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猫空世界〜あんなことこんなことあったでしょー記〜

生まれて初めて触った動物が猫だったサヤネコです(以来ネコ好き)。 十二の時に死にかけ、三十代にも死にかけましたが、まだ生きています。死にたいと思った事も多々ありますが、なんだかんだで生きています。 生かされている事に感謝して、シャーマン始めました。 シャーマン始めることになった話以降は、はてなブログ『超自然主義生活』で記事更新中。

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手術入院二日目で開腹手術を受けた私。子宮は予想以上に周りの臓器と癒着していたそうで、予定より大きく腹膜切ったらしいです……痛いはずだ……更に、開腹して判明したのが、左卵巣嚢腫。これも摘出されました。

子宮自体は内側にも外側にも筋腫が育っていて、まるでエイリアンーー摘出後のカラー写真頂きましたのーー肥大症と言われていた子宮のそこらに筋腫ができているのですから、癒着さもありなん、でした。

前の記事でも記述しましたが、子宮が無くなっても子ども欲しいと思えば巡り会える時代です。辛い不妊治療に取り組んでいる人達も、その事は、頭の隅にでもいいから置いておいて欲しいと思います。

私自身、子どもが嫌いな訳ではありません。むしろ好きです。ただ、血の繋がりにはこだわりません。だいたい、家族の最初である夫婦って、血の繋がりは無いじゃあありませんか。

血の繋がりよりも、まず、深い心の繋がりが大切だと思うのです。

私自身、将来子どもが欲しいと思ったら、児童支援や奨学金などでたくさんの子ども達と関わろうと考えています。愛し方は千差万別という事で。

意見には個人差があります。念のため。

ーーそれはさておき。麻酔が切れてからの痛みがハンパなーい! 背中からぶっとい針刺しての麻酔(痛み止め用で腹膜縫った後が落ち着く頃に薬が切れる設定になっていました)、生理痛の痛みとは別物です、刃物で切った痛みをお腹の中で感じるのです……本当にザックリやられたんだな私。
子宮全体が癒着していたとの事ですから、その部分は全部チョキチョキされたに違いないのですよあーた。

しかも、麻酔が切れたら針を抜くことになっていたのですが、その針を副主治医が抜きに来たものの、まさかの失敗ーーマジっすか。急遽、麻酔科の先生が呼ばれることになりましたが、その先生は病院掛け持ちしていて隣県出向中でした……大丈夫なの私?


朝、針抜き失敗された私は、何とも言えない状況のまま夜まで放置され……図太い心もさすがに不安になりかけた頃、ようやく麻酔科の先生カムバック。
さすがその手のプロです、すんなり針抜けましたーー次の日、自分が抜いた訳でもないのにドヤ顔で「ちゃんと針抜けたでしょ」なんて回診中にのたまう副主治医。あんたじゃないでしょ針抜いたの。自分が失敗した後何のフォローもしなかったくせに何様ーーーーッッ!?
退院したら顔を見ることもないんだから、ここは我慢我慢……


イライラ飲み込んだ直後、主治医曰く。

「再癒着を防ぐためにも、できるだけ動いてください。無理しなくていいから、少しずつ歩く距離増やしたりして、ね」

はいぃ? こんなに痛いのに、マジっすか! うう……がんばる……

始めは病室内トイレとベッド往復程度、次の日はプラス5歩、次の日は10歩追加といった具合に歩数を増やしていき、病棟を歩いて回れるようになった頃、術後検査。

あんなにきつかったお腹の痛みも、ほとんど感じなくなった頃ーー晴れて、退院しました。

これで、辛い辛い蝸牛羨望週間ともお別れだぁ!

長く悩まされ続けた生理痛が無くなった瞬間と思いきや。主治医には釘を刺されました……

「ホルモンバランスを考えて右卵巣は残してあります。卵は体内で消滅しますが、生理周期が無くなるのは更年期を経てからになります。左卵巣が嚢腫でしたから、できれば定期的に右卵巣の検査をしてください」

実際、その後も月に数日は気が立ったり下腹部が気だるくなったりして、主治医のおっしゃるとおりでした。何となく痛みも感じることもあり、今でも婦人科にはお世話になっていますーーセレブ総合病院ではなく、近くの婦人科ですけど、ね。

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自宅から近い婦人科と、元主治医のいる総合病院と、二通の紹介状を書いてもらった私は、まず総合病院に連絡して予約を取り、痛みが酷くなりそうな時は早めに近くの婦人科で鎮痛剤を処方してもらって、秋までやり過ごしましたーーそして、10月。いよいよ摘出手術の入院へーー

って、全病棟個室ですってぇ!?

主治医の先生は地元では『セレブ病院』と呼ばれる総合病院に転勤されておりました……診察も手術前検査もそれはそれは丁寧で、どんな質問にも解り易く説明してくれましたが……高いよーーーー!

一番安い個室でも婦人科病棟は一万円から、でした。これは手術終わったらさっさと退院せなん。個室内にはバストイレ付き、タオルも毎日取り替えてくれてホテル並みのサービスですよあーた。ただし、食事は別料金。

ホテルと唯一違うのは、室内というか病棟全体のケータイ電波状況が悪すぎること。医療計器の中にはケータイ電波NGとか聞いたことはありますが、これでは家族との電話連絡はおろかメールの送受信もできません。

そのタチの悪さったらあーた。

使わない時はアンテナ全開なのに、使おうとするとゼロになっちゃうのですよ。電話がかかってきても一瞬繋がるけどすぐ切れる。私もキレました。

「お高いお部屋だのに、何なん!?」

飼い主様に訴えると、次の日電波飛ばしてくれる装置を買ってきてくれましたーーめでたしめでたし。

いやいや、手術はこれからですよ?

とりあえず、最初の難はクリアしました……問題は、翌日の手術。ここのご飯は美味しくて、すぐ機嫌直したのはーーここだけの話。(笑)

ディナゲストとタクシー通院が家計を圧迫しまくりで、全然お小遣いを有効利用できなかった私は、当時ストレス溜まりまくりでもありました。
県内の婦人科でセカンドオピニオンに向いている病院を検索したところ、自宅からはちょっと距離があるものの、口コミもダントツの病院を見つけました。

飼い主様に平日動いてもらうのは無理なので、母に頼んで連れて行ってもらいました。

病魔は子宮であると確信していて、もう子宮摘出したいのに現主治医は首を縦に振らずディナゲスト服用強要するばかりだとありのままを訴えると、その病院の先生は元主治医も現主治医も後輩だとおっしゃって、

「ここで摘出手術はできないから、とりあえず痛み止めをあげましょう。それから、今すぐ元主治医のいる病院に紹介状書いてあげるから、そこで摘出してもらいなさい。あと、自宅近くの婦人科も行きつけを作っておいて、痛む時は痛み止めを処方してもらって。ディナゲストはもう飲むのやめなさい」

と、自宅近くの婦人科と元主治医のいる総合病院と、二通の紹介状を書いてくださいました。痛み止めはボルタレンを処方され、その場で一錠飲まされて帰宅ーー二通の紹介状書いてもらったのに、診察料は良心的金額で涙出そうになりました……同じ科でも、こんなに対応が違うのですよ、今、通院中の方で主治医の対応が納得いかないなら、セカンド・サード・オピニオンお勧めします。

自分の症状にきちんと応えてくれるお医者さんが見つかるまで、病院を変えていいのですーーただし、薬を処方してもらう時は、要注意。他所の病院で処方された薬とかぶらないよう、お薬手帳を忘れずに。
退院時に『血栓症の疑い』と診断されたものの、どう考えても『子宮が悪い』と信じていた私は婦人科でさんざん医師に追及、子宮腺筋症と診断されました、が。

「血栓症の疑いもあって腺筋症なので、お薬で様子みましょうね」

血液をサラサラにサラサラにする薬『ワーファリン』を処方されていたので、子宮の手術はできないと断られました。

「まだ30代ですし、子どもを産めないこともありませんから」

と言葉を濁す主治医ーー患者の中には「先生が子宮取ったせいで子ども産めなくなった」とか言い出す患者がいるから、そんな責任は負いたくないのね、それは分かるよでもね。

「何ならそんな訴えは起こさないと一筆書きますから、子宮取ってください」

とお願いするも、「とにかく薬で様子みましょう」の一点張り、そんな主治医ってどうよ。愛想尽きますわ。
私が入院する少し前、私の筋腫を取ってくれた先生は他所の病院に転勤されていて、入院した時には婦人科の主治医が代わっていました。病院の都合で主治医代わったのなら、一言でも連絡欲しいですよ、ホント。
しかも、元主治医がどこに転勤したのか教えてくれるはずもなくーー病院に関する噂だけで判断するしかありませんでした。

けれども、総合内科通院との兼ね合いもあって、婦人科の通院を他所に変える体力的余裕も気力的余裕も無かった私は、その患者の意向を汲んでくれない主治医の元に通うしかありませんでした。

それはそうと、どうしてこんな薬価高い薬飲まなん『ディナゲスト』!

効く、効かないは個人差あると思います。私には、全く効果ありませんでした。しかもこの薬、更年期も過ぎる年頃までとゆーか、効かなければ何年も飲み続けないといけないとか。
ディナゲストはピルと同じくホルモン調整剤で、月経に伴う辛い痛みが抑えられますなどという説明を受けましたが、痛みは生理の度に悶絶級ですよあーた。
どこに作用しとるんディナゲスト。毎回生理痛の酷さ変わらんやん! むしろ酷くなったやん! ついでに言うならワーファリン飲んでいるのになんで経血がレバー状な !?

主治医にこの事実を伝えても「続けていれば必ず改善していきますから」って、悪化の一途しか辿ってない薬に無駄金投入したかぁ、あーりませんよ !!

痛みが来る度に、怒りに悶える蝸牛羨望週間……この蝸牛羨望週間も、ディナゲスト服用によってだんだん不定期になり、ゲリラ豪雨のように突如襲われるようになっていきます。

もういい加減、効きもしない薬にお金費やしたくない!

本気でセカンドオピニオンを考え始めたのは、1年後の初夏も過ぎてからーー今更だけど、もっと早く行動できていたらーー1年分、楽な人生前倒しできたのになぁ。


左足が腫れたのは、『血栓症の疑いがある』とこれまたちょいと曖昧な診断が下された頃、点滴も外され、CRPの数値が正常値に下がるまで抗生物質服用の入院生活になりました。
点滴がない分、自由に絵が描けるようになった私は、病室に持ち込んでいたボールペンを駆使してトイレットペーパーの芯アートに熱中ーー六人部屋に移されると、病室にいる皆さんにウケましたーー

「花札の絵を描いて」
「麻雀牌の鳥描いて」
「歌謡曲の絵を描いて」
「可愛いピエロの絵を描いて」

などなど……円筒に絵を描き慣れてくると、複雑な絵の注文が殺到。花札は役にちなんで、月見・花見で一杯とか三光・五光、猪鹿蝶、親札モチーフもたくさん描きました。前の部屋で同室だったKさんも一緒に六人部屋に移動してきたのですが、彼女は病棟内でも顔が広く、他の病室からいろんな患者さんが遊びに来ては、トイレットペーパーの芯を持参。(笑)

挙げ句の果てには、病棟清掃婦の方まで持ってきてくださるようになり、購買部でボールペンも買ってきてくださいました。これはとことん描くしかありません。
もう何本描いたか覚えてないほど描きましたが、皆貰われていって、手元に残りませんでした……

退院する時、同室の皆さんから惜しまれ、

「あんた、こんな毎週は無理やろけん、月に一度でいいけん絵手紙描いちゃってん。住所教えるけん、ねっねっ」

とKさんが言い出すと、「うちにも描いて」「私も欲しい」と同室の全員と住所交換することにーー

「来月から、毎月描きますね」

と約束しました。

幸い、母や祖母が記念切手などの収集家で、時々その切手を分けてもらったりしていたのと、いつか描こうと画仙紙のハガキ百枚持っていたのと、色鉛筆やら絵の具やら中高時代美術部で画材揃っていたのとーーいろいろ条件整っていたので、3月から早速、絵手紙を描いて投函。
通院の際には病棟へ上がってお見舞いしたり、食堂でお茶したりしました。

退院してみるとやっぱり、同室の皆さんの方が重篤でした……とはいえ、自分もそう病院にお見舞いに行ける体調ではなく、せめて、絵手紙だけは毎月欠かさず出そうと心に決めたのがーーその頃でした。


タクシー通院で昏睡から二日後、「ベッドが空いたので来てください」と病院から電話がありました。平日なので、母に病院まで送ってもらいましたが……家を出てから階段降りるのも大変なら、車に乗るのも大変、降りるのも大変。

病院の入口で車椅子に乗せられて、入院手続き後病棟へーー当時、私は熱も高く、入院時の病名は『不明熱』。何て曖昧な病名ざんしょ。
しかも、私が運ばれた病棟は男女混合(同性同室だけど、隣や向かいの部屋が男部屋だったりしました)の『ガン病棟』でした。

ーー誰もガン病棟などと言いませんが、自分自身血液のガンである『白血病』で入院していたことがあったので、周りの患者さんが不自然に髪が薄かったり帽子を被っていたり、昼夜問わず「気分が悪い」とか「体(のどこかしら)が痛む」とかでナースコール鳴っているのを聞くと、分かっちゃうのね。ーー

まず、二人部屋に入れられた私は、母より年配でお喋り好きなご婦人Kさんと同室になりました。

「あんたエライきつそうやね、どんな病気で入院したとね」
「え、ああ、……原因不明で、とにかく、息が……上がるんで、入院、しました」

言葉もまともに出てこないのに、話しかけられる辛さや、いわんや。

「あまり、にも、きつい、んで、ごめん、なさいね」

年の近い患者さんと同室にして欲しかった。と思うも、こればかりは仕方ありません。
その後二日ほどはKさんとまともにお喋りできず、彼女の方が重篤だったはずなのにエラく可哀想がられましたーー彼女からすると、私は娘と孫の間くらいの年頃でしたから、色々気にかけてくださったのだと思います。

体調がそんな状態でしたから、トイレは比較的近い部屋ではありました、が。ほんの数メートル自宅寝室からトイレまでの距離に少し毛が生えた程度の差しかなかったのに、とっても遠く感じました。
何せ、2〜3歩足を進めるだけで息が上がるのです。何十歩か足を進めないとたどり着かないトイレはフルマラソン並みに遠く感じるのですよ、大げさでなく本当に。
至近距離のトイレへ行くのに、二度息を整えるために休まないと行けないので、少しでも尿意を感じたらすぐトイレに行かないと間に合いません。駆け足なんて絶対無理、どんなに急いでも亀の歩みで、じれったいったらありゃしないーーどちらかというとセッカチイラチですもの。

部屋を出ればトイレの入口は見えているのに、なかなかたどり着かないこのジレンマ。



ついでに言うなら、男女混合病棟なせいか、男の人が入った後らしいトイレにはブツがまんま残されていたりトイレットペーパーが無くなっているのに取り替えてなかったり。ウォイ! トイレットペーパーの追加はトイレ内にちゃんと設置してあるだろコラ!!
日頃何でも奥さんにさせているっぽいオヤジ衆め。ここは自宅じゃないんだぞーーと心の中で文句垂れつつ、トイレットペーパーの芯をキリキリねじってゴミ箱へ……ん?
どういう訳か、用足し2〜3回に1回くらいの割合で紙無しトイレに当たっていた私。トイレットペーパーの芯が真っ白なことに気づきました。

これはーー暇つぶしに使えるかもしれない!

トイレへの行き来は大変だったけど、トイレットペーパー切れのトイレに入るのは嫌ではなくなりました(笑)。
ゼコゼコ言いながらトイレに行き、トイレットペーパーの芯を持ってゼコゼコ言いながら病室に戻る私……入院中の楽しみが一つできた瞬間でした。
外科病院を退院してから、自宅療養になった私ーー見てくれに表れる病ではなかったから、身内や知り合いから「どこが悪いとね?」と聞かれてもまともに答えられない歯がゆさと正月早々から入院する羽目になった苛立ちで、心は相当ささくれていました。

思うように動いてくれない身体と、空回りし続ける心。

父のように首吊りでもやれたら、どんなに楽になるだろうと思い詰めたり、いやいや、オヤジの二の舞だけはやりたくないという意地のせめぎ合いを繰り返しました。

少し距離があるかかりつけの総合病院も、それまではバスや自分の車で通えていたのに運転はおろかバスも辛い体力のなさ。自分にげんなりすることになりました。
とはいえ、薬がないともっとひどい状況が待っているだけなので、何が何でも病院には行かなければ……止むを得ず、地元タクシー会社に自宅と病院を登録するサービスを利用し始めました。

これ、本当はシニア対象にスタートしたサービスで、私が60歳以上なら月定額で受けられたサービスですよあーた。ですが当時38歳だからサービスは抜きなのですよあーた。全額まるまるその時々で支払わないといけないのですよあーた!

片道5150円前後、検査や薬の処方で3000円〜7000円、時には帰りのタクシー代が足らず、仕方なしに母にSOSを出したことも……ベッドはなかなか空かないまま、1ヶ月過ぎました。

そして2月に入ってから。ほんの数歩、歩いただけでも息が上がるようになり、すわ一大事とタクシーで病院へ。椅子に座って待つのも辛く、待合室のソファを占領して寝そべっていたら、採血や血圧を計る時に横になるベッドを貸してもらえましたーーが、自分の順番はなかなか回ってこず、思わず爆睡。
自分は爆睡と思っていましたが、実は昏睡状態に陥っていたようで、目を覚ますと点滴されていました。採血や診察も終わっていた模様ーー全く気づかなかったのがそら恐ろしくなりました。
主治医いわく、

「今日、入院してもらおうと思ったんだけど……ベッドの空きがなくて……帰れる?」

そりゃ帰れと言われたら帰りますがな。ベッド空いてないんでしょ。

「悪いけど、入院の準備して家で待ってて。ベッド空いたらすぐ連絡するから」

車椅子に乗せられて、タクシーを呼んで、自宅3階でエレベーターが無いのを呪いつつ帰宅ーー玄関で倒れて這いつくばって寝室へ。マラソンで酸欠起こした選手ばりにゼコゼコ言いながら布団に潜り込みました。入院の準備なんて、とてもできる状況ではありませんでした。

ぜーったい、子宮が悪いに違いない。けれども、どの先生も「子宮が悪い」という判を押してくれることはありませんでした。




元旦から入院、更に入院食が激マズで身も心も萎えて数日。それでも少しずつ足の腫れは引いて、一週間もすると松葉杖ついて歩けるようになりました。
その時になって、子どもの頃に松葉杖で『腕馬』と称して遊んでいたのを思い出しました……よくあんな曲芸じみたことできたな私。

数センチずつ足を進めるのが関の山ですよあーた。



あの頃の私は既に幻でしたーー腕力も体力も、そんなおふざけやる気力もなし。いや、腕だけで我が全体重を支えること自体、不可能!

子どもの頃は、松葉杖で2キロの通学距離を苦もなくこなせていたのが、とても信じられません。本当に、私、超健康優良児だったのね。
1歩足を進めるのも辛く、目と鼻の先にあるトイレに行くのも、ワンフロア先へお茶汲みに行くのも、相当時間がかかりました。

その時の私のCRP(正常値は0.3〜0.6)は12を超えていました。
主治医からは、

「足の腫れが引いたら転院した方がいい。敗血症を起こしている」

と言われました。それってとってもヤバイんでないですか先生? と問い詰めるも、

「ぼかぁ外科専門だから、分かんないのよ。行きつけの総合病院とかあるよね、紹介状は書いておくから」

と何とも頼りない返答で……普通、医者自らが患者を不安に落としこむかよ……と思ったものの、確かに、ここは外科病院。私は『蜂窩織炎』で入院した患者ですから、それ以外の症状が出たら転院するしかありません。
とはいえ、かかりつけの総合病院に連絡取ってもらうも「今ベッドが空いていませんから、炎症抑える薬を服用してもらって、自宅療養させてください」などと返事が来る始末。

「ベッドが空いたら入院させてもらってね」

ーー足の腫れが八割ほど引いて、松葉杖も要らなくなった時点で、退院させられてしまいました。入院食が本当に不味かったので、それから解放されるのはとても嬉しかったのですがーー厄介な病魔は体に抱えたまま、自宅療養することになりました……
緊急入院一週間後。血液検査で、体内どこかしらの炎症を示す数値(CRP)も正常値スレスレまで下がって退院しました、が。
まだ病原は尾を引いていた模様ーー年末の餅つきに参加する前日あたりから、何故か左足のふくらはぎが腫れ始めました。

餅つきが終わって帰宅すると『浮腫み』レベルを超え、大晦日には痛みで歩くのも困難になりーー元旦、止むを得ず朝イチで急患センターへ。
レントゲン撮られた挙句『左下肢蜂窩織炎』と診断され、またも緊急入院する羽目になりました。

元旦から入院患者を受け入れてくれる病院は、個人経営で入院設備も多少ある小さな病院しかありませんでしたーーその時は外科病院の一軒だけでした。

飼い主様運転する車で急患センターへ行ったけれど、その外科病院へは救急車で運ばれることになりました。お昼前でグルグルにお腹が空いていたのに、救急車で運ばれたがために昼食摂ることもままならず……
当然の事ながら緊急入院ですから、病院で昼食が出されることはなく、折しも私の実家から「おせち食べに来んね」と電話がかかってきて、これ幸いと飼い主様に昼食調達してもらうべく実家に行かせたところが。

待てど暮らせど戻って来ない。

死んだ父ではありませんがまさに「俺の飯は?」状態に陥りました。朝から病院ハシゴで空腹も苛立ちもピークに達した夕方、まもなく夕食の時間ですよという頃になって、ようやくーー昼食ではなく、パサパサのクッキーを数枚持って戻って来た飼い主様。

あんたが緊急入院することあったら、同じ目に遭わせちゃるけんねーー水も飲めない状態でベッドで唸っていたのに、お茶も添えずに微量の乾き物だけ寄越すその無神経さ。怒りと呆れが過ぎました。

正月ハナからこの仕打ち、一生忘れない。

覚えてろよ、飼い主様。食いモンの恨みは恐ろしいって事を……

生理痛の酷さは月追うごとに悪化していき、ある日、あまりにも酷い痛みに動けなくなり、救急車を呼ぶことになりました……が。
私が住んでいるマンションは3階建でエレベーターは無く、玄関からリビングまでの廊下には傘立てだの段ボール箱だの置いていて、大人2人が並んで通れるスペースではありませんでした。

これから救急車を呼ぶ可能性がある方々へ。患者を運ぶルート上に物など置いてある場合は完全撤去しておきましょう。搬送の邪魔になりますーー体験談。

加えて、今は多少痩せましたが運ばれた当時、私の体重は最もヘヴィな頃でした。救命士さん大の男3人がやっとこさ抱えられるほど。担架に乗せて運ぼうってんですから、どうしてもねえ。
むしろどなたか1人におぶってもらうのが一番手っ取り早かったような気がします、今更だけど。

無理やっこ担架に乗せられぶらぶら揺さぶられ壁に当たったりしながら何とか玄関を抜けると、今度は階段の振動で気ぃ失うほど痛い目に遭い、狭い救急車内では仰向けにがんじがらめにシートベルト(?)で固定され、お腹をかばう体勢も取れず。

そして、痛恨の極みは、ゴメンナサイ、救命士さん達の『体臭』が強烈だったことーー救命士の皆さん、お願いですから、消臭対策してくださいーー救急車内で覚えているのが『痛い・臭い』ーー病院に到着するまで、色々問診されたのですが全く覚えていません!

道中、私の脳内は「痛いよ臭いよ痛いよ臭いよ」という言葉しかありませんでした……

それはさておき。

入院病棟の4〜6人相部屋は、薄くて最低限の布量カーテンが、プライバシーを守るアイテムです。(私が入院した病院では、なので、他所の病棟はよく分かりませんが)ベッドの高さスレスレくらいから背の高い人だとカーテン越しにベッド内が覗けるほどのスカスカなカーテンなのです。
(私が入院していた病院のカーテンは上部がネット状になっていて、ますますプライベートが損なわれる代物でした……灯り取りを兼ねての仕様だと思われますが)

一番困るのが、入浴制限時の体拭きですよ……薄いカーテン一枚でベッドを囲ってから体を拭くのですが、着替えるのも外の様子を伺いながらコソコソしないといけません。
一応、体拭き中にカーテンを開けられないよう洗濯バサミで『開けないでね』の自作札を挟んで止めてから、体拭きや着替えを済ませました。

せめて、相部屋には更衣室的スペースを作って欲しいです。でなければ、利用者がいない時に風呂場の脱衣所を更衣室代わりにとか。
入院患者はとかく病院の都合を押し付けられがち……融通利くところは、患者に譲歩して欲しいものです。

愚痴や意見はこのくらいにしておきましょうーー緊急入院して、採血はもちろんMRIやCT、エコー検査も受けた一週間。結局、病因は判明せず『骨盤内臓器炎症』と診断されました。

絶対、子宮が悪いに違いないーー私は確信していました。主治医にもそう伝えたのですが、

「お腹を開けてみないと分かりませんから、明言はできません」

とのこと。奥歯にモノ挟まりっぱなし、鎮痛剤を処方されて退院しました。すっきりしない体調はその後も尾を引くことになります……

プロフィール

HN:
莢猫
年齢:
50
Webサイト:
性別:
女性
誕生日:
1973/09/06
職業:
自由業
趣味:
ビーズ細工・ドライブ
自己紹介:
詳しくはカテゴリー『プロフィール』で。
A型乙女座長女なのに、近頃は、AB型とかB型とか星座はともかく末っ子とか一人っ子とか言われる、ゴーイングマイウェイ主婦。
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