猫空世界〜あんなことこんなことあったでしょー記〜
生まれて初めて触った動物が猫だったサヤネコです(以来ネコ好き)。 十二の時に死にかけ、三十代にも死にかけましたが、まだ生きています。死にたいと思った事も多々ありますが、なんだかんだで生きています。 生かされている事に感謝して、シャーマン始めました。 シャーマン始めることになった話以降は、はてなブログ『超自然主義生活』で記事更新中。
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左足が腫れたのは、『血栓症の疑いがある』とこれまたちょいと曖昧な診断が下された頃、点滴も外され、CRPの数値が正常値に下がるまで抗生物質服用の入院生活になりました。
点滴がない分、自由に絵が描けるようになった私は、病室に持ち込んでいたボールペンを駆使してトイレットペーパーの芯アートに熱中ーー六人部屋に移されると、病室にいる皆さんにウケましたーー
「花札の絵を描いて」
「麻雀牌の鳥描いて」
「歌謡曲の絵を描いて」
「可愛いピエロの絵を描いて」
などなど……円筒に絵を描き慣れてくると、複雑な絵の注文が殺到。花札は役にちなんで、月見・花見で一杯とか三光・五光、猪鹿蝶、親札モチーフもたくさん描きました。前の部屋で同室だったKさんも一緒に六人部屋に移動してきたのですが、彼女は病棟内でも顔が広く、他の病室からいろんな患者さんが遊びに来ては、トイレットペーパーの芯を持参。(笑)
挙げ句の果てには、病棟清掃婦の方まで持ってきてくださるようになり、購買部でボールペンも買ってきてくださいました。これはとことん描くしかありません。
もう何本描いたか覚えてないほど描きましたが、皆貰われていって、手元に残りませんでした……
退院する時、同室の皆さんから惜しまれ、
「あんた、こんな毎週は無理やろけん、月に一度でいいけん絵手紙描いちゃってん。住所教えるけん、ねっねっ」
とKさんが言い出すと、「うちにも描いて」「私も欲しい」と同室の全員と住所交換することにーー
「来月から、毎月描きますね」
と約束しました。
幸い、母や祖母が記念切手などの収集家で、時々その切手を分けてもらったりしていたのと、いつか描こうと画仙紙のハガキ百枚持っていたのと、色鉛筆やら絵の具やら中高時代美術部で画材揃っていたのとーーいろいろ条件整っていたので、3月から早速、絵手紙を描いて投函。
通院の際には病棟へ上がってお見舞いしたり、食堂でお茶したりしました。
退院してみるとやっぱり、同室の皆さんの方が重篤でした……とはいえ、自分もそう病院にお見舞いに行ける体調ではなく、せめて、絵手紙だけは毎月欠かさず出そうと心に決めたのがーーその頃でした。
点滴がない分、自由に絵が描けるようになった私は、病室に持ち込んでいたボールペンを駆使してトイレットペーパーの芯アートに熱中ーー六人部屋に移されると、病室にいる皆さんにウケましたーー
「花札の絵を描いて」
「麻雀牌の鳥描いて」
「歌謡曲の絵を描いて」
「可愛いピエロの絵を描いて」
などなど……円筒に絵を描き慣れてくると、複雑な絵の注文が殺到。花札は役にちなんで、月見・花見で一杯とか三光・五光、猪鹿蝶、親札モチーフもたくさん描きました。前の部屋で同室だったKさんも一緒に六人部屋に移動してきたのですが、彼女は病棟内でも顔が広く、他の病室からいろんな患者さんが遊びに来ては、トイレットペーパーの芯を持参。(笑)
挙げ句の果てには、病棟清掃婦の方まで持ってきてくださるようになり、購買部でボールペンも買ってきてくださいました。これはとことん描くしかありません。
もう何本描いたか覚えてないほど描きましたが、皆貰われていって、手元に残りませんでした……
退院する時、同室の皆さんから惜しまれ、
「あんた、こんな毎週は無理やろけん、月に一度でいいけん絵手紙描いちゃってん。住所教えるけん、ねっねっ」
とKさんが言い出すと、「うちにも描いて」「私も欲しい」と同室の全員と住所交換することにーー
「来月から、毎月描きますね」
と約束しました。
幸い、母や祖母が記念切手などの収集家で、時々その切手を分けてもらったりしていたのと、いつか描こうと画仙紙のハガキ百枚持っていたのと、色鉛筆やら絵の具やら中高時代美術部で画材揃っていたのとーーいろいろ条件整っていたので、3月から早速、絵手紙を描いて投函。
通院の際には病棟へ上がってお見舞いしたり、食堂でお茶したりしました。
退院してみるとやっぱり、同室の皆さんの方が重篤でした……とはいえ、自分もそう病院にお見舞いに行ける体調ではなく、せめて、絵手紙だけは毎月欠かさず出そうと心に決めたのがーーその頃でした。
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タクシー通院で昏睡から二日後、「ベッドが空いたので来てください」と病院から電話がありました。平日なので、母に病院まで送ってもらいましたが……家を出てから階段降りるのも大変なら、車に乗るのも大変、降りるのも大変。
病院の入口で車椅子に乗せられて、入院手続き後病棟へーー当時、私は熱も高く、入院時の病名は『不明熱』。何て曖昧な病名ざんしょ。
しかも、私が運ばれた病棟は男女混合(同性同室だけど、隣や向かいの部屋が男部屋だったりしました)の『ガン病棟』でした。
ーー誰もガン病棟などと言いませんが、自分自身血液のガンである『白血病』で入院していたことがあったので、周りの患者さんが不自然に髪が薄かったり帽子を被っていたり、昼夜問わず「気分が悪い」とか「体(のどこかしら)が痛む」とかでナースコール鳴っているのを聞くと、分かっちゃうのね。ーー
まず、二人部屋に入れられた私は、母より年配でお喋り好きなご婦人Kさんと同室になりました。
「あんたエライきつそうやね、どんな病気で入院したとね」
「え、ああ、……原因不明で、とにかく、息が……上がるんで、入院、しました」
言葉もまともに出てこないのに、話しかけられる辛さや、いわんや。
「あまり、にも、きつい、んで、ごめん、なさいね」
年の近い患者さんと同室にして欲しかった。と思うも、こればかりは仕方ありません。
その後二日ほどはKさんとまともにお喋りできず、彼女の方が重篤だったはずなのにエラく可哀想がられましたーー彼女からすると、私は娘と孫の間くらいの年頃でしたから、色々気にかけてくださったのだと思います。
体調がそんな状態でしたから、トイレは比較的近い部屋ではありました、が。ほんの数メートル自宅寝室からトイレまでの距離に少し毛が生えた程度の差しかなかったのに、とっても遠く感じました。
何せ、2〜3歩足を進めるだけで息が上がるのです。何十歩か足を進めないとたどり着かないトイレはフルマラソン並みに遠く感じるのですよ、大げさでなく本当に。
至近距離のトイレへ行くのに、二度息を整えるために休まないと行けないので、少しでも尿意を感じたらすぐトイレに行かないと間に合いません。駆け足なんて絶対無理、どんなに急いでも亀の歩みで、じれったいったらありゃしないーーどちらかというとセッカチイラチですもの。
部屋を出ればトイレの入口は見えているのに、なかなかたどり着かないこのジレンマ。
ついでに言うなら、男女混合病棟なせいか、男の人が入った後らしいトイレにはブツがまんま残されていたりトイレットペーパーが無くなっているのに取り替えてなかったり。ウォイ! トイレットペーパーの追加はトイレ内にちゃんと設置してあるだろコラ!!
日頃何でも奥さんにさせているっぽいオヤジ衆め。ここは自宅じゃないんだぞーーと心の中で文句垂れつつ、トイレットペーパーの芯をキリキリねじってゴミ箱へ……ん?
どういう訳か、用足し2〜3回に1回くらいの割合で紙無しトイレに当たっていた私。トイレットペーパーの芯が真っ白なことに気づきました。
これはーー暇つぶしに使えるかもしれない!
トイレへの行き来は大変だったけど、トイレットペーパー切れのトイレに入るのは嫌ではなくなりました(笑)。
ゼコゼコ言いながらトイレに行き、トイレットペーパーの芯を持ってゼコゼコ言いながら病室に戻る私……入院中の楽しみが一つできた瞬間でした。
病院の入口で車椅子に乗せられて、入院手続き後病棟へーー当時、私は熱も高く、入院時の病名は『不明熱』。何て曖昧な病名ざんしょ。
しかも、私が運ばれた病棟は男女混合(同性同室だけど、隣や向かいの部屋が男部屋だったりしました)の『ガン病棟』でした。
ーー誰もガン病棟などと言いませんが、自分自身血液のガンである『白血病』で入院していたことがあったので、周りの患者さんが不自然に髪が薄かったり帽子を被っていたり、昼夜問わず「気分が悪い」とか「体(のどこかしら)が痛む」とかでナースコール鳴っているのを聞くと、分かっちゃうのね。ーー
まず、二人部屋に入れられた私は、母より年配でお喋り好きなご婦人Kさんと同室になりました。
「あんたエライきつそうやね、どんな病気で入院したとね」
「え、ああ、……原因不明で、とにかく、息が……上がるんで、入院、しました」
言葉もまともに出てこないのに、話しかけられる辛さや、いわんや。
「あまり、にも、きつい、んで、ごめん、なさいね」
年の近い患者さんと同室にして欲しかった。と思うも、こればかりは仕方ありません。
その後二日ほどはKさんとまともにお喋りできず、彼女の方が重篤だったはずなのにエラく可哀想がられましたーー彼女からすると、私は娘と孫の間くらいの年頃でしたから、色々気にかけてくださったのだと思います。
体調がそんな状態でしたから、トイレは比較的近い部屋ではありました、が。ほんの数メートル自宅寝室からトイレまでの距離に少し毛が生えた程度の差しかなかったのに、とっても遠く感じました。
何せ、2〜3歩足を進めるだけで息が上がるのです。何十歩か足を進めないとたどり着かないトイレはフルマラソン並みに遠く感じるのですよ、大げさでなく本当に。
至近距離のトイレへ行くのに、二度息を整えるために休まないと行けないので、少しでも尿意を感じたらすぐトイレに行かないと間に合いません。駆け足なんて絶対無理、どんなに急いでも亀の歩みで、じれったいったらありゃしないーーどちらかというとセッカチイラチですもの。
部屋を出ればトイレの入口は見えているのに、なかなかたどり着かないこのジレンマ。
ついでに言うなら、男女混合病棟なせいか、男の人が入った後らしいトイレにはブツがまんま残されていたりトイレットペーパーが無くなっているのに取り替えてなかったり。ウォイ! トイレットペーパーの追加はトイレ内にちゃんと設置してあるだろコラ!!
日頃何でも奥さんにさせているっぽいオヤジ衆め。ここは自宅じゃないんだぞーーと心の中で文句垂れつつ、トイレットペーパーの芯をキリキリねじってゴミ箱へ……ん?
どういう訳か、用足し2〜3回に1回くらいの割合で紙無しトイレに当たっていた私。トイレットペーパーの芯が真っ白なことに気づきました。
これはーー暇つぶしに使えるかもしれない!
トイレへの行き来は大変だったけど、トイレットペーパー切れのトイレに入るのは嫌ではなくなりました(笑)。
ゼコゼコ言いながらトイレに行き、トイレットペーパーの芯を持ってゼコゼコ言いながら病室に戻る私……入院中の楽しみが一つできた瞬間でした。
結婚することが決まった時、年賀状仕分けのアルバイトの時に知り合った主婦友Sさんが、結婚祝いと称して体長25センチほどのクマのぬいぐるみをくださいました。
何故、クマ?
首を傾げていると、
「ケンカした時に投げるのに丁度いいサイズでしょ。投げつける事で自分はストレス発散できるし、ぬいぐるみだから相手は怪我せずに済むよね」
と言われて納得。(笑) 彼女の家にも『投げぬいぐるみ』がいくつかあるそうで、夫婦喧嘩の時にはぬいぐるみが飛び交うとか……最初はイライラしていても、そのうちぬいぐるみが心癒してくれるそうで、喧嘩も自然に治るとのこと。
私も早速、飼い主様のイラッと発言の時に、投げつけてみました。確かに、力一杯投げつけてもぬいぐるみですから、眼鏡に当たらない限り怪我する心配はありません。
イラッとしては投げつけ投げ返される『投げクマちゃん』ーーそのうち一つでは足らなくなり、いくつか『投げ猫』を買い足しました。(笑)
クマちゃんは激務の末、おメメが取れて引退。今では本来はアイピローのクタクマちゃんを筆頭に投げ猫一号〜三号、トラボールと象ボール、『投げぬいぐるみ』も成実して、ちょっとした言い争いが投げぐるみ合戦へ発展!
怒りもいつの間にか、楽しいやりとりに……て、端から見たら『大の大人が』と思われかねませんがこれ、侮れませんよ。
夫婦喧嘩も本当に険悪な時はぬいぐるみも役には立ちませんが、ちょっとした諍い程度なら、投げぐるみ合戦オススメします。
大きさはパッと掴んでピンポイントに投げられるほどのサイズが望ましい、と、思います。あんまり大きいと周囲に被害が及びそうなので。
何故、クマ?
首を傾げていると、
「ケンカした時に投げるのに丁度いいサイズでしょ。投げつける事で自分はストレス発散できるし、ぬいぐるみだから相手は怪我せずに済むよね」
と言われて納得。(笑) 彼女の家にも『投げぬいぐるみ』がいくつかあるそうで、夫婦喧嘩の時にはぬいぐるみが飛び交うとか……最初はイライラしていても、そのうちぬいぐるみが心癒してくれるそうで、喧嘩も自然に治るとのこと。
私も早速、飼い主様のイラッと発言の時に、投げつけてみました。確かに、力一杯投げつけてもぬいぐるみですから、眼鏡に当たらない限り怪我する心配はありません。
イラッとしては投げつけ投げ返される『投げクマちゃん』ーーそのうち一つでは足らなくなり、いくつか『投げ猫』を買い足しました。(笑)
クマちゃんは激務の末、おメメが取れて引退。今では本来はアイピローのクタクマちゃんを筆頭に投げ猫一号〜三号、トラボールと象ボール、『投げぬいぐるみ』も成実して、ちょっとした言い争いが投げぐるみ合戦へ発展!
怒りもいつの間にか、楽しいやりとりに……て、端から見たら『大の大人が』と思われかねませんがこれ、侮れませんよ。
夫婦喧嘩も本当に険悪な時はぬいぐるみも役には立ちませんが、ちょっとした諍い程度なら、投げぐるみ合戦オススメします。
大きさはパッと掴んでピンポイントに投げられるほどのサイズが望ましい、と、思います。あんまり大きいと周囲に被害が及びそうなので。
親の干渉はなんだかんだで一生続くものだと、最近は諦めも付いているものの、当時は解放されたいばっかりでした。親のありがたさも(それに必ず付随する迷惑も)、身内だからこそと思えるようになったのは結婚してから……何より、達者でいてくれることがありがたいです。そう、自分に言い聞かせています。(笑)
女の子の恋愛対象は『父親に似た人になりがち』というデータがテレビで紹介されているのを中学だか高校生時分に見たことがあって、「うちは絶対ありえない」と思っていた私。実際、初恋の彼は父とはまるで正反対のような優しい人だったから、同じような年上彼氏が父と被った時のショックは例えようのないものでした……今の飼い主様がそんな御仁でなくて、本当に良かったと思っています。
私の大学時代の親友は姑運がとても悪く、あまりにも険悪な雰囲気に体調崩してしまったのを見て、可哀想に思ったことがありました。彼女の夫がしっかり対処してくれたようで、その後は姑と接触しない生活を送っています。
私自身は姑とのトラブルはありませんし、『孫』でもありますから、彼の両親とは程よい距離感を保ちつつ、甘えられるところは甘えて、お礼の気持ちは電話や手紙でちゃんと伝えるようにしています。
私のきょうだいと父との確執は、多分に母からの影響もあると思いますが、それ以上に、父自身が増幅させていたように思います。とにかく家族に対しての接し方が、これでもかというほど不器用な人でした。
自分から四面楚歌の状況を作り出しておきながら本当は寂しいーー私の中にもある、父から継いだ『嫌な部分』は、私の半分を占めている訳でして……父を全否定はできません。
ああ、だから、今でもうちに来るのでしょうね、多分。
私の『遊び友達』のネットワークは『相互扶助』『面倒事は持ち込まない』が基本だったので、どうにかすると二股彼の彼女とも仲良しというか電話番号の交換までしていた子がいたほどでした。たまに、「ショッピングモール行きたいけど彼が車出してくれないから一緒に行かない?」と足代わりに呼ばれたり、食材持って「これで何か作ってー」と家に遊びに来たりーー元気にしているかなぁ、彼女達……性別問わずのネットワークでした。
そんな遊び友達の中でも、ダントツでお財布の面倒見が良かったのが、現在の『飼い主様』でした。もちろん、金銭面でのバックアップだけでなく、その使い道などについては厳しくチェックする人でもありました。
気前はいいけどケチーー矛盾しているけど、こんな形容がピッタリの飼い主様です。宵越しの金は持たねー主義的私には、バランスの取れた伴侶であろうと思われます……
低血圧は白血病を患ってからなったものと思われます、というのも、小学時代は早起きは全然苦でなかったから。
いつからだろう……高校時代にはもう朝起きた後のぼんやり感酷かったような気がします。大学になると毎朝、家政婦のOさんや祖母から起こされていました。
一人暮らしが始まると目覚まし時計と電話の目覚まし機能ダブル対策で何とか起きていました。
そして、結婚してからはーー読み聞かせの朝以外は、起きませんでした。(笑)
今となっては朝寝・又寝は当たり前。たまに目が覚めた時くらいは飼い主様の出勤を見送ります。
「いってらっしゃーい。気をつけてねー」
ここだけの話、一度ハトを(食べるために)捕まえてみたいと思っています。だって、その昔というか私が子どもの頃は、焼き鳥屋さんでスズメが食べられたのですもの。今は見ないけどーースズメは今や絶滅危惧種の鳥ですからねーー血抜きの方法とか、勉強せなん。イングランド行くかぁ?(笑)
子どもの頃は「ハトは伝染病を持っているから触ってはいけない」などと言われていましたが、触っても何の伝染病だか知りませんが病気を発症することがなかった私は、ハトが何かしら病気を持っているというのは当時のデマだったのだろうと思っています。
食べられる野草については、子どもの頃に母が教えてくれたのと、社会人になった時に友達が買ってくれた『食べられる山野草』という本を愛読した知識が由来です。
本当に生活費ギリギリだった頃は、クローバーなどは常食する草の一つでした。タンポポの根を掘り起こして本物の『タンポポコーヒー』も作りました……コーヒーには程遠い味でした。うん、超エグイ味。杜仲茶の比ではありませんでした。(意見には個人差があります)
夫婦喧嘩はいつ何時起きるか分からないものです。私の場合、なるべく鬱憤溜めないようにちょいちょい小出ししています。後ろから飼い主様の『下痢ツボ』押したり(下痢ツボは通称で、ツムジの事です)、脇をくすぐったり、あまりにイラついている時は、通称『投げ猫』ぬいぐるみを投げつけたり……飼い主様には「DV反対」とたまに言われますが……元凶はあなたなのよ解ってます??
主治医の『そりゃねーぜ発言』は子どもの頃から度々聞かされていますが、時にはドクハラ的発言にイラッとすることもありました。大人になってからは、主治医の言うことに納得できなければとことん食い下がりーー医者にとってはうるさい患者であったろうなと思います。(苦笑)
私が当たり前と思っていた餅つきが特殊であるのかもしれないと思ったのは、幼稚園で餅つき大会があった時のことでした。『何か違う』という違和感から、自分のところの餅つきの方が特殊なんだと自覚したのは小学校で餅つき大会があった時のことでしたーーはよ気付けよ(笑)。
よくよく考えてみると、昔話など絵本に登場する餅つきは自分のところの餅つきとは全く違っていましたね。貴重な餅つき方、次世代にも受け継いでいくべきと思います。
今まで体の中で燻っていたモノが一気に噴き出したのが、38歳から39歳の年であったように思います。二度の救急車、思いもよらない症状に振り回された一年でもありました。
以来、体調の浮き沈みに一喜一憂する日々……早く健康になりたい !! 白血病闘病時のように、ゼロからの出発と思い、体質改善に心がけていきます。
たくさんの拍手ありがとうございます。これからも体調に合わせつつ更新していきますね!
女の子の恋愛対象は『父親に似た人になりがち』というデータがテレビで紹介されているのを中学だか高校生時分に見たことがあって、「うちは絶対ありえない」と思っていた私。実際、初恋の彼は父とはまるで正反対のような優しい人だったから、同じような年上彼氏が父と被った時のショックは例えようのないものでした……今の飼い主様がそんな御仁でなくて、本当に良かったと思っています。
私の大学時代の親友は姑運がとても悪く、あまりにも険悪な雰囲気に体調崩してしまったのを見て、可哀想に思ったことがありました。彼女の夫がしっかり対処してくれたようで、その後は姑と接触しない生活を送っています。
私自身は姑とのトラブルはありませんし、『孫』でもありますから、彼の両親とは程よい距離感を保ちつつ、甘えられるところは甘えて、お礼の気持ちは電話や手紙でちゃんと伝えるようにしています。
私のきょうだいと父との確執は、多分に母からの影響もあると思いますが、それ以上に、父自身が増幅させていたように思います。とにかく家族に対しての接し方が、これでもかというほど不器用な人でした。
自分から四面楚歌の状況を作り出しておきながら本当は寂しいーー私の中にもある、父から継いだ『嫌な部分』は、私の半分を占めている訳でして……父を全否定はできません。
ああ、だから、今でもうちに来るのでしょうね、多分。
私の『遊び友達』のネットワークは『相互扶助』『面倒事は持ち込まない』が基本だったので、どうにかすると二股彼の彼女とも仲良しというか電話番号の交換までしていた子がいたほどでした。たまに、「ショッピングモール行きたいけど彼が車出してくれないから一緒に行かない?」と足代わりに呼ばれたり、食材持って「これで何か作ってー」と家に遊びに来たりーー元気にしているかなぁ、彼女達……性別問わずのネットワークでした。
そんな遊び友達の中でも、ダントツでお財布の面倒見が良かったのが、現在の『飼い主様』でした。もちろん、金銭面でのバックアップだけでなく、その使い道などについては厳しくチェックする人でもありました。
気前はいいけどケチーー矛盾しているけど、こんな形容がピッタリの飼い主様です。宵越しの金は持たねー主義的私には、バランスの取れた伴侶であろうと思われます……
低血圧は白血病を患ってからなったものと思われます、というのも、小学時代は早起きは全然苦でなかったから。
いつからだろう……高校時代にはもう朝起きた後のぼんやり感酷かったような気がします。大学になると毎朝、家政婦のOさんや祖母から起こされていました。
一人暮らしが始まると目覚まし時計と電話の目覚まし機能ダブル対策で何とか起きていました。
そして、結婚してからはーー読み聞かせの朝以外は、起きませんでした。(笑)
今となっては朝寝・又寝は当たり前。たまに目が覚めた時くらいは飼い主様の出勤を見送ります。
「いってらっしゃーい。気をつけてねー」
ここだけの話、一度ハトを(食べるために)捕まえてみたいと思っています。だって、その昔というか私が子どもの頃は、焼き鳥屋さんでスズメが食べられたのですもの。今は見ないけどーースズメは今や絶滅危惧種の鳥ですからねーー血抜きの方法とか、勉強せなん。イングランド行くかぁ?(笑)
子どもの頃は「ハトは伝染病を持っているから触ってはいけない」などと言われていましたが、触っても何の伝染病だか知りませんが病気を発症することがなかった私は、ハトが何かしら病気を持っているというのは当時のデマだったのだろうと思っています。
食べられる野草については、子どもの頃に母が教えてくれたのと、社会人になった時に友達が買ってくれた『食べられる山野草』という本を愛読した知識が由来です。
本当に生活費ギリギリだった頃は、クローバーなどは常食する草の一つでした。タンポポの根を掘り起こして本物の『タンポポコーヒー』も作りました……コーヒーには程遠い味でした。うん、超エグイ味。杜仲茶の比ではありませんでした。(意見には個人差があります)
夫婦喧嘩はいつ何時起きるか分からないものです。私の場合、なるべく鬱憤溜めないようにちょいちょい小出ししています。後ろから飼い主様の『下痢ツボ』押したり(下痢ツボは通称で、ツムジの事です)、脇をくすぐったり、あまりにイラついている時は、通称『投げ猫』ぬいぐるみを投げつけたり……飼い主様には「DV反対」とたまに言われますが……元凶はあなたなのよ解ってます??
主治医の『そりゃねーぜ発言』は子どもの頃から度々聞かされていますが、時にはドクハラ的発言にイラッとすることもありました。大人になってからは、主治医の言うことに納得できなければとことん食い下がりーー医者にとってはうるさい患者であったろうなと思います。(苦笑)
私が当たり前と思っていた餅つきが特殊であるのかもしれないと思ったのは、幼稚園で餅つき大会があった時のことでした。『何か違う』という違和感から、自分のところの餅つきの方が特殊なんだと自覚したのは小学校で餅つき大会があった時のことでしたーーはよ気付けよ(笑)。
よくよく考えてみると、昔話など絵本に登場する餅つきは自分のところの餅つきとは全く違っていましたね。貴重な餅つき方、次世代にも受け継いでいくべきと思います。
今まで体の中で燻っていたモノが一気に噴き出したのが、38歳から39歳の年であったように思います。二度の救急車、思いもよらない症状に振り回された一年でもありました。
以来、体調の浮き沈みに一喜一憂する日々……早く健康になりたい !! 白血病闘病時のように、ゼロからの出発と思い、体質改善に心がけていきます。
たくさんの拍手ありがとうございます。これからも体調に合わせつつ更新していきますね!
外科病院を退院してから、自宅療養になった私ーー見てくれに表れる病ではなかったから、身内や知り合いから「どこが悪いとね?」と聞かれてもまともに答えられない歯がゆさと正月早々から入院する羽目になった苛立ちで、心は相当ささくれていました。
思うように動いてくれない身体と、空回りし続ける心。
父のように首吊りでもやれたら、どんなに楽になるだろうと思い詰めたり、いやいや、オヤジの二の舞だけはやりたくないという意地のせめぎ合いを繰り返しました。
少し距離があるかかりつけの総合病院も、それまではバスや自分の車で通えていたのに運転はおろかバスも辛い体力のなさ。自分にげんなりすることになりました。
とはいえ、薬がないともっとひどい状況が待っているだけなので、何が何でも病院には行かなければ……止むを得ず、地元タクシー会社に自宅と病院を登録するサービスを利用し始めました。
これ、本当はシニア対象にスタートしたサービスで、私が60歳以上なら月定額で受けられたサービスですよあーた。ですが当時38歳だからサービスは抜きなのですよあーた。全額まるまるその時々で支払わないといけないのですよあーた!
片道5150円前後、検査や薬の処方で3000円〜7000円、時には帰りのタクシー代が足らず、仕方なしに母にSOSを出したことも……ベッドはなかなか空かないまま、1ヶ月過ぎました。
そして2月に入ってから。ほんの数歩、歩いただけでも息が上がるようになり、すわ一大事とタクシーで病院へ。椅子に座って待つのも辛く、待合室のソファを占領して寝そべっていたら、採血や血圧を計る時に横になるベッドを貸してもらえましたーーが、自分の順番はなかなか回ってこず、思わず爆睡。
自分は爆睡と思っていましたが、実は昏睡状態に陥っていたようで、目を覚ますと点滴されていました。採血や診察も終わっていた模様ーー全く気づかなかったのがそら恐ろしくなりました。
主治医いわく、
「今日、入院してもらおうと思ったんだけど……ベッドの空きがなくて……帰れる?」
そりゃ帰れと言われたら帰りますがな。ベッド空いてないんでしょ。
「悪いけど、入院の準備して家で待ってて。ベッド空いたらすぐ連絡するから」
車椅子に乗せられて、タクシーを呼んで、自宅3階でエレベーターが無いのを呪いつつ帰宅ーー玄関で倒れて這いつくばって寝室へ。マラソンで酸欠起こした選手ばりにゼコゼコ言いながら布団に潜り込みました。入院の準備なんて、とてもできる状況ではありませんでした。
ぜーったい、子宮が悪いに違いない。けれども、どの先生も「子宮が悪い」という判を押してくれることはありませんでした。
思うように動いてくれない身体と、空回りし続ける心。
父のように首吊りでもやれたら、どんなに楽になるだろうと思い詰めたり、いやいや、オヤジの二の舞だけはやりたくないという意地のせめぎ合いを繰り返しました。
少し距離があるかかりつけの総合病院も、それまではバスや自分の車で通えていたのに運転はおろかバスも辛い体力のなさ。自分にげんなりすることになりました。
とはいえ、薬がないともっとひどい状況が待っているだけなので、何が何でも病院には行かなければ……止むを得ず、地元タクシー会社に自宅と病院を登録するサービスを利用し始めました。
これ、本当はシニア対象にスタートしたサービスで、私が60歳以上なら月定額で受けられたサービスですよあーた。ですが当時38歳だからサービスは抜きなのですよあーた。全額まるまるその時々で支払わないといけないのですよあーた!
片道5150円前後、検査や薬の処方で3000円〜7000円、時には帰りのタクシー代が足らず、仕方なしに母にSOSを出したことも……ベッドはなかなか空かないまま、1ヶ月過ぎました。
そして2月に入ってから。ほんの数歩、歩いただけでも息が上がるようになり、すわ一大事とタクシーで病院へ。椅子に座って待つのも辛く、待合室のソファを占領して寝そべっていたら、採血や血圧を計る時に横になるベッドを貸してもらえましたーーが、自分の順番はなかなか回ってこず、思わず爆睡。
自分は爆睡と思っていましたが、実は昏睡状態に陥っていたようで、目を覚ますと点滴されていました。採血や診察も終わっていた模様ーー全く気づかなかったのがそら恐ろしくなりました。
主治医いわく、
「今日、入院してもらおうと思ったんだけど……ベッドの空きがなくて……帰れる?」
そりゃ帰れと言われたら帰りますがな。ベッド空いてないんでしょ。
「悪いけど、入院の準備して家で待ってて。ベッド空いたらすぐ連絡するから」
車椅子に乗せられて、タクシーを呼んで、自宅3階でエレベーターが無いのを呪いつつ帰宅ーー玄関で倒れて這いつくばって寝室へ。マラソンで酸欠起こした選手ばりにゼコゼコ言いながら布団に潜り込みました。入院の準備なんて、とてもできる状況ではありませんでした。
ぜーったい、子宮が悪いに違いない。けれども、どの先生も「子宮が悪い」という判を押してくれることはありませんでした。
元旦から入院、更に入院食が激マズで身も心も萎えて数日。それでも少しずつ足の腫れは引いて、一週間もすると松葉杖ついて歩けるようになりました。
その時になって、子どもの頃に松葉杖で『腕馬』と称して遊んでいたのを思い出しました……よくあんな曲芸じみたことできたな私。
数センチずつ足を進めるのが関の山ですよあーた。
あの頃の私は既に幻でしたーー腕力も体力も、そんなおふざけやる気力もなし。いや、腕だけで我が全体重を支えること自体、不可能!
子どもの頃は、松葉杖で2キロの通学距離を苦もなくこなせていたのが、とても信じられません。本当に、私、超健康優良児だったのね。
1歩足を進めるのも辛く、目と鼻の先にあるトイレに行くのも、ワンフロア先へお茶汲みに行くのも、相当時間がかかりました。
その時の私のCRP(正常値は0.3〜0.6)は12を超えていました。
主治医からは、
「足の腫れが引いたら転院した方がいい。敗血症を起こしている」
と言われました。それってとってもヤバイんでないですか先生? と問い詰めるも、
「ぼかぁ外科専門だから、分かんないのよ。行きつけの総合病院とかあるよね、紹介状は書いておくから」
と何とも頼りない返答で……普通、医者自らが患者を不安に落としこむかよ……と思ったものの、確かに、ここは外科病院。私は『蜂窩織炎』で入院した患者ですから、それ以外の症状が出たら転院するしかありません。
とはいえ、かかりつけの総合病院に連絡取ってもらうも「今ベッドが空いていませんから、炎症抑える薬を服用してもらって、自宅療養させてください」などと返事が来る始末。
「ベッドが空いたら入院させてもらってね」
ーー足の腫れが八割ほど引いて、松葉杖も要らなくなった時点で、退院させられてしまいました。入院食が本当に不味かったので、それから解放されるのはとても嬉しかったのですがーー厄介な病魔は体に抱えたまま、自宅療養することになりました……
その時になって、子どもの頃に松葉杖で『腕馬』と称して遊んでいたのを思い出しました……よくあんな曲芸じみたことできたな私。
数センチずつ足を進めるのが関の山ですよあーた。
あの頃の私は既に幻でしたーー腕力も体力も、そんなおふざけやる気力もなし。いや、腕だけで我が全体重を支えること自体、不可能!
子どもの頃は、松葉杖で2キロの通学距離を苦もなくこなせていたのが、とても信じられません。本当に、私、超健康優良児だったのね。
1歩足を進めるのも辛く、目と鼻の先にあるトイレに行くのも、ワンフロア先へお茶汲みに行くのも、相当時間がかかりました。
その時の私のCRP(正常値は0.3〜0.6)は12を超えていました。
主治医からは、
「足の腫れが引いたら転院した方がいい。敗血症を起こしている」
と言われました。それってとってもヤバイんでないですか先生? と問い詰めるも、
「ぼかぁ外科専門だから、分かんないのよ。行きつけの総合病院とかあるよね、紹介状は書いておくから」
と何とも頼りない返答で……普通、医者自らが患者を不安に落としこむかよ……と思ったものの、確かに、ここは外科病院。私は『蜂窩織炎』で入院した患者ですから、それ以外の症状が出たら転院するしかありません。
とはいえ、かかりつけの総合病院に連絡取ってもらうも「今ベッドが空いていませんから、炎症抑える薬を服用してもらって、自宅療養させてください」などと返事が来る始末。
「ベッドが空いたら入院させてもらってね」
ーー足の腫れが八割ほど引いて、松葉杖も要らなくなった時点で、退院させられてしまいました。入院食が本当に不味かったので、それから解放されるのはとても嬉しかったのですがーー厄介な病魔は体に抱えたまま、自宅療養することになりました……
緊急入院一週間後。血液検査で、体内どこかしらの炎症を示す数値(CRP)も正常値スレスレまで下がって退院しました、が。
まだ病原は尾を引いていた模様ーー年末の餅つきに参加する前日あたりから、何故か左足のふくらはぎが腫れ始めました。
餅つきが終わって帰宅すると『浮腫み』レベルを超え、大晦日には痛みで歩くのも困難になりーー元旦、止むを得ず朝イチで急患センターへ。
レントゲン撮られた挙句『左下肢蜂窩織炎』と診断され、またも緊急入院する羽目になりました。
元旦から入院患者を受け入れてくれる病院は、個人経営で入院設備も多少ある小さな病院しかありませんでしたーーその時は外科病院の一軒だけでした。
飼い主様運転する車で急患センターへ行ったけれど、その外科病院へは救急車で運ばれることになりました。お昼前でグルグルにお腹が空いていたのに、救急車で運ばれたがために昼食摂ることもままならず……
当然の事ながら緊急入院ですから、病院で昼食が出されることはなく、折しも私の実家から「おせち食べに来んね」と電話がかかってきて、これ幸いと飼い主様に昼食調達してもらうべく実家に行かせたところが。
待てど暮らせど戻って来ない。
死んだ父ではありませんがまさに「俺の飯は?」状態に陥りました。朝から病院ハシゴで空腹も苛立ちもピークに達した夕方、まもなく夕食の時間ですよという頃になって、ようやくーー昼食ではなく、パサパサのクッキーを数枚持って戻って来た飼い主様。
あんたが緊急入院することあったら、同じ目に遭わせちゃるけんねーー水も飲めない状態でベッドで唸っていたのに、お茶も添えずに微量の乾き物だけ寄越すその無神経さ。怒りと呆れが過ぎました。
正月ハナからこの仕打ち、一生忘れない。
覚えてろよ、飼い主様。食いモンの恨みは恐ろしいって事を……
まだ病原は尾を引いていた模様ーー年末の餅つきに参加する前日あたりから、何故か左足のふくらはぎが腫れ始めました。
餅つきが終わって帰宅すると『浮腫み』レベルを超え、大晦日には痛みで歩くのも困難になりーー元旦、止むを得ず朝イチで急患センターへ。
レントゲン撮られた挙句『左下肢蜂窩織炎』と診断され、またも緊急入院する羽目になりました。
元旦から入院患者を受け入れてくれる病院は、個人経営で入院設備も多少ある小さな病院しかありませんでしたーーその時は外科病院の一軒だけでした。
飼い主様運転する車で急患センターへ行ったけれど、その外科病院へは救急車で運ばれることになりました。お昼前でグルグルにお腹が空いていたのに、救急車で運ばれたがために昼食摂ることもままならず……
当然の事ながら緊急入院ですから、病院で昼食が出されることはなく、折しも私の実家から「おせち食べに来んね」と電話がかかってきて、これ幸いと飼い主様に昼食調達してもらうべく実家に行かせたところが。
待てど暮らせど戻って来ない。
死んだ父ではありませんがまさに「俺の飯は?」状態に陥りました。朝から病院ハシゴで空腹も苛立ちもピークに達した夕方、まもなく夕食の時間ですよという頃になって、ようやくーー昼食ではなく、パサパサのクッキーを数枚持って戻って来た飼い主様。
あんたが緊急入院することあったら、同じ目に遭わせちゃるけんねーー水も飲めない状態でベッドで唸っていたのに、お茶も添えずに微量の乾き物だけ寄越すその無神経さ。怒りと呆れが過ぎました。
正月ハナからこの仕打ち、一生忘れない。
覚えてろよ、飼い主様。食いモンの恨みは恐ろしいって事を……
母方の里は里山的盆地の田舎で、毎年ーー必ずという訳ではなかったかもしれませんがーー年末になると餅つきをやっていました。
ただ、一般的な餅つきとはちょっと違う餅つきだと知ったのは、小学生になってからでした。というのも、母方里の餅つきは、足踏み式なのです。
こんな風に、庭に櫓を組んで、足踏みの杵をはめて、写真でいうと櫓の右側に乗って、手ぬぐいが巻いてある所に手を置いて、文字通り足で踏んで餅つきします。
前日から祖母がもち米をふやかしてくれていて、次の日、それをドラム缶竃で蒸しておこわにしたのを石臼へ運び入れて、いざ、足踏み!
石臼のそばには熱湯を入れた洗面器としゃもじを用意して、石臼に米粒が張り付かないように返していきます。足踏みして杵が上がっている間に返して、足踏みして返して、二人一組で餅つき。つき手は老若男女問わず、合いの手はだいたい男の役目。おこわが餅になったらこね手の所に運ばれて、皆で丸めます。こね手はほぼ、女・子どもの役目。
母は三人きょうだいの長女で弟と妹がいて、弟夫婦には三人の従弟妹、妹夫婦には二人従妹がいーー子どもの頃はつき手かこね手、ですが何より食べるメインでした。(笑)
つきたてのお餅はふかふかでよく伸びて、お米の甘さが濃縮されていて、それはそれは美味しいのですよ……ヨダレ湧いてきた……
つきたてのお餅はそのままでも美味しいけど、あんこや大根おろしや砂糖醤油につけてもまたよろし。結局ひたすら食べる側に回る子ども達を尻目に、せっせと餅を丸める母達ーー年末の風物詩でした。
しばらく親達多忙で途絶えたものの、いわゆる伝統的な技法で行われる餅つきを絶やすのはどうかと叔父が言い出して、毎年ではありませんが断続的に再開されました。従弟妹達も皆大きくなって、食い手ではなく働き手になりましたし、それぞれ結婚して子どももできて、次世代に引き継いでいけそうな感じです。
母方祖父母から見れば私は『孫頭』。今でも餅つきやる時は率先して参加ーーしたいところだけれど、年末は体調微妙なこと多々あってーー自分が行けない時は、代理として飼い主様に行ってもらっています。二人分働いて、二人分の餅もらって帰ってきてね飼い主様。
ただ、一般的な餅つきとはちょっと違う餅つきだと知ったのは、小学生になってからでした。というのも、母方里の餅つきは、足踏み式なのです。
こんな風に、庭に櫓を組んで、足踏みの杵をはめて、写真でいうと櫓の右側に乗って、手ぬぐいが巻いてある所に手を置いて、文字通り足で踏んで餅つきします。
前日から祖母がもち米をふやかしてくれていて、次の日、それをドラム缶竃で蒸しておこわにしたのを石臼へ運び入れて、いざ、足踏み!
石臼のそばには熱湯を入れた洗面器としゃもじを用意して、石臼に米粒が張り付かないように返していきます。足踏みして杵が上がっている間に返して、足踏みして返して、二人一組で餅つき。つき手は老若男女問わず、合いの手はだいたい男の役目。おこわが餅になったらこね手の所に運ばれて、皆で丸めます。こね手はほぼ、女・子どもの役目。
母は三人きょうだいの長女で弟と妹がいて、弟夫婦には三人の従弟妹、妹夫婦には二人従妹がいーー子どもの頃はつき手かこね手、ですが何より食べるメインでした。(笑)
つきたてのお餅はふかふかでよく伸びて、お米の甘さが濃縮されていて、それはそれは美味しいのですよ……ヨダレ湧いてきた……
つきたてのお餅はそのままでも美味しいけど、あんこや大根おろしや砂糖醤油につけてもまたよろし。結局ひたすら食べる側に回る子ども達を尻目に、せっせと餅を丸める母達ーー年末の風物詩でした。
しばらく親達多忙で途絶えたものの、いわゆる伝統的な技法で行われる餅つきを絶やすのはどうかと叔父が言い出して、毎年ではありませんが断続的に再開されました。従弟妹達も皆大きくなって、食い手ではなく働き手になりましたし、それぞれ結婚して子どももできて、次世代に引き継いでいけそうな感じです。
母方祖父母から見れば私は『孫頭』。今でも餅つきやる時は率先して参加ーーしたいところだけれど、年末は体調微妙なこと多々あってーー自分が行けない時は、代理として飼い主様に行ってもらっています。二人分働いて、二人分の餅もらって帰ってきてね飼い主様。
生理痛の酷さは月追うごとに悪化していき、ある日、あまりにも酷い痛みに動けなくなり、救急車を呼ぶことになりました……が。
私が住んでいるマンションは3階建でエレベーターは無く、玄関からリビングまでの廊下には傘立てだの段ボール箱だの置いていて、大人2人が並んで通れるスペースではありませんでした。
これから救急車を呼ぶ可能性がある方々へ。患者を運ぶルート上に物など置いてある場合は完全撤去しておきましょう。搬送の邪魔になりますーー体験談。
加えて、今は多少痩せましたが運ばれた当時、私の体重は最もヘヴィな頃でした。救命士さん大の男3人がやっとこさ抱えられるほど。担架に乗せて運ぼうってんですから、どうしてもねえ。
むしろどなたか1人におぶってもらうのが一番手っ取り早かったような気がします、今更だけど。
無理やっこ担架に乗せられぶらぶら揺さぶられ壁に当たったりしながら何とか玄関を抜けると、今度は階段の振動で気ぃ失うほど痛い目に遭い、狭い救急車内では仰向けにがんじがらめにシートベルト(?)で固定され、お腹をかばう体勢も取れず。
そして、痛恨の極みは、ゴメンナサイ、救命士さん達の『体臭』が強烈だったことーー救命士の皆さん、お願いですから、消臭対策してくださいーー救急車内で覚えているのが『痛い・臭い』ーー病院に到着するまで、色々問診されたのですが全く覚えていません!
道中、私の脳内は「痛いよ臭いよ痛いよ臭いよ」という言葉しかありませんでした……
それはさておき。
入院病棟の4〜6人相部屋は、薄くて最低限の布量カーテンが、プライバシーを守るアイテムです。(私が入院した病院では、なので、他所の病棟はよく分かりませんが)ベッドの高さスレスレくらいから背の高い人だとカーテン越しにベッド内が覗けるほどのスカスカなカーテンなのです。
(私が入院していた病院のカーテンは上部がネット状になっていて、ますますプライベートが損なわれる代物でした……灯り取りを兼ねての仕様だと思われますが)
一番困るのが、入浴制限時の体拭きですよ……薄いカーテン一枚でベッドを囲ってから体を拭くのですが、着替えるのも外の様子を伺いながらコソコソしないといけません。
一応、体拭き中にカーテンを開けられないよう洗濯バサミで『開けないでね』の自作札を挟んで止めてから、体拭きや着替えを済ませました。
せめて、相部屋には更衣室的スペースを作って欲しいです。でなければ、利用者がいない時に風呂場の脱衣所を更衣室代わりにとか。
入院患者はとかく病院の都合を押し付けられがち……融通利くところは、患者に譲歩して欲しいものです。
愚痴や意見はこのくらいにしておきましょうーー緊急入院して、採血はもちろんMRIやCT、エコー検査も受けた一週間。結局、病因は判明せず『骨盤内臓器炎症』と診断されました。
絶対、子宮が悪いに違いないーー私は確信していました。主治医にもそう伝えたのですが、
「お腹を開けてみないと分かりませんから、明言はできません」
とのこと。奥歯にモノ挟まりっぱなし、鎮痛剤を処方されて退院しました。すっきりしない体調はその後も尾を引くことになります……
私が住んでいるマンションは3階建でエレベーターは無く、玄関からリビングまでの廊下には傘立てだの段ボール箱だの置いていて、大人2人が並んで通れるスペースではありませんでした。
これから救急車を呼ぶ可能性がある方々へ。患者を運ぶルート上に物など置いてある場合は完全撤去しておきましょう。搬送の邪魔になりますーー体験談。
加えて、今は多少痩せましたが運ばれた当時、私の体重は最もヘヴィな頃でした。救命士さん大の男3人がやっとこさ抱えられるほど。担架に乗せて運ぼうってんですから、どうしてもねえ。
むしろどなたか1人におぶってもらうのが一番手っ取り早かったような気がします、今更だけど。
無理やっこ担架に乗せられぶらぶら揺さぶられ壁に当たったりしながら何とか玄関を抜けると、今度は階段の振動で気ぃ失うほど痛い目に遭い、狭い救急車内では仰向けにがんじがらめにシートベルト(?)で固定され、お腹をかばう体勢も取れず。
そして、痛恨の極みは、ゴメンナサイ、救命士さん達の『体臭』が強烈だったことーー救命士の皆さん、お願いですから、消臭対策してくださいーー救急車内で覚えているのが『痛い・臭い』ーー病院に到着するまで、色々問診されたのですが全く覚えていません!
道中、私の脳内は「痛いよ臭いよ痛いよ臭いよ」という言葉しかありませんでした……
それはさておき。
入院病棟の4〜6人相部屋は、薄くて最低限の布量カーテンが、プライバシーを守るアイテムです。(私が入院した病院では、なので、他所の病棟はよく分かりませんが)ベッドの高さスレスレくらいから背の高い人だとカーテン越しにベッド内が覗けるほどのスカスカなカーテンなのです。
(私が入院していた病院のカーテンは上部がネット状になっていて、ますますプライベートが損なわれる代物でした……灯り取りを兼ねての仕様だと思われますが)
一番困るのが、入浴制限時の体拭きですよ……薄いカーテン一枚でベッドを囲ってから体を拭くのですが、着替えるのも外の様子を伺いながらコソコソしないといけません。
一応、体拭き中にカーテンを開けられないよう洗濯バサミで『開けないでね』の自作札を挟んで止めてから、体拭きや着替えを済ませました。
せめて、相部屋には更衣室的スペースを作って欲しいです。でなければ、利用者がいない時に風呂場の脱衣所を更衣室代わりにとか。
入院患者はとかく病院の都合を押し付けられがち……融通利くところは、患者に譲歩して欲しいものです。
愚痴や意見はこのくらいにしておきましょうーー緊急入院して、採血はもちろんMRIやCT、エコー検査も受けた一週間。結局、病因は判明せず『骨盤内臓器炎症』と診断されました。
絶対、子宮が悪いに違いないーー私は確信していました。主治医にもそう伝えたのですが、
「お腹を開けてみないと分かりませんから、明言はできません」
とのこと。奥歯にモノ挟まりっぱなし、鎮痛剤を処方されて退院しました。すっきりしない体調はその後も尾を引くことになります……
34歳になって、子宮口を塞ぐように育っていた4つの子宮筋腫を取りました。この時、子宮肥大症とも診断され、
「普通の人より経血量多いから、貧血など起こしやすいので気をつけて」
と主治医に言われていたもののーー何をどう気をつけるのよ? 筋腫を取ってから3ヶ月ほどは生理痛もなく経血も詰まることなくスッキリした感じでした、が。確かに出血量は半端なく、昼でも夜用、寝る時は紙パンツのようなものを穿いていないと布団が大変なことになりました……
そして、痛みのなかった生理は、4ヶ月、5ヶ月、6ヶ月ーー過ぎていくにつれ、経血の出が悪くなり、生理痛悪化の角度もぐんと鋭くなり、どうにかすると半月寝たきりになるほどの痛みに見舞われるようになりました。
やっと出血かと思うとレバーのような塊で、明らかに病的……なのに、婦人科に行っても鎮痛剤を処方され、
「専業主婦なら、安静にしておけばいいでしょ」
みたいなことを暗に言われる始末ーー男にも生理痛あればいいのに。そうだ、これからは生理が来るたびに呪ってやるぅ……サヤ・グナグナ・アンダ……私はあなた(男)を呪います。
読み聞かせも参加し辛くなり、朝の読み聞かせシフトからは外してもらい、昼休みのおはなし会組に定着しましたが、それも参加できないこと多数。
そんな折、自然番組で蝸牛が取り上げられていて、子どもの頃「便利な生き物だなぁ」と感心したのを思い出しました。蝸牛『カタツムリ』は雌雄同体で、出会った二匹のカタツムリはお互いに生殖孔に生殖器を挿入、どちらが産卵するかは神のみぞ知る、なのです。
人間も蝸牛みたく、どっちが妊娠するかは『神のみぞ知る』なら良かったのにーにーにー……以来、私は、生理が来る度に蝸牛が羨ましくなり、生理期間をこう命名したのです。
『蝸牛羨望週間』とーー。
「普通の人より経血量多いから、貧血など起こしやすいので気をつけて」
と主治医に言われていたもののーー何をどう気をつけるのよ? 筋腫を取ってから3ヶ月ほどは生理痛もなく経血も詰まることなくスッキリした感じでした、が。確かに出血量は半端なく、昼でも夜用、寝る時は紙パンツのようなものを穿いていないと布団が大変なことになりました……
そして、痛みのなかった生理は、4ヶ月、5ヶ月、6ヶ月ーー過ぎていくにつれ、経血の出が悪くなり、生理痛悪化の角度もぐんと鋭くなり、どうにかすると半月寝たきりになるほどの痛みに見舞われるようになりました。
やっと出血かと思うとレバーのような塊で、明らかに病的……なのに、婦人科に行っても鎮痛剤を処方され、
「専業主婦なら、安静にしておけばいいでしょ」
みたいなことを暗に言われる始末ーー男にも生理痛あればいいのに。そうだ、これからは生理が来るたびに呪ってやるぅ……サヤ・グナグナ・アンダ……私はあなた(男)を呪います。
読み聞かせも参加し辛くなり、朝の読み聞かせシフトからは外してもらい、昼休みのおはなし会組に定着しましたが、それも参加できないこと多数。
そんな折、自然番組で蝸牛が取り上げられていて、子どもの頃「便利な生き物だなぁ」と感心したのを思い出しました。蝸牛『カタツムリ』は雌雄同体で、出会った二匹のカタツムリはお互いに生殖孔に生殖器を挿入、どちらが産卵するかは神のみぞ知る、なのです。
人間も蝸牛みたく、どっちが妊娠するかは『神のみぞ知る』なら良かったのにーにーにー……以来、私は、生理が来る度に蝸牛が羨ましくなり、生理期間をこう命名したのです。
『蝸牛羨望週間』とーー。
プロフィール
HN:
莢猫
年齢:
51
Webサイト:
性別:
女性
誕生日:
1973/09/06
職業:
自由業
趣味:
ビーズ細工・ドライブ
自己紹介:
詳しくはカテゴリー『プロフィール』で。
A型乙女座長女なのに、近頃は、AB型とかB型とか星座はともかく末っ子とか一人っ子とか言われる、ゴーイングマイウェイ主婦。
A型乙女座長女なのに、近頃は、AB型とかB型とか星座はともかく末っ子とか一人っ子とか言われる、ゴーイングマイウェイ主婦。
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