に頼っていた高校時代の延長で大学を選び、難なく合格したものの、人生計画がそこまでで止まっていたことに気づいたのは……20歳を過ぎてからでした。

受講していた科目の都合上、取れる資格は中高社会科教員と学芸員で、それが活かせる仕事となると、教員になるか、学芸員の資格が必要な所に就職するしかありません。
口下手で人に物を教えるのが苦手な私はそれでも、教育実習へ行って教員試験・地方公務員の試験も受けに行きましたがーー本気で教員、公務員になりたい人達との温度差を痛感しただけでした。
学芸員になると、もっと無理……

そんなある日、就職の募集掲示板に『学芸員優遇』と記載している会社を見つけました。実家隣県で遺跡の測量専門会社、ここなら、今まで学んできたことも活かせそうーー冬休み、やっと車の免許が取れた三日後。会社の就職試験に行きました。

実家に帰省していた私は、母が教官・妹も同乗した車に乗って、当時『初心者は通らんやろ』と言われていた山道を越えて、隣県の会社へ入社試験を受けに行きました。
初心者マークで山越えした私は、試験を受ける前に頭真っ白。どんな試験内容だったか、これっぽっちも覚えていません! とにかく、激減した気力を無理やり絞り出して試験を受けている間、母と妹はなんと遺跡公園に遊びに行っていました……なんて人達だ……母いわく、

「待っとる間は暇やん」

おっしゃるとおりでございます。

その後、卒論も書き上がって友達とどんちゃん騒ぎをしていたところ、実家から電話がかかってきました。

「あんた、合格通知来とぉよ」

ーー就浪するどころか、就職先もあっさり決まってしまいました。これでいいのか私の人生……この段階では『案ずるより産むが易し』な就職の壁でした。

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中学も高校も、まともに通えていなかった私。大学生になってようやく、ほぼ毎日通えるようになったのですが、その分、人間関係や自分自身と向き合う機会も増え、さんざん悩みました。

一般的に、思春期とは10代半ばから後半に起こる、感情のコントロールが難しい時期のことーー私の場合、中高時代は闘病中で、主に薬の副作用に対する不快さと生理前後の苛立ち、体や思考が思うように働かない歯痒さなどが、感情コントロールできない要因になっていたようです。

端から見ればそれこそ『思春期』だったかもしれませんが、私のそれは、大学時代だったように思います。自分と向き合えば向き合うほど、『脳内自分』が増殖して収拾つかなくなった、あの頃。

だからといってさすがに「死にたい」とまでは思いませんでした(正直、自分で死ぬのは怖かったです)。ただ、海に飛び込んだら生まれ変わるとか、一人で山に登ったら人生観変わるとか、実際にやってみてはがっかりして帰るーーそんなおバカな事を懲りずに繰り返しました。

人間関係の壁と現実逃避と葛藤。揺れる自分の心をコントロールできないのが堪らず、泣きながらのワンゲル活動と飲酒にどんどん溺れていきました。

大学生活自体はとても楽しいものでした。けれども、自分と向き合うことになると途端に嫌気が差す、喜怒哀楽のビッグウェーブ。
いつしか、大学に行ったりワンゲルの活動に打ち込んだりゼミの活動に集中することが、自分自身に対する現実逃避になっていきました。

お酒は、飲み方失敗すると、トコトン負の奈落へ落ちていきましたね。そして、酔いが覚めると憂鬱になるーーホント、あの4年で一生分飲んだわ。

この絵は学生時代に描いたものを縮小トレースしました。やり場のない気持ちが溜まってくると、何かしら書いて、描いて発散していたなぁ。発散し切れることは、なかったけれど……






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自分のことを好きになれないまま、周囲の男の子や先輩に気を揉んだのが大学2年から4年の頃でした。
男女関係というものがどういうものかは既に知ってはいたものの……それは全て、初恋の彼のエスコートによるもの。相手に対してどうしたいとかどうすればいいとか、一切考えたことはありませんでした。
彼に身を任せていれば、全て解決していた初恋。自分から相手を好きになって、積極的にアプローチしていたのは小学低学年以下の頃で、大人になりかけの大学生が同じことをできるはずもなく……空回りばかりしました。

そうでなくても、言葉で自己主張するのが苦手な私は、それを取り繕うために吐かなくてもいい嘘を吐き、張らなくてもいい見栄を張りーー好きな相手がかえって引いてしまう言動を繰り返し、独りで落ち込む負のスパイラル。

今思えば、子どもの頃のように、自然に素直に気持ちを伝えればそれが最善策と解りますが、当時は『大人気取り』だったのでしょうね。背伸びしすぎていたのよ。
私が大人気取りなら、相手も大人気取りであったなぁ……当時は気づく余地もなかったけれど。

特に、大学2年の冬から付き合い始めた2つ年上の先輩とのセカンドラブは、自分の想いと思考のギャップ、先輩の本性が垣間見えたショックで、これまた強烈に心傷つきました。
教育実習の手続きが始まる大学4年の春。先輩とのお付き合いに耐えられなくなった私は、先輩に本心を追及した挙句、その足で北海道まで傷心旅行しちゃいました。

教育実習の手続き期限ギリギリの5月半ばまで約2週間、北海道の友人宅にお世話になりましたーー本当に、すみませんでした。長期滞在させてくださって、ありがとうございます。

これだけの逃避行をしてもなお、20代半ばを過ぎるまで、まともな恋ができなかった私……やっぱり、他人よりもまず、自分を好きにならないと、でした。

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20歳になる年の大学生活は、1年の時よりは多少楽しめる方向に進みつつありました。ワンゲルに女の子が一人入部してくれて、その子と私は『ワンゲル運命共同体』になりました。

「良かった……今年、女の子入らんかったら、続けるかどうか考えとったわ」
「いや、先輩。私も先輩おらんかったら入部してません」

後輩が入ってきたことで、今までギリギリの精神力だけで続けてきたワンゲルも、少しだけ楽しくなりました。

そして、夏休みは、主治医から「もう通院しなくていいよ。完治とします」と言われ、更に少しだけ心軽くなった私。ただ、祖父からは「安心ならんから採血検査は続けなさい」と、卒業するまで毎年採血されました。なんだかんだ言っても、私を心配してくれてありがとうお祖父ちゃん。

秋の講義が始まってからしばらくして、心理学の教授から「もし余裕あったら、空きコマに研究室に来てもらえないか」と声をかけられました。必修科目でもあった心理学受講していたのですが、何かの適正テストやらロールシャッハテストやら、授業の一環で受けていたそのテスト結果について、話があると言われたのです。

自分の空きコマを告げて、先生のご都合に合わせて研究室を訪ねたところーー

「僕の息子がね、自閉症なんだよ」
「はい?」

突然の告白に一瞬茫然としかけた私は、

「莢猫さんも自閉症の『ケ』があるね。こないだやったテスト結果から判ったんだよ。テスト受けてもらった学生の中では君だけだったから、講義中に言うのはどうかと思って」
「はいぃ?」

次の先生の発言で、開いた口が塞がらない気分になりました。

……白血病完治の次は自閉症ですか……

「自閉症というものは先天性なんだよ。子どもの頃から、いろいろ大変だったんじゃない? 何を考えているのか分からないとか、言われたことない?」

言われてみれば、思い当たることばかりですわ、先生ーー何もかもが自閉症のせいだとは思いませんでしたが、先生は、

「それは君が悪いんじゃない、周囲の理解の足りなさが悪いんだ」

とおっしゃってくださいました。一瞬心沈みかけたけれど、息子さんが自閉症であることを明かした挙句のお話だったから、大変なのは私より親だったかもーーと思い直すことができました。

その日、帰ってすぐ祖父に『自閉症』がどんなものなのか聞きまくり、特集が載っていた医療雑誌も借りて読みましたーー専門用語ばかりで理解するのは大変でしたが、自分自身に対して納得することができました。

『どうして自分はこんなんだろう』から『自分は自閉症だからこんなんだったんだ』に変わって、心持ちも少しずつ変わっていきました。

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ワンゲルに打ち込むようになってからというもの、毎日のように「最近の若い者は云々」「近頃の女の子は云々」と、食事の間中、祖父から説教されるようになった私。

「さやは全く、女らしくない」
「女らしさって何ですか」

腹が立って聞き返すと、

「女らしいというのは、おしとやかさだ。さやはおしとやかさが足らん」
「おしとやかさって何ですか。私でも解るように具体例を挙げて説明してください」

売り言葉に買い言葉ですよ。くだらない押し問答を繰り返しました。私がいちいち言葉尻捉えて聞き返すものだから、しまいには祖父が食卓を離れて、私もその隙に自分の部屋に逃げていました。

さんざんマイナスオーラな言葉をぶつけられ続けるとさすがに心もヘタレます……人形と同じくらい、鏡で自分の顔を見るのは嫌いだったけれど、この時期は人生で一番、鏡を見ていたと思います。

(今も鏡を見るのはあまり好きではなくて、顔を洗う時も歯を磨く時もほとんど鏡見ません)

祖父が言う『女らしさ』というのがあまりにも古典的で、全然耳に入ってこなかったです。今も聞く耳ありませんが。(笑)
とはいえ、女らしくないのは何となく自覚していたものの、それならば『自分らしさ』はあるのかしらと悩みました。

そもそも、初恋の彼が自分のどこを好きになってくれていたのかも分からないままーー姿見えない形でお別れしてしまったので、なおさら、鏡を見て自問自答したような気がします。


鏡を見ては泣き、いろいろとマイナス要素を思い出しては泣きーーなかなか、自分が好きになれませんでした。
ちょうどその頃、何かの本に『人を好きになるなら、まず自分から』と書いてあったのを読んでショックを受けたのを覚えています。

私、自分のこと好かんやん! 人を好きになるなんて無理!!

その頃、テレビや本でもちょっとした『心理テスト』ブームがあり、私もどっぷりはまりました。自分を好きになれない理由が欲しかったのかな……





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今まで、運動らしい運動をしたことがなかった私にとって、ワンゲルの部活動は大変過酷なものでした。

月曜日はサークルハウス(大学から少し離れた所に四階建ての建物があり、そこが運動部や文化部の活動拠点になっていました)から大学までの道路をマラソン。大学は扇状地にあったので高低差が半端なく、マラソンどころか歩き通すのも大変でした。
火曜日はバーベルなどを使った筋力トレーニング。バーベルの棒だけでも上がらない……普通でない体力であることは自己紹介の時に話していたのに、なかなか解ってもらえないどころか、無理ばかりさせられる羽目に……当時の副主将がかばってくれなかったら、早々に退部していたと思います。

水曜日は休み。私はここにゼミを入れることにしましたーーが、自分が専攻することにした東洋史で水曜日にやっているゼミは、インドネシア語しかありませんでした。
この流れで、卒論の道筋も決まっちゃいました。(笑)

木曜日はまたマラソン。月曜とはコースが違って更に起伏と距離が倍増……二年生の半ば過ぎるまで、正規ルートで走る(歩く)ことはできませんでした。
金曜日はフリーで体を動かす日。主にストレッチでしたが、バレーボールやサッカー、プラバットで野球などもやりました。
土曜日は装備点検。テント設営競争や『ブス』と呼ばれる簡易ガスコンロの点火競争など、素早く野営できるようになるための訓練も兼ねたものになっていました。

本当に休めるのは、日曜日のみ。後はせいぜい、受講の都合で空いた時間ーー

学業自体はゆるいスタート、サークル活動はハードなスタート。四年間、自分のその後がかかった生活が始まりました。

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いよいよ入学式、そしてオリエンテーションーー『史学科』学生としての手続きを済ませた後は帰るだけのはずが、部活勧誘の先輩方でごった返す校内を抜けないと大学敷地から出られない状態になっていました。
大学では、運動部か体を動かす文科系サークルに所属しようと思っていた私は、人酔いしやしないかビクビクしながらなるべく人の少なさそうな所に移動……ふと人混みが途切れて、ホッと顔を上げたら、長机に一人、パンフレット持って座っている先輩と目が合いました。

「そこの君、ワンゲル入らない?」
「ワンゲルって何ですか?」

ーーワンゲルとは『ワンダーフォーゲル』の略称で、主にキャンプなど自然に親しむのが目的のサークルだと説明されました。
キャンプなら小学時代に経験ありましたし、自然に親しむというのは魅力的でもありました。

「分かりました。入部します」

既に人酔いMAX、これ以上人混みの中に居たくなかった私は、仮入部の名簿に名前を書いてサークルのパンフレットを受け取った後、

「すみません、大学の出口どこですか」

とその先輩に案内してもらって、バスに乗って帰宅……祖父にも親にも猛烈に反対された私は、主治医に電話して相談。あまり好きではない主治医でしたが、この時ばかりは感謝しました。

「ワンゲルやるの、そう、どんどんやんなさい」

主治医がこう言うのですもの、祖父も親ももう何も言いませんでした。「してやったり」と思いましたがーー後でさんざん泣きを見る羽目になろうとは、この時は思いもよりませんでした。

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父方祖父母の家に居候することになってから、病院の通りに面したお宅には祖母に付き添われてご挨拶に回ったのですが……どこに行っても、

「あらまあ、あんなにちっちゃかったさやちゃんが、すっかりお嬢さんになって!」

と、誰からも知られているのが、ある意味脅威でした。絶対悪いことできません。

祖父が毎週末食べていたお刺身を受け取りに行く度に、魚屋のおばちゃんには私が小さい頃の話を色々と聞かされました。
中には、親や祖母すら覚えていなかった事まで聞いてびっくり。町内盆踊りのカラオケ大会で1等賞を取っただの、魚を冷やす氷を捨てていたらそれを拾って食べただの……うげー……3歳頃の話らしいのですが、記憶にございません、ハイ。

文具屋のおばちゃんには、ほぼ毎年長期休みに顔を見せていたのに、魚屋のおばちゃんと同じリアクションで更に耳に痛い話を……

「そうそう、さやちゃんったら、こぉんなにちっちゃかった頃ね、バス停に人がいっぱい集まってる時にピンクレディとか石川さゆりとか歌っていたんよ。今でもソラで歌えるんじゃない?」

祖父の病院は、バス停の真ん前にあります。祖父いわくバス停が後にできたそうですが真実はどちらでもいいですーー穴があったら入りたい。

そして、どの人も必ずやるのが、『ちっちゃかった私を表す仕草』。これがまた、皆一様に同じセリフでやるものですから、まるで自分が頭をペシペシされている気分になりました。



はてさて。ご近所の挨拶廻りも済んで、入学式まで後数日ーー早くも、祖父が言っていたように『どうして地元の大学を受けなかったのだろう』とか、部活(サークル活動)はどうしようとか、悩み噴出して憂鬱になりました。

ああ、おうちへ帰りたい……繰り返し杞憂に囚われたあの頃。学生生活スタート時、心はまだまだ、完全な前向きにはなってはいませんでした。

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病名も知り、大学にも合格したものの、一人暮らしに断固反対したのは父方祖父でしたーー大学を受験する時から、あれこれ口を挟んできた祖父。というのも、大学は父方実家から4キロの所にあり、そのすぐ近くの看護学校で教鞭をとっていた祖父は、

「地元にたくさん大学があるのに、何故田舎で何もない所の大学を受験しないといけないんだ」

の一点張り。こちらの受験事情などまるで知らないのに、『ダメ』しか言わない祖父の言葉には耳傾けず、とにかく推薦試験を受けて合格した私に、

「もう知らんぞ。面倒見ないからな」

とまで言っていたくせに……いざ、学生寮などの物件を調べようとしたら、

「一人暮らしなんてとんでもない。(母の名前)は何を考えてるんだ。うちに住まわせなさい」

母は何も悪くないですよ、お祖父ちゃん。都合悪いことはすべて嫁のせい世代の御仁です。とても不愉快ではあったけれど、お祖母ちゃんは大好きだったので(私は自他共に認めるお祖母ちゃんの秘蔵っ子でした)、私は父方実家に居候が決まりました。

が。母方実家ほどではないのですが、父方実家も古い家屋でしかも温泉地、Gやらムカデやら青大将やら、規格外だろってくらい大きいのがいるのですーー



それは、一部屋もらって暮らし始めたばかりの頃でした。



入学式前(春休み中だったかな)で、引越し荷物もあらかた片付いた晩のこと。深夜、ふと目が覚めると、天井でかすかな音がしているのに気付きました。Gだったら嫌だなぁなんて思いながらうつらうつらし始めると、今度は何かが布団の上に落ちる音が。

物凄ぉく嫌な予感がする間もなく、右足の親指と人差し指の間に何かが這って、あまりの気持ち悪さに布団蹴たぐって飛び起きました!!

そこには何とも大きなムカデ。Gでなくてよかった……よかったのか?……私は風呂場へ行って使い終わりのタオルを持って引き返し、噛まれないようタオルでムカデを包み込んで、もう一度風呂場へ。給湯温度を80度まで引き上げて、タオルごと浴槽に放り込み、熱湯ぶっかけてムカデに昇天して頂きました。
(祖父が温泉嫌いで、温泉地に住んでいるのにお風呂はプロパン。何かもったいない)


足の指の股にじられただけだと思っていたのに、明け方くらいからしびれだして、朝見てみたら腫れていました。いつの間に噛まれたんだ?
しびれだけで痛みはなかったのですが、靴が履けないくらい腫れました……ムカデの祟りかしらん……

その後も、私が居候した部屋は時々ムカデが降ってきました。その度にタオルで掴んで熱湯昇天させましたーー南無阿弥陀仏を唱えながら。
文言効いたか分かりませんが、噛まれもせずに腫れることはなくなりました。(笑)

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プロフィール

HN:
莢猫
年齢:
46
Webサイト:
性別:
女性
誕生日:
1973/09/06
職業:
自由業
趣味:
ビーズ細工・ドライブ
自己紹介:
詳しくはカテゴリー『プロフィール』で。
A型乙女座長女なのに、近頃は、AB型とかB型とか星座はともかく末っ子とか一人っ子とか言われる、ゴーイングマイウェイ主婦。

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