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猫空世界〜あんなことこんなことあったでしょー記〜

生まれて初めて触った動物が猫だったサヤネコです(以来ネコ好き)。 十二の時に死にかけ、三十代にも死にかけましたが、まだ生きています。死にたいと思った事も多々ありますが、なんだかんだで生きています。 生かされている事に感謝して、シャーマン始めました。 シャーマン始めることになった話以降は、はてなブログ『超自然主義生活』で記事更新中。

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初めてその症状に見舞われたのは、夜中でした。トイレで目が覚めたのか、その辺りは全く覚えていないのですが、とにかく、

「チンチンが痛いよー」

と、股間押さえて泣き叫んだのを覚えています。日頃が元気過ぎたので、病気したのが記憶に残りやすかったのかしらん……痛い場所を明確に口にしていたので、母も私がどんな病気か見当がついたようです。
けれども、父は酔いちくれていてとても子どもを病院に連れて行ける状態ではありません。母は当時は車の免許を持っていなかったため、タクシーか何かで連れて行ったのではないかしら。
車に乗せられたのは覚えていますが、その後記憶が飛んでいます……寝ちゃったのかもしれません。

それ以後、数年おきに再発。20歳過ぎるとだんだん再発間隔が短くなり、社会人になると最初に発症した時のように急激に悪化した状態で再発を繰り返し、酷い時は尿がイチゴシロップ色!
かき氷食べる気失せますよそんなん自分の体から出ているの見ちゃうと……下世話な話でごめんなさい。

生理痛もさることながら、膀胱炎の痛みもそれはそれは半端ないです。しかも、生理痛には無い何とも言えない不快感と残尿感。
更にタチの悪いことに、生理とよく被るのです……これが厄介極まりないのは、検尿カップに経血も入ってしまうこと。

更に残念なのは、ニューキノロン系の良く効く強い抗生物質が飲めなくなって、決定打的薬が無くなった事ーー自己防衛策として、少しでも残尿感や不快感を感じたら、ひたすら水をがぶ飲みします。
少し塩を入れて生理的食塩水にしたり、スポーツドリンクの粉を買ってきたりして、少し味を変え飲み易くして何リットルも飲んで、どんどん出す!

これでいくらかは、楽になります。荒療治。不快感が落ち着いたら、トイレに行く回数を減らして過活動膀胱防止。面倒な器官ですわ、膀胱って。
とはいえ、これがないと老廃物も流し出せないから、メンテナンス大事ですね。

ここ、1年ほどは、そんな風にして膀胱炎回避しています。3年ほど前までは、3・4ヶ月に一度は泌尿器科のお世話になっていました。

できればもう二度と、お世話になりたくない……泣かんでよかごと、水分補給怠りません。

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子どもの頃はうどん屋への外食すらご馳走だったのは前記事でも語りましたが、同じくらい、お肉もそう食べられる家庭ではありませんでした。
今も昔も、牛肉は贅沢なお肉です……その時も、すき焼きか何かで、滅多にないご馳走の日でした。

そんな、滅多にないご馳走の日だったのに、よりにもよってお腹壊しただか何かで腹痛に悶絶していた私。何の病気で寝込んでいたのかは忘れましたが、とにかくお腹が痛くて食事どころではありませんでした、が、お肉ですよ、今夜はーー当然、食べさせてもらえるはずもなく、

「おーにーくぅーーーー」

と寝床で泣きぐずったのを今でも覚えています。

私の分は残しておいてももらえず、恨めしい思いをしました……食べ物の恨みは死ぬまで消えません。

そんな我が家も高度成長期の波に乗り、誕生日にステーキなど食べられるようになった頃、今度は弟が泣きました。

弟9歳の誕生日。誕生日なので、一番大きな牛肉を焼いてもらってご満悦。そこへ掴まり立ちも達者になった妹1歳がちゃぶ台テーブルの上を見渡すや、弟のステーキを鷲掴みにして、ガブリ。
赤ん坊ながら、一番大きなお肉が分かったのでしょうか。一瞬静まり返った次の瞬間、母と私は大笑い。弟は火が点いたように泣き出しましたーーその節はご愁傷様でした弟よ。


どちらも鮮明に覚えていて、我が家の語り草になっている、お肉にまつわるエピソードでした。
もう、「おーにーくぅーー」って泣くことは無いだろうと思いたい。

自分自身はそこまで引越魔とは思いませんがーーこの春、4月に引越することに決めました。祖母が亡くなり、実家近くに住み続ける必要が無くなったのと、飼い主様実家からすると若干実家よりの所にいるので、不公平感があるのと、で、どちらの実家からも程良い距離で中間地点になるような場所を検討していたら、運良く新築物件を見つけたのです。

メゾネットタイプで借家になるのですが、立地条件がとても良く、まず飼い主様が気に入ったので即決定。
って、今住んでいる所も、母に言われて引越してきた物件でした……それまで隣市に住んでいたため、歩いてでも実家に帰れる距離で検索。地下鉄駅は遠いけど、街中へ出られるバス停が徒歩2分だったので決定。今住んでいる所はほぼ私の独断でした。

そんなして、物件決めても……帰巣本能が薄いのか無いのか、引越してしばらくは自宅に帰り着くのに出かけた時の時間の2倍から3倍かかります。
何故でしょうね、自分の家が分からないのです。行きと同じ時間で帰れるようになるのに約1ヶ月……どんだけ方向オンチなん。

ドライブなどで知らない所へ出かける時も、古いカーナビと同じく『目的地付近』までは難なく到達するのですが、その先でグルグル迷います。目的地に電話があれば電話をかけ、道行く人がいれば車を止めて尋ねたりして、ようやく到着。

小学生くらいの頃まではそんなに方向オンチではなかったような……放射線治療の影響かしらん……中・高・大学生と輪をかけて方向オンチぶりが酷くなり、社会人になると我ながら目も当てられない方向オンチ。

独り暮らしを始めてから今までの引越回数は8回。この4月の引越も合わせると9回になりますーーえ、多い? 少ない?

そろそろ本気で考えるかなぁ……ノマドライフ←住所不定、不労猫。(笑)

子どもの頃、母方里には猫が数匹いて半野良状態、父方里にも野良猫がいて、たまに庭に遊びに来たりしていました。
小学生の頃には、通学路に秋田犬を飼っているお宅があり、よく遊んでもらっていました……温厚で人懐こいお爺ちゃん犬でした。

肝心の自宅はというとペット禁止。せいぜい金魚や昆虫を飼うのが関の山な環境で、犬猫飼いたい気持ちは今も変わっていません。

が……大学生になった時、妹が子犬を三匹拾ってきたのです。妹が言うには「自分だけが拾ったんじゃないもん」ーー団地に住む子等と一緒に連れて来たものの、団地ももちろんペット禁止で飼い手が見つかるまでは、という事で家に連れ帰ったとのことーーとはいえ、当時は実家マンションもペット禁止でした。
(今ではコッソリ堂々と飼う人が増えたため『一代限り』という条件付きでペット許可されている模様。元が分譲マンションなので取り決めは色々大変だったと思います)

母も、子どもの頃に犬猫飼った経験があり、動物好きなためーーやむなく、引き取り手が見つかるまでは面倒を見ようと決めたようです。
夏休みに実家へ帰った時は驚きました……
高校生の時は父がハムスターを拾って帰ってきて、二年ーー当然のことながら、父が面倒を見ることなどないので、ケージの掃除などは私達子どもの役目でした。
また父が拾ってきたのかと思いきや、今度は妹が拾ってくるとは。

いや、捨てる人が元々は悪いのですよ。ちゃんと避妊していなかったから子ができた訳で。

しかし、後でよくよく聞いてみると子犬が産まれた家からわざわざ引き取って来たっぽい?
飼えもしないのに、どうしてまた……子犬の引き取り手を探していたところに、妹達が安請け合いで連れ帰って来たらしい? 何じゃそりゃ。いくら子犬が可愛いからって、ぬいぐるみじゃあありません。生き物ですよあーた。

結局、貰い手は母が探して、二匹は貰われていきました。妹が自分の家に残るならこの子がいいと言っていた子も貰われていき、妹の好みではなかったらしい子が残って……妹は泣いて駄々こねていましたが、その最後の一匹は仕方なく我が家でコッソリ飼われることになりました。

雌犬だったので、我が家の三女扱い。犬が妹なんてやだーとは思っていましたが、可愛いっちゃ可愛いんですよ。私も動物好きだもの。

その後、私も調子こいて子犬拾いましたが……祖父に見つかって、私がいない間に保健所に連れて行かれてしまいました。大泣きしましたーー自業自得。

ペットは私達と同じ命あるものです。安易に捨てないでください。
そして、安易に拾わないでください。

毎年、約30万という数のペットが殺処分されていること、あなたはご存知ですか? 人間のエゴが為す事実です……飼うなら一生、死ぬまで見守ってあげてください。
犬猫の寿命は約10年ですから、そこ、念頭に置いてね。増えて困るなら、避妊もちゃんとね。ペットは人間と同じくお世話にお金がかかります。そこも覚悟の上でないと飼えませんよ、いや、飼っちゃーいけません!

我が家の三女は、中型犬ながら20年生きましたが。

あー……犬猫鶏飼いたい……いまだ、「一匹で十分」と言われている『猫』でした。

父方の里が温泉地であったためか、物心ついた頃には温泉に慣れ親しんでいました。父方祖父母が借りていたアパートの半地下に共同浴場があり、熱々のお湯がほぼかけ流し状態でーー今思えば贅沢なお風呂だったなぁーー子どもの頃はそのお湯が熱過ぎて、冬場でも湯上りに水浴びするほどの温泉共同浴場でした。

夏休みや冬休みには必ず温泉に入る環境で育った私。

大学生になる頃には、アパート解約してしまって共同浴場には入れなくなりましたが、大学の裏手に無料で入れる温泉の町があり、学校帰りに温泉好きな友達とタオル一枚持って温泉巡りをしました。
それまでは、特に好きとか嫌いとかいう感覚なしに温泉巡りをしていたのですが、

「さやちゃんて、温泉好きだよねぇ」

と同期生の子に言われて初めて『ああ、私は温泉好きなんだ』と自覚。言われてみれば、わざわざ温泉に入って廻るあたり、好きに違いありません。(笑)

車の免許を取ってからは、学生時代には行けなかった九州各地の温泉を堪能しました。九州圏外に出る時も、最寄りに温泉地があれば寄りましたーーうん、温泉好きに間違いない。

そして、飼い主様と一緒になるきっかけであったろうデートも温泉ーー色気もへったくれもないようですが、九州は混浴文化圏ですから〜 ♪

今ではただの混浴大衆浴場タイプではなく、家族湯という個室タイプの温泉も増えたので、温泉デートは大アリですよあーた。
ただし。壁は薄いし半露天がほとんどだから、声は周りに聞こえまくりですがね……温泉を堪能するだけなら、何ら問題ありません。

温泉って、いいなぁ。

通称が『ねこ』、猫車とも言います。一輪車、手押車とも言いますーー農家には一台はあるかも、もっと大きくなるとリアカーになります。いろんな物を人力で運ぶ道具です。
物心ついた時にはそれを『ねこ』と呼び、押していくのを『ねこ押し』と言ったりしていましたーー母方の里にもあって、遊び道具の一つでもありました。

きょうだいで乗ったり押したり、大叔父にあたるおじちゃんが私達を二人乗せて押してくれたり後手にして引いてくれたりして遊んでくれました。
自分達に子どもがいなかったせいか、私達を子どもか孫のように可愛がってくれました。

ただ、物凄いヘヴィスモーカーで、缶ピース吸うような人だったので、小学生の時に亡くなりました……

以後、あまり猫車で遊ぶことは無くなりましたーーが。

会社人になって、再会しました。周囲で働いている方々も皆『ネコ』と呼んでいて、同僚の中でそれが何を指すのか知っているのは私だけという事を知ってショックを受けました。(笑)
ある日研修中、仕事場で『ネコ』持ってきてと言われた同僚が、

「ねえ、監督さんに猫持って来いって言われたんやけど、何で猫?」
「猫っておったっけ? てか、仕事に要る?」

と私に聞いてきて、一緒に来ていた他の子も『猫』を真剣に探している様子。……んな、バカな。

「ネコ、道具置き場にあったやん。うちが取って来るわ」

私が猫車を引いて戻ってくると、同僚は目を丸くして、

「それがネコって言うの?」
「なぁん、あんたら知らんかったと?」

逆に聞き返したら「そんなもん知る訳無いやん!」と口を揃えて返されました……誰もが知っていると思っていたよ。

「ひっくり返した形が猫耳みたいだから『ネコ』なんだよ」

と監督さんの説明で同僚達も納得。私も呼び名の由来は知らなかったので、私も納得。(笑)

今でも多分、押すのも引くのも自在、のはずです。猫車ーー昔取った杵柄で。

母方祖父も祖母もまだ里に暮らしていた頃ーー祖母の通院には祖父が運転で車で行っていたのですが、ある日、母から、

「お父さんが国道逆走したげな。まさか自分の親がそげん事するなんて……あんた、代わりに母さんの通院行っちゃって」

なんでも、祖父は交差点曲がる所を通過してしまい、二車線道路内をUターンして逆走、いくら田舎道とはいえ国道で、トラックなど大型車が多数往来する道路。祖母は生きた心地がしなかったとの事ーーテレビで見聞きしては呆れるやら腹立つやら、『うちは絶対、70なったら免許返納するわー』と思っていたところで、まさか身内がそんな事態をやらかすとは思ってもみませんでした。

「元教師やったお祖父ちゃんが、そんな事する??」
「田舎道やけん大丈夫やろうもんの一点張りよ。通り過ぎたけん引き返しただけやって、聞いて呆れるわ」

逆走ドライバーの言い分がこれか。確信犯ですよ……今まで、逆走ドライバーの心理なんてこれっぽっちも解りませんでしたが、祖父がやらかした事でイタイほどよく解りました……

母は町内の仕事など色々掛け持ちしていて、なかなか祖母の通院に車を出せないと言うので、月に一度、祖母には通院日を私の体調に合わせてもらって、母方里へ運転手しに行く事になりました。
高血圧を抑える薬をもらいに内科通院、歯科通院はついでに私も診てもらって、ガソリン代はお肉など買ってもらったり畑の野菜で物品支給(笑)。


祖父が亡くなって母が祖母を引き取るまでの数年、母方里へ通いました。

ーー今も、逆走のニュースを見る度に、祖父が国道逆走した事を思い出します。いくら、自分の都合が悪かったからって、逆走はいけません。

右車線走りたかったら、外国行きましょ、うん。

大学時代、開業医である祖父宅に居候していた私。アルバイトは全面禁止されていたものの、ワンゲル装備や研究資料を買い集めるのに仕送りしてもらっている小遣いだけでは足らずーー時給400円という身内価格で、病院の受付嬢をさせてもらっていました。

祖父は元々外科医でしたが、私が居候した当時は総合内科的な病院になっていて、患者さんもほとんどがお腹の具合が悪い、風邪ひいた、眠れない、などで来られる方がほとんどでした。
更に、来られる患者さんのほとんどがお年寄りーー耳が遠かったり、人の話聞いてなかったりはザラ、そんな患者さんを相手にしている祖父もまた同類……診察は遅々としてはかどらずなのに、祖父は宵っ張りの朝寝坊で開業時間になっても診察室に来ないこと多々あり。

よくもまぁ、こんな病院に飽きもせず通院してくる患者さんいるよなってなくらい、のんびり病院でした。
通いの看護師さん二人もそんな祖父の事をよく分かっていて、血圧から採血から診察前に必要な処置はさっさと済ませてしまいます……診察待ちの患者さん達も大半が顔見知りで、お喋りに花咲くこと小一時間。今や時遅しと医師登場ーーあまりにも遅い時は、呼びに行きます。

「お祖父ちゃん、患者さんが6人診察待っていますよー」

具体的な数を言っても、全く急がない祖父……私が患者ならとおの昔に病院変えてるよ……はさておき。そんなユルい病院の受付ですから、自分自身もユルい気持ちで対応しないといけません。
複数薬を処方されるお年寄りには、一回に飲む薬を袋詰めにして『あさ』『ひる』『よる』と袋に大きくひらがなで書いて、その薬を渡す時にも、

「これが処方されたお薬になりますーー薬の名前と効果を説明ーー袋にいつ飲むのか書いていますから、朝・昼・夜の食後にお飲みくださいね」

この同じセリフを二度繰り返してから、薬を手渡し金額を言って支払い済ませてもらったら、看護師さん達と声を揃えて、

「お大事になさーい」

と送り出しますーー特に拍子を取っている訳ではないのですが、不思議と声がわりかし揃うのです。患者さんが靴を履いて出て行く時にもう一度、

「お大事になさーい」

(祖父の病院は玄関で靴を脱いで、スリッパを履いてもらう仕様になっています)

初めは多少ずれていた私も、卒業する頃には口を揃えて言えるようになりました。

「お大事になさーい」

病院受付アルバイトのおかげで、薬の効能や副作用・飲み合わせ・薬価・診察料など、だいぶ詳しくなりました。当時の医療事務資格があっさり取れそうなほど。
イヤイヤ、そんな資格取ってしまったら、祖父に「ここで働け」などと言われかねない……同期生の中にはそういった資格を取ってアルバイトに励む子等もいましたが、私の本分は『体力作り』……結局、資格は取らないまま4年間不定期に受付アルバイトさせてもらいました。

おかげでその後、自分が病院に行く時ある程度役に立ちましたーーあまり自慢にならない話だわ。病院にお世話にならずにいられるのが、一番です。
結婚することが決まった時、年賀状仕分けのアルバイトの時に知り合った主婦友Sさんが、結婚祝いと称して体長25センチほどのクマのぬいぐるみをくださいました。

何故、クマ?

首を傾げていると、

「ケンカした時に投げるのに丁度いいサイズでしょ。投げつける事で自分はストレス発散できるし、ぬいぐるみだから相手は怪我せずに済むよね」

と言われて納得。(笑) 彼女の家にも『投げぬいぐるみ』がいくつかあるそうで、夫婦喧嘩の時にはぬいぐるみが飛び交うとか……最初はイライラしていても、そのうちぬいぐるみが心癒してくれるそうで、喧嘩も自然に治るとのこと。

私も早速、飼い主様のイラッと発言の時に、投げつけてみました。確かに、力一杯投げつけてもぬいぐるみですから、眼鏡に当たらない限り怪我する心配はありません。
イラッとしては投げつけ投げ返される『投げクマちゃん』ーーそのうち一つでは足らなくなり、いくつか『投げ猫』を買い足しました。(笑)

クマちゃんは激務の末、おメメが取れて引退。今では本来はアイピローのクタクマちゃんを筆頭に投げ猫一号〜三号、トラボールと象ボール、『投げぬいぐるみ』も成実して、ちょっとした言い争いが投げぐるみ合戦へ発展!
怒りもいつの間にか、楽しいやりとりに……て、端から見たら『大の大人が』と思われかねませんがこれ、侮れませんよ。

夫婦喧嘩も本当に険悪な時はぬいぐるみも役には立ちませんが、ちょっとした諍い程度なら、投げぐるみ合戦オススメします。
大きさはパッと掴んでピンポイントに投げられるほどのサイズが望ましい、と、思います。あんまり大きいと周囲に被害が及びそうなので。

母方の里は里山的盆地の田舎で、毎年ーー必ずという訳ではなかったかもしれませんがーー年末になると餅つきをやっていました。
ただ、一般的な餅つきとはちょっと違う餅つきだと知ったのは、小学生になってからでした。というのも、母方里の餅つきは、足踏み式なのです。



こんな風に、庭に櫓を組んで、足踏みの杵をはめて、写真でいうと櫓の右側に乗って、手ぬぐいが巻いてある所に手を置いて、文字通り足で踏んで餅つきします。
前日から祖母がもち米をふやかしてくれていて、次の日、それをドラム缶竃で蒸しておこわにしたのを石臼へ運び入れて、いざ、足踏み!
石臼のそばには熱湯を入れた洗面器としゃもじを用意して、石臼に米粒が張り付かないように返していきます。足踏みして杵が上がっている間に返して、足踏みして返して、二人一組で餅つき。つき手は老若男女問わず、合いの手はだいたい男の役目。おこわが餅になったらこね手の所に運ばれて、皆で丸めます。こね手はほぼ、女・子どもの役目。

母は三人きょうだいの長女で弟と妹がいて、弟夫婦には三人の従弟妹、妹夫婦には二人従妹がいーー子どもの頃はつき手かこね手、ですが何より食べるメインでした。(笑)
つきたてのお餅はふかふかでよく伸びて、お米の甘さが濃縮されていて、それはそれは美味しいのですよ……ヨダレ湧いてきた……

つきたてのお餅はそのままでも美味しいけど、あんこや大根おろしや砂糖醤油につけてもまたよろし。結局ひたすら食べる側に回る子ども達を尻目に、せっせと餅を丸める母達ーー年末の風物詩でした。

しばらく親達多忙で途絶えたものの、いわゆる伝統的な技法で行われる餅つきを絶やすのはどうかと叔父が言い出して、毎年ではありませんが断続的に再開されました。従弟妹達も皆大きくなって、食い手ではなく働き手になりましたし、それぞれ結婚して子どももできて、次世代に引き継いでいけそうな感じです。

母方祖父母から見れば私は『孫頭』。今でも餅つきやる時は率先して参加ーーしたいところだけれど、年末は体調微妙なこと多々あってーー自分が行けない時は、代理として飼い主様に行ってもらっています。二人分働いて、二人分の餅もらって帰ってきてね飼い主様。

プロフィール

HN:
莢猫
年齢:
50
Webサイト:
性別:
女性
誕生日:
1973/09/06
職業:
自由業
趣味:
ビーズ細工・ドライブ
自己紹介:
詳しくはカテゴリー『プロフィール』で。
A型乙女座長女なのに、近頃は、AB型とかB型とか星座はともかく末っ子とか一人っ子とか言われる、ゴーイングマイウェイ主婦。
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