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猫空世界〜あんなことこんなことあったでしょー記〜

生まれて初めて触った動物が猫だったサヤネコです(以来ネコ好き)。 十二の時に死にかけ、三十代にも死にかけましたが、まだ生きています。死にたいと思った事も多々ありますが、なんだかんだで生きています。 生かされている事に感謝して、シャーマン始めました。 シャーマン始めることになった話以降は、はてなブログ『超自然主義生活』で記事更新中。

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初めて自転車を買ってもらったのは、小学1年生ーー入学祝いだったのかしら、誕生日ではなかったような気がします。
あまり好きな色ではなかったのですが……真緑色で、サドルには101匹ワンちゃんの絵がプリントされていたのを覚えています。自分が「これがいい」と選んだ記憶はありません……親でなければ、どちらかの祖父母が買ってくれたものだったかもしれません。

初めは補助輪が付いていて楽々乗れていたのが、ある日、母がそれを外してしまいました。

「いつまでも補助輪付きに乗るのは恥ずかしかろうもん」

とのこと。確かに、いつまでも補助輪付きは恥ずかしいけれど、これを乗りこなすのはとても大変でした。私があまりにも乗れないので、母は相当呆れました……というより、乗れないという事実に驚いていたようです。

「補助輪外しただけやのに、何で乗れんとね?」

何でって言われてもあーた。6歳の私が知る由もありませんがなーー怒ったような馬鹿にしたような口調で言われても、乗れないものは乗れないのです。
何より、補助輪を外した私の自転車を先に乗りこなせるようになった弟に対して、猛烈な悔しさと歯がゆさと怒りを感じた私。自転車に乗る特訓を開始しました……が。いたずらに擦り傷を増やすだけでした。

毎日、学校から帰ると宿題よりまず自転車特訓。時には、母が後輪の荷台を支えてくれて、レッツサイクリング! 少し進んでは何度も無様に転びを繰り返して一週間ほどーーようやく、自転車に乗るバランスのコツを掴みました……一週間がとてつもなく長く感じたのを、今でも覚えています……

自転車に乗れるようになってから、行動範囲が劇的に広がったのは言うまでもありません。ピアノのレッスンもバレエのレッスンも、怪我をした時の外科通院も、自転車でゴーゴー。
その実、ライダージャンプで両足首捻挫した時も、自転車で行って病院の看護師さんに呆れられました。(笑)

中・高校生時代は自転車から少し離れましたが、大学生になった時、父方祖父が通学用にとマウンテンバイクを買ってくれて、自転車ライフ復活。ワンゲルの肉体鍛錬サイクリングでも重宝しました。
車に乗るようになってから、自転車はワンゲルに寄贈ーー後輩達に使ってもらうことにして、自転車ライフは終了しました。

もし、今また自転車に乗ることになったらーー竹馬のような昔取った杵柄は無いような気がするなぁ……ちゃんと乗れるかしらん。

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私は、自分で言うのもなんですが超が付くほどの健康優良児で、外で遊ぶのが大好きな子どもではありました。がーー体育は超苦手。鉄棒の逆上がりも跳び箱も、三年生までクリアできなかった運動オンチでもありました……バレエとかやっていた割には体も固く、思い通りに体が動かない……

そんな小学生活で最も嫌なイベントが『運動会』でした。かけっこはビリから数えた方が早かったし、自分が勝てる種目はせいぜい玉転しや綱引き、騎馬戦(5・6年生限定)などの肉体勝負のみでした。

そんな運動会で、唯一、一等賞を取れたのが町内会の運動会。私が小学生の頃は、学校で町内会の集会があるほど、学校と町内会の結びつきが深かったようです。
校区と町内会と小学校ーー学校主催の運動会とは別に、町内会主催の『校区対抗運動会』が……多分、毎年、行われていたと思います……
さすがに町内会の運動会なので、強制参加ではなかったような。その辺りの記憶は曖昧ですが、6年生になると小学生では最上級生で町内会運営の端っこを担う事になっていただか何だか、これまた記憶曖昧ですがーー今まで参加したことがない町内会の運動会に参加しないといけなくなりました。

もちろん、強制参加ではありませんから、『次の競技は各町内3人参加してください』とか言われて、「じゃあ私行きましょう」とかそんな感じで選手も即席で決まっていきました……緩いわー……
私は2種目は出てねと言われ、まずは一本の棒を4人で持って走る競技に出ましたーー他のチームが高齢者多数だったっけかで、2位。まずまずの成績でホッと一息。
次の競技は竹馬のかけっこーー誰も手を挙げる人が無く、「じゃ、私、行く」と名乗り出ました。竹馬は、以前、母方祖父が作ってくれた事があり、乗り慣れた遊び道具でもありました。
そこそこ自信はありました、が、かけっこは苦手……まぁ、参加すればお菓子などの詰め合わせが景品で貰えるので、半ばそっち目当てで参戦したのです。

同級生も何人か参加していましたが、何とまぁ日頃は体育で勝てた事のない子等が、揃いも揃って竹馬にまともに乗れずーーもたもたしている選手達を尻目に、ダントツ1位でゴールテープを切りました。やったぁ!
町内の人達も盛り上がってくれて、鼻高々。文具やお菓子がたくさん入った福袋のような景品もゲットして、意気揚々と席に戻りました。

運動会で華々しい活躍はこれっきりでしたが、これっきりなだけに楽しい運動会の思い出になりましたーー私のような運動オンチでも、ダントツ1位になれる競技があるなんて。(笑)

その後、社会人になってから1メートルくらいの高さに足置きセットしてある竹馬に挑戦ーー昔取った杵柄は残っていました。
飼い猫生活になってからは、バランスボールにも難なく乗れて……私、運動オンチだけどバランス感覚だけはいいみたい……と気づきました。

まさかとは思うけど、バレエやっていたおかげかしらん。

どこかで乗る機会があったら、試してみたいと思いますーー竹馬。

初めてその症状に見舞われたのは、夜中でした。トイレで目が覚めたのか、その辺りは全く覚えていないのですが、とにかく、

「チンチンが痛いよー」

と、股間押さえて泣き叫んだのを覚えています。日頃が元気過ぎたので、病気したのが記憶に残りやすかったのかしらん……痛い場所を明確に口にしていたので、母も私がどんな病気か見当がついたようです。
けれども、父は酔いちくれていてとても子どもを病院に連れて行ける状態ではありません。母は当時は車の免許を持っていなかったため、タクシーか何かで連れて行ったのではないかしら。
車に乗せられたのは覚えていますが、その後記憶が飛んでいます……寝ちゃったのかもしれません。

それ以後、数年おきに再発。20歳過ぎるとだんだん再発間隔が短くなり、社会人になると最初に発症した時のように急激に悪化した状態で再発を繰り返し、酷い時は尿がイチゴシロップ色!
かき氷食べる気失せますよそんなん自分の体から出ているの見ちゃうと……下世話な話でごめんなさい。

生理痛もさることながら、膀胱炎の痛みもそれはそれは半端ないです。しかも、生理痛には無い何とも言えない不快感と残尿感。
更にタチの悪いことに、生理とよく被るのです……これが厄介極まりないのは、検尿カップに経血も入ってしまうこと。

更に残念なのは、ニューキノロン系の良く効く強い抗生物質が飲めなくなって、決定打的薬が無くなった事ーー自己防衛策として、少しでも残尿感や不快感を感じたら、ひたすら水をがぶ飲みします。
少し塩を入れて生理的食塩水にしたり、スポーツドリンクの粉を買ってきたりして、少し味を変え飲み易くして何リットルも飲んで、どんどん出す!

これでいくらかは、楽になります。荒療治。不快感が落ち着いたら、トイレに行く回数を減らして過活動膀胱防止。面倒な器官ですわ、膀胱って。
とはいえ、これがないと老廃物も流し出せないから、メンテナンス大事ですね。

ここ、1年ほどは、そんな風にして膀胱炎回避しています。3年ほど前までは、3・4ヶ月に一度は泌尿器科のお世話になっていました。

できればもう二度と、お世話になりたくない……泣かんでよかごと、水分補給怠りません。

子どもの頃はうどん屋への外食すらご馳走だったのは前記事でも語りましたが、同じくらい、お肉もそう食べられる家庭ではありませんでした。
今も昔も、牛肉は贅沢なお肉です……その時も、すき焼きか何かで、滅多にないご馳走の日でした。

そんな、滅多にないご馳走の日だったのに、よりにもよってお腹壊しただか何かで腹痛に悶絶していた私。何の病気で寝込んでいたのかは忘れましたが、とにかくお腹が痛くて食事どころではありませんでした、が、お肉ですよ、今夜はーー当然、食べさせてもらえるはずもなく、

「おーにーくぅーーーー」

と寝床で泣きぐずったのを今でも覚えています。

私の分は残しておいてももらえず、恨めしい思いをしました……食べ物の恨みは死ぬまで消えません。

そんな我が家も高度成長期の波に乗り、誕生日にステーキなど食べられるようになった頃、今度は弟が泣きました。

弟9歳の誕生日。誕生日なので、一番大きな牛肉を焼いてもらってご満悦。そこへ掴まり立ちも達者になった妹1歳がちゃぶ台テーブルの上を見渡すや、弟のステーキを鷲掴みにして、ガブリ。
赤ん坊ながら、一番大きなお肉が分かったのでしょうか。一瞬静まり返った次の瞬間、母と私は大笑い。弟は火が点いたように泣き出しましたーーその節はご愁傷様でした弟よ。


どちらも鮮明に覚えていて、我が家の語り草になっている、お肉にまつわるエピソードでした。
もう、「おーにーくぅーー」って泣くことは無いだろうと思いたい。

自分自身はそこまで引越魔とは思いませんがーーこの春、4月に引越することに決めました。祖母が亡くなり、実家近くに住み続ける必要が無くなったのと、飼い主様実家からすると若干実家よりの所にいるので、不公平感があるのと、で、どちらの実家からも程良い距離で中間地点になるような場所を検討していたら、運良く新築物件を見つけたのです。

メゾネットタイプで借家になるのですが、立地条件がとても良く、まず飼い主様が気に入ったので即決定。
って、今住んでいる所も、母に言われて引越してきた物件でした……それまで隣市に住んでいたため、歩いてでも実家に帰れる距離で検索。地下鉄駅は遠いけど、街中へ出られるバス停が徒歩2分だったので決定。今住んでいる所はほぼ私の独断でした。

そんなして、物件決めても……帰巣本能が薄いのか無いのか、引越してしばらくは自宅に帰り着くのに出かけた時の時間の2倍から3倍かかります。
何故でしょうね、自分の家が分からないのです。行きと同じ時間で帰れるようになるのに約1ヶ月……どんだけ方向オンチなん。

ドライブなどで知らない所へ出かける時も、古いカーナビと同じく『目的地付近』までは難なく到達するのですが、その先でグルグル迷います。目的地に電話があれば電話をかけ、道行く人がいれば車を止めて尋ねたりして、ようやく到着。

小学生くらいの頃まではそんなに方向オンチではなかったような……放射線治療の影響かしらん……中・高・大学生と輪をかけて方向オンチぶりが酷くなり、社会人になると我ながら目も当てられない方向オンチ。

独り暮らしを始めてから今までの引越回数は8回。この4月の引越も合わせると9回になりますーーえ、多い? 少ない?

そろそろ本気で考えるかなぁ……ノマドライフ←住所不定、不労猫。(笑)

子どもの頃、母方里には猫が数匹いて半野良状態、父方里にも野良猫がいて、たまに庭に遊びに来たりしていました。
小学生の頃には、通学路に秋田犬を飼っているお宅があり、よく遊んでもらっていました……温厚で人懐こいお爺ちゃん犬でした。

肝心の自宅はというとペット禁止。せいぜい金魚や昆虫を飼うのが関の山な環境で、犬猫飼いたい気持ちは今も変わっていません。

が……大学生になった時、妹が子犬を三匹拾ってきたのです。妹が言うには「自分だけが拾ったんじゃないもん」ーー団地に住む子等と一緒に連れて来たものの、団地ももちろんペット禁止で飼い手が見つかるまでは、という事で家に連れ帰ったとのことーーとはいえ、当時は実家マンションもペット禁止でした。
(今ではコッソリ堂々と飼う人が増えたため『一代限り』という条件付きでペット許可されている模様。元が分譲マンションなので取り決めは色々大変だったと思います)

母も、子どもの頃に犬猫飼った経験があり、動物好きなためーーやむなく、引き取り手が見つかるまでは面倒を見ようと決めたようです。
夏休みに実家へ帰った時は驚きました……
高校生の時は父がハムスターを拾って帰ってきて、二年ーー当然のことながら、父が面倒を見ることなどないので、ケージの掃除などは私達子どもの役目でした。
また父が拾ってきたのかと思いきや、今度は妹が拾ってくるとは。

いや、捨てる人が元々は悪いのですよ。ちゃんと避妊していなかったから子ができた訳で。

しかし、後でよくよく聞いてみると子犬が産まれた家からわざわざ引き取って来たっぽい?
飼えもしないのに、どうしてまた……子犬の引き取り手を探していたところに、妹達が安請け合いで連れ帰って来たらしい? 何じゃそりゃ。いくら子犬が可愛いからって、ぬいぐるみじゃあありません。生き物ですよあーた。

結局、貰い手は母が探して、二匹は貰われていきました。妹が自分の家に残るならこの子がいいと言っていた子も貰われていき、妹の好みではなかったらしい子が残って……妹は泣いて駄々こねていましたが、その最後の一匹は仕方なく我が家でコッソリ飼われることになりました。

雌犬だったので、我が家の三女扱い。犬が妹なんてやだーとは思っていましたが、可愛いっちゃ可愛いんですよ。私も動物好きだもの。

その後、私も調子こいて子犬拾いましたが……祖父に見つかって、私がいない間に保健所に連れて行かれてしまいました。大泣きしましたーー自業自得。

ペットは私達と同じ命あるものです。安易に捨てないでください。
そして、安易に拾わないでください。

毎年、約30万という数のペットが殺処分されていること、あなたはご存知ですか? 人間のエゴが為す事実です……飼うなら一生、死ぬまで見守ってあげてください。
犬猫の寿命は約10年ですから、そこ、念頭に置いてね。増えて困るなら、避妊もちゃんとね。ペットは人間と同じくお世話にお金がかかります。そこも覚悟の上でないと飼えませんよ、いや、飼っちゃーいけません!

我が家の三女は、中型犬ながら20年生きましたが。

あー……犬猫鶏飼いたい……いまだ、「一匹で十分」と言われている『猫』でした。

父方の里が温泉地であったためか、物心ついた頃には温泉に慣れ親しんでいました。父方祖父母が借りていたアパートの半地下に共同浴場があり、熱々のお湯がほぼかけ流し状態でーー今思えば贅沢なお風呂だったなぁーー子どもの頃はそのお湯が熱過ぎて、冬場でも湯上りに水浴びするほどの温泉共同浴場でした。

夏休みや冬休みには必ず温泉に入る環境で育った私。

大学生になる頃には、アパート解約してしまって共同浴場には入れなくなりましたが、大学の裏手に無料で入れる温泉の町があり、学校帰りに温泉好きな友達とタオル一枚持って温泉巡りをしました。
それまでは、特に好きとか嫌いとかいう感覚なしに温泉巡りをしていたのですが、

「さやちゃんて、温泉好きだよねぇ」

と同期生の子に言われて初めて『ああ、私は温泉好きなんだ』と自覚。言われてみれば、わざわざ温泉に入って廻るあたり、好きに違いありません。(笑)

車の免許を取ってからは、学生時代には行けなかった九州各地の温泉を堪能しました。九州圏外に出る時も、最寄りに温泉地があれば寄りましたーーうん、温泉好きに間違いない。

そして、飼い主様と一緒になるきっかけであったろうデートも温泉ーー色気もへったくれもないようですが、九州は混浴文化圏ですから〜 ♪

今ではただの混浴大衆浴場タイプではなく、家族湯という個室タイプの温泉も増えたので、温泉デートは大アリですよあーた。
ただし。壁は薄いし半露天がほとんどだから、声は周りに聞こえまくりですがね……温泉を堪能するだけなら、何ら問題ありません。

温泉って、いいなぁ。

通称が『ねこ』、猫車とも言います。一輪車、手押車とも言いますーー農家には一台はあるかも、もっと大きくなるとリアカーになります。いろんな物を人力で運ぶ道具です。
物心ついた時にはそれを『ねこ』と呼び、押していくのを『ねこ押し』と言ったりしていましたーー母方の里にもあって、遊び道具の一つでもありました。

きょうだいで乗ったり押したり、大叔父にあたるおじちゃんが私達を二人乗せて押してくれたり後手にして引いてくれたりして遊んでくれました。
自分達に子どもがいなかったせいか、私達を子どもか孫のように可愛がってくれました。

ただ、物凄いヘヴィスモーカーで、缶ピース吸うような人だったので、小学生の時に亡くなりました……

以後、あまり猫車で遊ぶことは無くなりましたーーが。

会社人になって、再会しました。周囲で働いている方々も皆『ネコ』と呼んでいて、同僚の中でそれが何を指すのか知っているのは私だけという事を知ってショックを受けました。(笑)
ある日研修中、仕事場で『ネコ』持ってきてと言われた同僚が、

「ねえ、監督さんに猫持って来いって言われたんやけど、何で猫?」
「猫っておったっけ? てか、仕事に要る?」

と私に聞いてきて、一緒に来ていた他の子も『猫』を真剣に探している様子。……んな、バカな。

「ネコ、道具置き場にあったやん。うちが取って来るわ」

私が猫車を引いて戻ってくると、同僚は目を丸くして、

「それがネコって言うの?」
「なぁん、あんたら知らんかったと?」

逆に聞き返したら「そんなもん知る訳無いやん!」と口を揃えて返されました……誰もが知っていると思っていたよ。

「ひっくり返した形が猫耳みたいだから『ネコ』なんだよ」

と監督さんの説明で同僚達も納得。私も呼び名の由来は知らなかったので、私も納得。(笑)

今でも多分、押すのも引くのも自在、のはずです。猫車ーー昔取った杵柄で。

健康な体を目指して、健康食品だのサプリメントだのに毎月のお小遣いを当てていたら、保険料支払いが厳しくなりました。
そこで、ネットを通じて保険の見直しを打診してみたところ、ファイナンシャルプランナーと直接会って相談することになりました。

やってきたのは二十代後半の女の子。足首骨折したとかでギプスはめた痛々しい姿で登場……だ、大丈夫なん??
でも、とても目力のあるイイ子で、幾つか持ってきてくれたプランもどれも丁寧に説明してくれて、保険ナンジャラホイの私にも今自分が契約している保険の仕組みがよく解りました。

めっちゃ損してるやん!!

年金型生命保険は、老後の積立金になっていると思いきや、マイナスになっていました……即、解約。貯蓄系保険も医療保険も一つを残して全て解約。色々打診された保険会社の中から、自分にピッタリそうな会社を選んで、新たに契約しました。

手続きには、最近の病歴が災いして書類作りに手間かかりましたが、ちゃんと保険には加入することができました。これで一安心です。
色々と病気抱えている人には、保険は必須です。入院の度に数十万飛んでいきますから……できれば、掛け捨てではなく返ってくるタイプで……っても、私自身の保険は掛け捨てメインですが。

解約した保険会社からは、雀の涙ほどの解約金が返ってきました。入院時に今まで払ってきた分取り戻していますから、まあよしとしましょう。


完全に自覚したのは、41歳になってからでした。多分ーー6月の絵手紙にお天気痛の絵を描いているので、その辺には自覚していたと思われますーー右や左、たまに両方のこめかみが強烈に痛くなるのです。
冷やすと比較的楽になるため冷却シートを貼るのですが、髪生えた所に貼るからすぐ剥げる……仕方ないから、ヘアバンドなど着けて剥げ防止。冬場は毛糸の帽子も被りました。

飼い主様が気圧計を買ってくれました……どうもない時の気圧の所に動かない金の針を設定。

1020hPa

ぶっちゃけ、ミリバール世代です。ヘクトパスカルは最近ようやく言えるようになったカタカナです……カタカナ苦手。
当然の事ながら、動く黒い針は晴れると数値が上がり、雲行き怪しくなってくると数値が下がります。でも、針の動きは緩やかなので天候の急変には対応できないようです……

そんな、天気の急変に敏感なのが、私のこめかみです。
飼い主様いわく、

「天気予報よりよく当たる」

明日は傘を持って行こうとかいらないとか、そんな目安に利用される体たらく。

絶対、治す!!

病院で処方される鎮痛剤からネット検索で行き着いた漢方とか、色々試してみましたが……効いているのかいないのか、サッパリですわ。
何せ、突発的にやってくる痛みです。頭痛日記をつけてみた事もありますが、一般的に言われるような周期性や規則性は全く無し。日中・深夜問わず、痛む時に痛むのです。

ただ、痛みそうだなというのはたまに予測できるので、そんな時にはすかさず薬を飲みますーー予測できない時は、おとなしく冷却シート貼って寝ます。
正直、予測できない痛みの方が増えてきて、切実な問題化しています。

どなたか、特効薬ご存知ありませんか? 怪しいモノではないの、よろしくお願いします……

プロフィール

HN:
莢猫
年齢:
50
Webサイト:
性別:
女性
誕生日:
1973/09/06
職業:
自由業
趣味:
ビーズ細工・ドライブ
自己紹介:
詳しくはカテゴリー『プロフィール』で。
A型乙女座長女なのに、近頃は、AB型とかB型とか星座はともかく末っ子とか一人っ子とか言われる、ゴーイングマイウェイ主婦。
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