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猫空世界〜あんなことこんなことあったでしょー記〜

生まれて初めて触った動物が猫だったサヤネコです(以来ネコ好き)。 十二の時に死にかけ、三十代にも死にかけましたが、まだ生きています。死にたいと思った事も多々ありますが、なんだかんだで生きています。 生かされている事に感謝して、シャーマン始めました。 シャーマン始めることになった話以降は、はてなブログ『超自然主義生活』で記事更新中。

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エイプリルフールに入籍して、今年で12年目になります。嘘のような本当の話ってことで、わざわざフイプリルフールに入籍しました。

20代の頃、テレビだか雑誌だかで『夫が結婚記念日忘れて血ぃ見る喧嘩に発展』みたいな話を見たことがあり、「だったら絶対忘れない日を選んで記念日にすれば良かったのに」と呆れていた私。
まさか、自分に入籍する日が来るとは夢にも思っていませんでした。

特にプロポーズらしい言葉はなかったのですが、結婚する事になって、20代の頃見た話を思い出しました。そこで、飼い主様に言いました。

「入籍するのは4月1日が良い」
「ん、わかった」

なんで、「どうして」とか聞かんとですか? こちらの意図はお見通しでした……

「ん、忘れんけんでしょ?」

知恵は回らないけど、頭は私よりもめっちゃイイ飼い主様ですーーくうっ!
こうしてあっさり、私達の結婚記念日はエイプリルフールになりました。

以来、気の利いた嘘が吐けなくなりました……今までさんざん、エイプリルフールに、

「私、結婚するけん」

と、友人を欺いてきた私。
その日に入籍してしまって、『結婚しました』のハガキを4月1日着で送ったら、何人かからは、

「いくらなんでも、嘘吐くのにお金かけ過ぎやろ」
「隣の彼は男友達? 悪ノリし過ぎ」

なんて返事が来ました。

チャペル背景でドレス姿、燕尾服飼い主様とのツーショット。写真は3月に撮ったのでハガキは割と早く作れたのですが、4月1日必着にしたのが仇になりました……自業自得。(笑)

一昨年は『スイートテンダイヤモンド』と言うと華やかに聞こえる『アルミ婚』、10周年でした。結婚するのならドレスに白無垢着たいと思っていた私。入籍前にドレスを2着着せてもらったので、

「ステートテンダイヤモンドは要らないから白無垢着せて」

と飼い主様に訴え続けて10年目。
親には内緒で事後報告・二人きりでやるのを条件に、人力車に花嫁船からの神前式を白無垢で体験しました。
ランチも込みで、リアルダイヤモンドなお値段でしたーーありがとう飼い主様。ダイヤよりもずぅっと良かったよ。
(宝石はルビーが一番好き、でも誕生石はサファイア……実はルビーもサファイアも色が違うだけで元は同じ石。豆知識でした)

15周年か20周年には、「『あの肉』食べたい」と飼い主様に訴えてみたのですが、

「は? 本当にそれだけでいいの?」

と返されて以後、話題になっていません……(笑)

今年は12周年。何してくれるのか、何しでかすか、考えているうちに1日終わってしまいそうーーとりあえず、嘘でも吐いておくか。

「妹が結婚するって。お祝い送るからお金ちょうだい」




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健康優良児……だったはずなんだけど、思い返すと結構病気していたなぁと気付きました。
毎年、季節の変わり目で気温差激しくなってくると『アレルギー性鼻炎』と診断され、プールの季節になってくると、たまに『結膜炎』でプールに入れない事もありました。

最近は、学校のプールでは水中眼鏡着用必須らしいですね。私が小学生時分は、目のシャワーなるものが蛇口についていて、それで目を洗うのが習慣でした。今、思うと……とんでもなくおぞましい……

特にアレルギー性鼻炎は、かなり大きくなるまで、いわゆるアオッパナ出てましたのーー昔の田舎の子どもごっつ。(笑)
母は『どこそこの耳鼻科の先生が良いみたい』という噂を聞けば連れて行く人で、最初は西新の耳鼻科へ連れて行かれました。温厚で丁寧に診てくれる先生でした。
何年も、忘れた頃にその耳鼻科へ通っていたのですが、ある日、母に連れて行かれたのは西新ではなく赤坂の耳鼻科でした。

そこの先生はどうも子ども嫌いっぽく、子どもながらに『この先生、イヤイヤ診察してるな』と感じるほどでした……もちろん治療も乱暴なら、言葉も酷かった。
何度目かの通院で、先生から、こんなことを吐き捨てるように言われました。

「あんたのツバは、バイ菌が い っ ぱ い だ!」

よほどか、先生の顔にペッとツバ吐きかけてやろうかと思いました。二度と来るかこんなとこ。
ーー今ならドクハラで訴えられてもおかしくない発言です。
母は名医と信じていたようですが、私は「この耳鼻科もう来たくない」と、それ以後、自分で自転車こいで西新の耳鼻科へ通いました。

眼科は歩いても通える所にあり、校医でもある女医さんで、行くと丁寧に診てくださいました。小学校の校医ですもの、子どもの面倒見は極めてあったのかもしれません。たまに眼帯させられたり、その治療は過保護すぎやしない? なんて事も……(笑)

眼科も耳鼻科も、まだありますーー次世代が継いだか、でなければ、かなりご高齢になられた先生が現役がんばってあると思われーーさすがに、あまり無理はして欲しくありません……いろんな意味で。

そして、4年生くらいまで、冬場一番冷え込んだ時になっていたのが『しもやけ』。どういう訳か、手か足の小指にできていました。日頃はこんまい小指が、ほぼ2倍に膨れ上がるの。
五本指手袋がはまらなくなるので、しもやけ期間はミトンでした。治療には、近くの小児科へ通いました。風邪ひいた時もお腹壊した時も、この小児科でした。塗り薬を処方してもらっていたのですが、ちゃんとつけていた記憶がない……

痛みはあまり覚えていないのですが、温まると痒いのなんの。外から暖かい部屋などに入るとすぐさま、掻いても掻いても治らない強烈な痒みが襲いました。
血行悪化から起こるそうですが、どうやって治したやらーーいつの間にかなっていて、いつの間にか治っているのがしもやけでした。

血行の悪さで言えば、あの頃より今の方が酷いはずなのに、しもやけ起こしていたのは小学時代だけでした……不思議だ。
もしかしたら、温暖化のせい? それとも、ヒートテックなどのぬくぬく下着が普及したせい?
そういえば『あかぎれ』も、最近見ないなぁ。

鼻炎は、今だに耳鼻科のお世話になることありますが、今の主治医の先生曰く『アレルギー性鼻炎じゃないよ。普通に副鼻腔炎だよ』とのことです。昔と今では診断も変わるものです……
結膜炎やしもやけなども、子どもの頃のように病院にかかることは無くなりました。てか、中学生以降、一度も発症していません。

何なんでしょね。(笑)


「姉ちゃんは俺のほんの一面からしか見とらんやん。氷山の一角しか見とらんのと同じや」

弟に言われた言葉です。かく言う弟の言い分を聞いていたら、彼もまた、私の事を『氷山の一角しか見とらん』ことに気づいて、なるほどなぁと思いました。

自分のことは自分がよく解っているつもりでも、自分にとって体裁悪かったり都合悪かったりする所は、誰でも見て見ぬ振りをしてしまうもの。
そして、自分が『解っている』と思っている部分も、実はほんの一部であって、人に指摘されて初めて気づく部分もあります。




こと、その初めて気づかされた部分が、自分にとってあまりよくない事であれば、誰しも頭にくるものです……弟も、私が指摘した忠告の手紙に対し、腹を立てて電話をしてきたのが事の発端でした。

氷山の一角、なかなか良い『たとえ』だと思いました。自分の全てを100パーセントとしたら、周囲に見えるのは30パーセントくらい。自分で見えているのは30パーセントと言いたいところですがその実、うんと見渡してもせいぜい15パーセントくらいではないかしら。残りの70〜80パーセントは、深層心理。自分にとっても未知の領域です。

鏡を見た時、自分の後頭部は全く見えませんよね。同じように、自分自身も他人にしか見えない部分があるーーとしたら。
たとえ腹が立っても、その人にはそう見えてしまっているのだから、改善できる事ならできるだけ、改善した方がいいと思うのね。

ちなみに、私が弟に言われた『氷山の一角』は、

「いつもドテーッと座って動かんくせに」

でした。

実家に帰ると、食事の支度などは全て母がやってくれるのでーー確かに、ドテーッと座って動きませんが、後片付けは率先してやっています。
しかし、弟の脳裏にはこのファーストインプレッション(第一印象)しか残ってなかったんだな。
これからは、食前から目の前をウロウロして見せようっと。(笑)
雨の日も晴れの日も、それぞれ景色が美しいことーー人生山あり谷ありですが、どのような状況であっても人生は素晴らしい、みたいな意味の言葉です。『雨奇晴好』。晴好雨奇とも。

2015(平成27)年12月から始めて2016(平成28)年3月まで、ザザァーッと……私の生きてきた道をちょっとしたイベントごとに記してきました。
これからは、自分が日々感じたことを綴っていこうと思います。

なんて、カテゴリーは『雨奇晴好』なんてカッコつけちゃいましたが、ノリは『徒然草』の方が近いかも。(笑)

つれづれなるままに
ひくらし すずりにむかひて
こころにうつりゆくよしなしごとを
そこはかとなくかきつくれば
あやしうこそものぐるほしけれ

思い出した過去については、今までどおり『思い出&逸話集』、これから起きる出来事については『飼い猫編』にカテゴリ分けしていきますね。



さて、人生は山あり谷あり。中には谷ばかり、平坦で何もなかった、なんて言う人もいたりして、人生観の捉え方は人それぞれです。
私の場合は、自分で言うのもなんですが波瀾万丈、変化の激しい半生だったと思います。半生というか、自分では3分の2生(人生60年設定)ということにしています。60歳過ぎたら、文字どおり余生です。

今や人生80年などと言われていますが、私が20代の頃には『第2次ベビーブーム世代の寿命は41歳説』(環境・食生活等悪化による短命化説)が話題になっていたほどですから、仮にその説を採用したなら、既に余生突入しているのですよあーた……

実際のところ人生何年だか、それもまた人それぞれではありますがーー寿命は誰もが、いつしか尽きるもの。
それが今日なのか明日なのか、1年後10年後50年後なのかーー神のみぞ知る。

例えば、私が末期ガンで余命宣告されたとしても、それは医師が診断として算出した寿命の目安であって、『その日になったら必ず死にます』という宣告ではない、と私は解釈します。

私は子どもの頃から「自分はそう簡単に死なん」という妙な自覚がありますから、きっと、そう簡単には死なないと思います。(笑)
でも、寝たきりで長生きはしたくないから、そうなった時は延命処置は要らない。さっさと終わらせてください。輸血とか酸素吸入器とか必要ないからね、うん。

……私は、他の人とは『生死観』が違うのかもしれません。よく見かける表現に『生と死は隣り合わせ』とか『生死は表裏一体』とかありますが、私個人の意見は、

「死はいつも生の目の前、鼻先にある」

というか、魂というか『生』自体が、例えるなら端を少し濡らしたティッシュを鼻先にくっつけて、それを鼻息で吹きながら暮らしているって感じです。うっかりティッシュを吹き飛ばしてしまったら the end という訳です。
あるいは、どうにかすると顔にくっついてくる濡れティッシュ『死』を、常に鼻息で吹き飛ばしながら暮らしていて、鼻息で濡れティッシュを吹き飛ばせなくなった時 the end ……

『生』こと命は脆いもの、同じくらい『死』も繊細で、油断すれば今すぐにでも迫るけれど、老衰・病弱などで体力弱るまで先延ばしできるものでもあるーーと、私は考えています。
そして、誰でも生き物は等しく、その『死』へ進んでいくもの。『死』は誰も逃れようがない終着地点です。

人生の行く道の選択肢は多岐に渡っても、辿り着く先は『あの世』なのです。(スンマセン仏教徒なもんで、私が逝く所はあの世……宗教によっては逝く先違うと思います、その辺はご容赦くださいませ)

どの道行っても最後は『死』。だったら、生きている間にできることは何でもやりましょう。

刑法に触れる事以外なら……『やらずに後悔するならやって後悔しろ』ーーこれ、誰かの名言だったような。
収集つかなくなったところで、ごきげんよう!(逃)
結婚当初、夫こと飼い主様に「一匹で十分」「働かなくていいよ」と宣言された猫です。

それまでずっと家にいたことがなかった私は、3ヶ月で家事鬱になり家出しましたーーそんな時に『投げクマちゃん』を頂いて、少し心和んだ私。そうだペットの代わりにぬいぐるみでもいっかと、投げクマちゃんに猫のぬいぐるみを追加しました。

その後ある日、美術館へ出かけた折りに、ワークショップで凛々しい赤い招き猫を見かけて一目惚れ。即、買って家に連れて帰って、ふと気がつきました。
独り暮らししていた時にも、ガチャガチャや小物屋さんで手のひらサイズの小さな招き猫を買っていたことーーそうだ招き猫をペットにしよう。

それからというもの、骨董屋さんや和物ショップなどで招き猫を見かけると即ゲット。右手上げも左手上げも見境無く買い集めていたら、飼い主様が悲鳴を上げました。

「置き場に困るでしょうが! 右手上げか左手上げ、どっちかにしなさい !! 」

ショボーン……招き猫には二種類、右手上げと左手上げがありまして……って、どなたもご存知ですよね。俗に、右手上げは『金招き』左手上げは『人招き』とされています。

それなら右手上げ限定で集めようと決めてしばらくした頃、テレビ番組『美の壺』で招き猫が取り上げられました。
そこで紹介されていたのが、『九谷焼』。石川県の焼き物で、赤地にカラフルな色が『盛り絵』と呼ばれる技法で立体的な模様にーーそれが招き猫に施されていて、目が釘付けになりました。

尾道の招き猫商店街(?)に出かけた時に、黄地に盛り絵のまんまるボディな招き猫を見つけて購入しました。それはそれで可愛かったのですが、テレビで見た赤い招き猫とはほど遠い。
その数年後、東京は浅草へ出かけた時、ついに見つけたのです……まだお店は開店前で、店主のお姉さんが店の前を掃除しているところでした。

距離でいうと、軽く500メートルは離れていました。私は若干近眼なので、我ながらよく見えたなと思います。
それは、うなぎ長屋のような店の奥、左側の階段のような棚の三番目に乗っかっていましたーー飼い主様と来ていたのですが、もう飼い主様そっちのけで猫まっしぐら。

小走りで近づいてきた客にお姉さんもビックリ。でも、「あの子見せてください」と店の中を指差したら、快く店内へ通してくれました。
私はまっすぐ、遠くからしっかり視線に捉えていたそれを両手で抱きかかえ、

「この子、ください」

顔は決してーーごめんねあんまり可愛いとは思わなかったのだけど、何より全身の盛り絵とブチャネコながら凛とした目力に、もうメロメロ。テレビでは同じくらいの大きさの招き猫10万円と紹介されていたのが何と2万、即買いでした。

がーーその時持っていたカバンに収まらないリアル猫サイズ(子猫と成猫の間くらい)の招き猫で、私はその猫を両手に抱えたまま店を出ました。

「ずっと抱えて歩くつもり?」

店の外で待っていた飼い主様に言われて、ハッとしました。そうなのです。時は朝10時、これから街ブラしようかって時に買ってしまった上に、カバンに入らないビッグサイズ……おバカ丸出し。
仕方なく辺りを見回すと、店先に猫が入りそうなショルダーバッグを提げているエスニックショップ発見。これまたまっしぐらにその店先へ行き、ショルダーバッグをレジへ。
ちょうど、お店では、2000円以上の買い物で1000円セールのストールを一枚あげますフェア中で、図らずも猫入れカバンにストールのおまけがつきました。(笑)

早速、ストールで招き猫をふんわり包み込んで、買ったばかりのショルダーバッグにイン。うーん、いい感じ。
東京から福岡へ帰る間も、ずっと持参して、九谷焼の招き猫は我が家の子等の一匹になりました。

さすがにそれ以後、招き猫を買うのは自制していますーーホント、置く所無いの。これから引越す家のどこに、我が子等『招き猫』の居場所を作ろうか、思案のしどころです……

「一匹で十分」に次ぐ、飼い主様の爆弾発言です。よほど、一匹養える自信があったのでしょうねというのは皮肉で、彼の本音は、『外で働くうちに浮気でもされたら堪らない』というところだろうと推察しています。

その実、結婚前までは複数彼氏と同時進行していたので、独占したかったんだろうなーー彼は前妻不倫(と思われる事態)で離婚経験があるので、トラウマになっているに違いありません。

結婚願望も全く無く、専業主婦になるなんて以ての外と思っていた私。まさかこんな展開になろうとは、当時、すべてが予想外でした。
でも、どうせ結婚するなら、父方祖母の念願であったドレスや白無垢はもちろん結婚式や披露宴だってやってみたかった私。
ところが、飼い主様は再婚で、既に結婚式も披露宴も経験済み……再婚で知り合いなど呼んでの披露宴はやりたくないと言うのです。まぁ、気持ちは解らんじゃないわな。

そこで、ドレスはレンタル2着+写真撮影で『結婚しました』の写真ハガキを作り、披露宴の代わりに親・親戚だけで会食。
白無垢は、『アルミ婚』10年記念で装着。新婚旅行でオプション挙式しなかったのをずっと後悔していたので、さんざんワガママ言って花嫁船と神前式もしてもらいました。

働かなくていいよって言ったの、飼い主様だよね。
ぶっちゃけ、自分がやりたいことに関してはとことん浪費家です。だから、働いていたのに。

博物館でヴェネチアングラス展があって、アクセサリー作りのワークショップ抽選を当てた時は、その月の生活費で渡されていたお金全額、ビーズにしちゃいました。

飼い主様、絶句。

言っとくけど、後悔なんかこれっぽっちもしてないから。
働かなくていいよって言ったの、飼い主様だよね。

これでもまだ三行半来ないあたり、飼い主様はよほどか離婚もトラウマになっていると思われ……いやいやいや、あれこれやらかすのをほどほどに……いや無理!

これからも飼い主様には度々絶句していただきます。(笑)

いつ三行半突きつけられても大丈夫なように、資産作らなん。

子供の頃は、全くなかったと思います。意識もしていなかったから記憶に無いのでしょう。何せ、温泉後に水浴びしていたくらいですから、冷え症ナニそれ体質だったと思われます。

それが、白血病やってから、冬場は足元に湯たんぽが無いと眠れなくなりました。高校生の時には、父がお歳暮に頂いていた養命酒を毎晩飲まされましたが、足の冷えは悪化していく一方……電気毛布が無いと眠れなくなりました。

社会人になると、夏場でも腹巻とレッグウォーマーが欠かせなくなりました。ここまでいくともう冷え性ではなく冷え症ですね……けれども当時は、『冷え性』という体質であって病気とはこれっぽっちも思っていなかったため、医者に診てもらうことなどありませんでした。

飼い猫生活が始まって、数年おきに入退院を繰り返し、38歳の時に橋本病と診断されてようやく、手足の冷えが病的であることに気がつきましたーー遅すぎるわ。
冷え症になったのは随分前から橋本病が原因だった、という可能性は否めません。が、診断されたのは38歳でそれ以前ではありません。

橋本病は、前記事でも語りましたが自己免疫疾患の一つで、代謝や体温調整などにも関わってくる病気です。この病に全く関係ないとは言い切れないのですーーが、これは自己診断であって医者に言われた訳ではないので悪しからず。

でも、長年、冷え症に悩まされている方は、ホルモンバランスを保つ器官の検査を受けることをお勧めします。女性の場合、甲状腺の他、卵巣や子宮がその代表格ですね。

私の場合ですが、去年からプロテインとマルチサプリメントを毎日摂るようにしていたら、それまでなかなか手放せなかった冬場の電気毛布や夏場の腹巻・レッグウォーマーが要らなくなりました。

食品による体質改善は可能なようです……今でも、寝る前の手足の冷えは半端ありませんが、これも次第に克服できると信じています。

このくらいの年頃から、何だか視界がブレて見える現象が増えてきて、近くの眼科へ行ってみました。一軒目の眼科では、

「左目が少し上、右目が少し下にずれるようですね。『シャイ』と言います」
「シャイって?」
「斜めの位置で『斜位』です」

どう対処したものやら、分かりません……眼鏡作りましょうかという話になりましたが、眼鏡を調合(?)する先生が入院されたとかで、セカンドオピニオンを余儀なくされました。

仕方なく、近くの眼科を探して二軒目では。

「左目が少し上、右目が少し下にずれますね。でも斜位ではありません」

それじゃあ一体何なのよ。明確な回答はいてもらえないまま、眼鏡作りではなく目薬処方されて診察終了……うぉい !!

「気になるようなら脳神経科に行ってください」

投げやりな態度でこんなこと言われても腹立つだけですよ先生。仕方なく言われた通りに神経内科へ行くも、

「うーん、さすがに僕のとこでは分からないなぁ。眼精疲労でもそういった症状は出るみたいだよ」

と、その場で調べてくださったことを教えてくださいましたーー持つべき主治医は患者に親身になってくれる医者ですね。やれやれ。
目を温めるとか、閃輝暗点が見えた時と同じように暗い部屋で安静にしておくといいかもとか、色々アドバイスを頂いて帰宅。

結局、はっきりしたことは分からずじまいです。

今でも、酷い時は車の運転はおろか家事すらまともにできない有様、最初の病院で診断されたように『斜位用眼鏡』を作った方がいいのかもしれませんが、二軒目の病院で言われたように、目の筋肉が元に戻そうと頑張るうちは眼鏡なしでこらえるようにした方が良いのかもしれません。

いやいやいや、どっちよ。

とりあえず眼鏡は作って、どうしても必要な時にかけるのが一番な気がする。もういい加減、眼鏡調合の先生復帰してないかな。

※ 鏡見ながら描いたら逆になっちゃった……左右逆転しています。
40歳(41歳になる年)の時、飼い主様と人間ドックを受けました。せっかく受けるのだからと、全身くまなく診てもらう事にしました。
すると、飼い主様の右肺に1センチほどの影が見つかったのです。

「レントゲンと血液検査の結果だけでは何とも言えませんが、ガンである可能性は否定できません」

とのこと。私は、彼のお父さんが胃ガンで胃を全摘していたので、遺伝はあるだろうなと思っていましたから、特に驚きはしませんでした。が……
飼い主様は、相当へこんだ模様ーーガンだったらどうしようとか、その日の晩はろくに眠れなかったそうです。

「そんなに心配なら摘出手術受ければいいやん。検査してガンでなければ良かったねで済むし、もしガンやったら早期発見できて良かったねになるやろ。あんた自分のお父さん見てみい、ピンピンしとらすやん」

そう、お父さんは胃を全摘してありますが、今も元気に畑で野菜作ったりゴルフしに行ったり、活発にしていらっしゃる御仁。少しは我が父を見習えなのです。
お父さんの爪の垢煎じて飲ませちゃろうかまで言ってようやく、飼い主様も開き直る事が出来ました。

内視鏡使った手術で、問題の影を切り取る手術を受ける決心をした飼い主様。手術には家族の立会い必須だったので、手術の日は朝イチ目覚ましアラームをセットして寝ましたーーが。
翌朝。手術開始は8時45分からだったのに、目が覚めたのは8時46分。目覚ましアラームはとっくの昔にスヌーズも終わっていました。
しかも目覚めと同時に猛烈な偏頭痛が……よりによって、どうしてこんな時に……眠くならない鎮痛剤を飲んでから病院へゴー。

9時半過ぎに病院到着……飼い主様は既にというか、当然、病室には居ませんでした。小一時間後、ロビーに呼び出され、執刀医から切り取った肺を見せられて、

「この部分が問題の部位です。これから組織検査しますので」

肉片の一部分を指差す執刀医の話を聞きつつーー1センチの影切り取るだけのはずが、だいぶ大きく切り取ったわねーと思った私、

「はい、よろしくお願いします」

とだけ口に出して、術後説明終了しました。セレブ総合病院ですもの、腕は確かなはずです……知らぬが仏。
病室に戻って、飼い主様が帰ってくるのを待って、麻酔切れたばかりでぼんやり顔の飼い主様に「お疲れさん」と声をかけたら、さっさと帰宅。だって頭痛かったんだもん。酷い妻と言うなかれ。

組織検査の結果、ガンであることが判明して、他にもいくつかあったガン細胞摘出のため、飼い主様は2ヶ月後に再入院しました。
今度は抜かりなく早起きして、朝から手術なので朝食弁当も用意して、待ち時間暇を持て余すのは目に見えていたので画材一式もカバンに突っ込んで、いざ病院へ。

真面目に行ったのはいいけど、待ち時間3時間超えました……画材持ってきて、正解やった……絵手紙を4枚、宛名も近況もゆっくり書いても、飼い主様は戻ってきません。
手術が始まると、病棟の外には出られないことになっていたので、なおさら待ち遠しかったなぁーー昼ご飯も用意してくればよかった。

お昼過ぎ、例のごとくロビーに呼び出され、摘出した肺ガンの欠片を見せられて、

「全て摘出することができましたが、これらはリンパ節の近くにありましたので、転移の可能性も無いとは言えません。今後は定期的に通院していただくことになります」

はいはい、織り込み済みですよ。通院するのは飼い主様だから、よくよく言い聞かせといてくださいね。

「はい、ありがとうございました」

自分自身、白血病だの敗血症だの何度も死にかかっている身の上です。伴侶のガンごときで動じることなどあーりませんよ。でも、執刀医の先生にしてみれば反応が意外だったのか、最後にこんなこと言われました。

「奥さんしっかりしてありますね」
「いえ、彼のお父さんが胃ガンで全摘していて、今も達者にしてあるので。彼も大丈夫です」

ガンは早期発見できれば、克服できる病だと、私は思っています。自分が入院した時に同室だった闘病仲間の中には『末期余命3ヶ月』と言われていたにもかかわらず、その後3年、手紙・電話のやりとりできた友もいました。

ガンですって? がーん……なんて、落ち込むから悪化するのだと、私は思っていますーー意見には個人差がありますーー体調管理次第では、進行していたはずのガンが消えた方もいらっしゃるくらいなのですよあーた。

次は私が乳ガンかなーくらいの気持ちでいます。母方祖母が乳ガンだったので、遅かれ早かれ発症すると思われます。
だからと言って悲観するつもりはありません。きちんと検査は受け続けて、見つかったら速やかに取る。

でも、抗ガン剤や放射線治療は、絶対やらない。あれはきついんだもんもんもん……気力と体調管理で克服するぞー!←本気


ちなみにこの絵は、飼い主様手術中に描いていたザクロ。芸術の秋と食欲の秋を語呂合わせしていますーー手術入院は8月と10月でしたーー待ち時間などの暇つぶしに絵手紙、あなたもいかが? 気が紛れること請け合いです。
私がお世話になった外科の受付看護師さんは、どういう訳か私のことを覚えていて、受付で保険証と診察券を差し出すといつもこう言われました。

「まぁた、あんたね。今日は何したとね?」

ドラえもんのようにまん丸で、母より年を取って(いるように見えて)いて、いつもしかめっ面でしわがれ声、老眼鏡と思われる分厚い眼鏡をかけたオバチャン看護師さんがデンと構えて上から目線。
毎度のことなので、怖いともムカつくとも思わず素直に、自分がどんな怪我で来たのか伝えていました。

捻挫や突き指はしょっちゅう(突き指するとピアノの先生から大目玉食らうのではよ治さなでした)、時には爪が剥げたとか数針縫わなん怪我したとかーー何故、そんな怪我をしたのか、今となってはほとんど覚えていないのですが、とにかくまあ、顔を覚えられるほど頻繁にお世話になっていたのは事実のようです。(笑)

今でも覚えている怪我は、ライダージャンプを筆頭に、風の強い日にスチールドアで指挟んだ、プールの底で足の指擦ったと思ったら爪も取れていた、うっかりブランコこいでいる所の前を横切って顎切った、自転車で公園の崖駆け下りて木の根に当たってひっくり返り膝(の皮膚)が割れたーー書き並べているだけでも痛いわこりゃ。
ドッヂボールなど球技の最中に突き指・捻挫……これはひとえに運動オンチのせいかと思われ……年に2・3回はそんな怪我をして、一週間から二週間ほどは通院する事になっていたから、覚えられて当然か。

今でも、テレビや街の雑踏などで、ふくよかな年配女性を見かけると、外科の受付にいたオバチャン看護師さんを思い出すのです。

怒ったような、呆れたような、しわがれ声で頭ごなしに言われていたセリフと共に。(笑)

プロフィール

HN:
莢猫
年齢:
50
Webサイト:
性別:
女性
誕生日:
1973/09/06
職業:
自由業
趣味:
ビーズ細工・ドライブ
自己紹介:
詳しくはカテゴリー『プロフィール』で。
A型乙女座長女なのに、近頃は、AB型とかB型とか星座はともかく末っ子とか一人っ子とか言われる、ゴーイングマイウェイ主婦。
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